サザンオールスターズを語る・その6 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

「TSUNAMI」にて完全に復活を遂げたサザンは、その勢いのままに史上初となる「茅ヶ崎ライブ」を発表、その直前にはいかにもサザンらしい夏のソングともいえる「ホテル・パシフィック」をリリースし、こちらもミリオン近いセールスを記録した。そして8月、サザン史上に残ると言っていい伝説的な茅ヶ崎ライブが敢行された。13年後、再び開催されたものの、当時はなんとなくこれ一回きり、という雰囲気が強く、チケット争奪戦は苛烈を極めたと思う。また、当時は転売屋対策もされていなかったはずなので、一般人の入手はかなり困難であっただろう。

 

もちろんWOWOWにて生中継されたものの、あいにく声の調子がいまひとつだったようであり、これは後日各所で指摘されていたものである。よって、コンディション的には残念であったものの、セトリの質も量もさすがに記念ライブという事だけあって、全世代に満足いくものだったと思われる。ただ、謎なのはこれほどまでのライブであったはずなのに、これまで一度も市販されていないのである。それに関しては色々ネットで噂が流れており、信憑性もあったものの、もし本当であれば残念で仕方がない。

 

10月には半年間限定で、桑田佳祐の冠番組である「桑田佳祐の音楽寅さん」がスタート。第1回目にしていきなり渋谷の路上ライブからのスタートであったが、あんな場所で本物の桑田佳祐が歌えばどうなるか想像に難くない。そして、2度目の放送においていきなり伝説を作ってしまう。言うまでもなく、桑田佳祐自身による「ヨイトマケの唄」の熱唱であった。「さのさのさ」のトリを飾った曲でもあったが、当時はテレビ放送分しか見たことがなかったので、その曲の存在は知っていてもどういう曲なのかは全く知る事はなかった。

 

ちょうどその年、「放送禁止歌」という本が発売され、フジテレビの深夜においてもそれを基にしたと思われる特番が放映されたのであるが、それによってにわかに埋もれた曲に注目が集まっていた。「ヨイトマケの唄」に関しては触れられていなかったが、長らくテレビからは葬られてきた曲だっただけに、放送当時の反響というのは物凄かったものだ。これによって、「ヨイトマケの唄」がテレビで本格解禁され、様々なアーティストが披露し、そして本家の美輪明宏さんまでNHKで熱唱し、そしてのちの紅白へとつながっていったのだ。

 

11月には「この青い空、みどり」が発売。なんとなくソロっぽいイメージの曲であるが、今なおベスト盤にすら収録されていないアルバム未収録の曲なだけに、リアルタイム世代以外では知らない人も多いかも知れない名曲のひとつである。年末には2年連続で年越しライブが開催されたが、これがTBSが生放送した最後のライブであったかと記憶している。まさにミレニアム、2000年はサザンイヤーであったが、翌年以降は再びサザンとしては活動休止状態となり、桑田佳祐のソロとして活動していく事になるのだ。