8ヵ月で30キロダイエットの記録。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

2015年11月に今の環境になってから、どうしても夜が遅くなりがちになってしまい、それでいて22時以降に夕食をとっていたので、それ以来体重が増えまくりとなってしまった。そして、その年の健康診断では91キロ、当然肝機能の数値もやばい事になり、検査結果とは別紙で要治療の報告が送られてきてしまうなど、それまで病気とはまるで無縁だった健康体の私としては初めて直面する生命の危機だった。

 

具体的には尿酸値が上がりまくり、ほぼ痛風というところまで来ていたので、それからしばらく通院をする羽目となってしまったのであるが、薬をもらうだけで自身の生活には何の変化も行っていなかったので、それ以降も数値は悪化する一方であった。そして、2018年には遂にカウンセリングが必要、というところまで来てしまい、これはやばい、と思った私は減量を決意した。

 

最初の1ヵ月は、とにかく食事量を減らす事に専念し、もちろん22時以降の食事はなし、代わりにウエイトダウンのプロテインを摂取し始めた。その年の健康診断では98.6キロを記録したのであるが、もちろん空腹で受けるため、おそらく通常時では軽く100キロは超えていただろう。当時、香港旅行にて友人との写メがあるのだが、今とは別人のように丸々太った顔だった。しかし、一応9月はカロリー制限をしていたおかげで、90キロ前半までには落ちていたと思う。思う、というのは、アプリなどで具体的な記録は全くとっていなかったからであり、全て自身の記憶が頼りだからだ。

 

そして、減量には有酸素運動が必須であり、そしてそれを最もお手軽に行える手段はやはり自転車である。それで、10月1日に、長らく欲しかったTREKのクロスバイクFX7.3を遂に購入し、唐木田から自宅までおおよそ15キロ程度をそのまま漕いで帰っていった。その時は、サドルの高さが微妙に低く、さらに当日買って帰れるとは思っていなかったので工具もなく、思ったよりも快適ではなく、かなりしんどい思いをして漕いでいったものだ。しかも、久々にその周辺まで行ったものだから道を間違えてしまい、まるで来たことのない道をグーグルマップ頼りに買える羽目ともなってしまった。

 

しかし、次の休日ではサドルをいい位置に設定出来た事もあり、遂にクロスバイクの本領を発揮させるとこれが楽しい事この上なく、雨で断念せざるを得なかったとは言え軽く20キロ程度を走れた。そして、次はロードバイクでもそれなりの距離である40キロを走りきるなど、こんなに楽しいのであれば休日だけではもったいない、と思うようにもなっていった。それで、わざわざ急行停車駅まで7キロを毎日、さらに時間がある時は駐輪場に行くまでさらに距離を稼いだりするなどして、1日に20キロ近くも走る事もザラとなった。さらに、それで体力がついた私は昔買ったTREKのマドンを引っ張り出すと、神奈川の境川を下り簡単に江の島まで行って帰ってこれてもしまった。

 

それで久々にロードバイクにも興味を抱いた私は、11月初旬に2015年モデルのEmonda ALR5をヤフオクの業者で購入した。さすがにプロ仕様のマドンと比べたら剛性は低いものの、アルミとは思えないほど振動吸収性が高く、すぐに虜になったものだった。その時点での体重は88キロほど、次第に周りの同僚なども外見の変化に気づいていった。

 

冬という事で、ダイエットには難しい季節ではあったものの、それでも意地になって年内の80キロ割れを目指し、本当にかろうじてだが年末にギリギリ80キロを切る事が出来た。ダイエットを始めて4ヵ月、自転車に乗ってからは3ヵ月で実に20キロの減量に成功である。この時の写真は撮ってあるものの、その違いは自分でも驚くほどのものだった。

 

それからは寒さと、飽きにもよりロードバイクのペースは落ちるが、それでもクロスバイクには相変わらず乗り続けていた。そして、2月上旬には74キロを記録し、3月には遂に70キロを切るかどうかまでのところまで来ていた。そして、5月には遂に60キロ台を記録し、約8ヵ月で30キロのダイエットに成功したのである。

 

健康診断は7月だったが、結果は98.6から66キロだった。もちろん、担当の医師たちは目を丸くしたものである。診断結果も、当然全て異常なし。身長、体重、そして体脂肪率も20歳の頃と同じ数値を達成したのだ。

 

さすがに最近は多少食事制限は緩くはしているものの、目に見えてのリバウンドは皆無である。そもそも、リバウンドというもの自体、ダイエットの成功に気が緩んで、食事をはじめ全ての生活習慣を元に戻した、という訳なのだから、そうではない自分がリバウンドなどするわけがない。

 

しかし、それでも8ヵ月で30キロ以上、というのはなかなかの偉業ではあるし、今でも驚いている同僚も多い。しかし、確かに相当の努力をしたのは間違いがないが、自分には本気を出せばそのぐらい出来て当然という感じもあった。何故なら、前に触れたかどうかは分からないが、17歳になる直前から数年、私は本気でプロレスラーを目指していたからである。当時はウエイトなどは出来なかったものの、それでも本などを参考に出来るだけのトレーニングはしていた。

 

そして、19歳の頃にブルース・リーと出会い、純粋に「ブルース・リーのようになりたい」と願った私は、彼が実際に行っていたトレーニングを真似し、もちろん指立てふせも行い、最終的には両手での親指1本での指立てふせまで出来るようにもなっていった。それだけ鍛えてきただけあり、一時期前田憲作のジムに通っていた時も、「パンチが強い」と褒められたほどである。今はさすがにたまに腕立て伏せをする程度であるが、それでもワンセット50回x5ぐらいなら楽勝で出来るし、力仕事も他の男よりも得意である。

 

もちろん、筋肉量が多い、イコール脂肪の燃焼に有利であるので、そういう背景があるためにこれだけの減量が可能だった、というのが真相だったのだ。もちろん、ほとんどの同僚はまさかプロレスラーを目指していた、とは知る由もないし、教えてもいないので余計に驚いたのだろう。まあそれはともかくとして、やはり腕立て伏せや腹筋、そしてヒンズースクワットなどを途方もない回数をこなした肉体は、加齢してもそうそう衰える事はなく、平均的な男とはやはり違うというのが今にして実感している。