1990年の新日本プロレスの東京ドーム大会の大成功をきっかけとして、新生UWF以外冬の時代を迎えていたプロレス界は息を吹き返し、かつての力道山や初代タイガーマスク時代のよう世間を巻き込んだブームとはいかなかったものの、そこから数年間、観客動員数においてはかつてないぐらいの盛況を迎える事となった。
しかし、何年も見ていくと次第に流れが読めるようになってしまい、必ず飽きを迎える時がやってくる。それを団体側も承知しているため、マクドナルドの限定商品よろしく、ファンを飽きさせないためにあの手この手を使って、我々に刺激を与え続けてくれる訳だ。
それでも、ファンの側が飽きてしまえばどうしようもない。そんな自分も、93年の新日本のドーム大会が終わった辺りから、何となく新しい刺激を欲するようになっていった。そこで手を伸ばしたのが、これまで一貫して避けてきた「UWF系」だ。
以前のブログでも触れたよう、学校から自転車での帰り道、地元の人間だけに分かるように言えば「さがみ野駅」の目の前、今ならブックオフがある周辺にレンタルビデオ店の「アコム」が94年ぐらいまであり、そしてそこには異常なまでにプロレスのビデオが充実していた。新日本はもちろんの事、WWEのPPVまであったりして、どう考えてもスタッフにプロレスファンが居るとしか思えないぐらい、一面を使ってプロレスに充てていた訳だが、その中にはもちろんUWF系のビデオも充実していた。
当時は船木誠勝ら、後のパンクラス勢が藤原組から独立し、3派どころか4派に分かれる勢いだったため、ひとまずバラバラな今の現状ではなく、まだ1大会で全員見れた「新生UWF」のビデオから借りていこう、と思い、船木が移籍直後でまだ本名だった頃の愛知県体育館大会のビデオを借りていった。
UWF系のイメージと言えば、ローキックから掌底で入って、グラウンドでねちねちして関節技、みたいな一貫したイメージだが、まさにテンプレート通りであり、第1試合から常にそんな感じ、途中眠たくなって寝てしまうぐらいに、自分にとっては退屈極まりなく、結局連続して借りる事もなくUWFのビデオはそれっきりで終わってしまった。
そして、普通のプロレスに戻っていったが、当時はU系の中では高田延彦がエースに推された「Uインター」が大人気、プロレスマスコミのみならずTBSなど大手マスコミまで扱い、大仁田のおかげで地に落ちたプロレスのイメージの回復に大いに貢献していた。そして、6月に船木一派がとうとう「パンクラス」旗揚げを発表、それまでのプロレスラーのイメージからはかけ離れた筋肉質で脂肪分の少ない肉体美に、当時まだ高校生だった私にとっては一目惹かれるものがあった。
そして、9月に旗揚げ、さらに11月には黒船UFCと、世界的にいわゆる「そっち側」の潮流になるのだけれども、すっかり船木ファンと化した自分も当然のようにそっちへと流れていった。そして、この辺りで「何故」新生UWFが爆発的な支持を得ていたか、次第に分かるようにもなっていた。
中学ぐらいまでは、周りにプロレス好きの人間が多かった事もあって、割と平穏に過ごしていた。しかし、高校生ぐらいになると、そこまででもないとは言え次第に雑音が入ってくる。と同時に、前述のよう91年ぐらいからの大仁田の劇的なまでのテレビでの露出の機会によって、世間一般へのプロレスのイメージが暴落する。もちろん、一番観客動員数が多く、一番ファンが多いのは言うまでもなく新日本プロレスだ。次に全日本であり、大仁田のいわゆる「邪道」スタイルはあくまで亜流、メインストリームではない。しかし、あれほどまでにテレビでインパクトのある爆破シーンが放映されてしまうと、何も知らない世間は「これが今のプロレス」と言う認識を抱いてしまうのは避けられない。
そして、猪木は参議院議員であったので、おおよそプロレスを知らない人にも、さすがにプロレスはリタイアしただろう、と言う認識を持っていた。しかし、もう一人の雄、ジャイアント馬場は健在であり、さらに準レギュラー出演していた番組まであったので、まっとうな現役としては最も著名なレスラーであった。もちろん、すでに一線からは引き、休憩前のお笑いプロレスに専念していたが、もちろん世間は知る由もない。すでに52歳を超えた人間でも出来るのがプロレス、明らかに相手が自ら当たりに行っている16文キック、そこからはプロレスファンが最も忌み嫌う単語である「八百長」を連想させてしまうのは避けられない事であった。
もちろん、実際にお客を呼んでいる本当のリングの主役は、武藤敬司であり、三沢光晴だ。しかし、ネットもなくテレビが圧倒的な力を持っていた当時、世間にとってのプロレスと言えば本流から外れた「馬場や大仁田のやっている事」だった。そうなると、これまで以上にプロレスが好きと言う事にうしろめたさを感じるようになり、そしてイメージを下落させた連中共を忌み嫌うようになる。今冷静に考えれば、やはり馬場や大仁田がスター性で飛びぬけていたからこそである、と納得出来るのだけれども、当時のファンはほとんどが十代、二十代だったので、そんな考えを持つ余裕などとても持てなかったのだ。
そこで救いの手を差し伸べてくれたのが、世間に対して「これならどうだ」と言えるプロレス、そう、UWF系であり、もっと分かりやすく言えば我々にとっての桃源郷とも言えた。常に世間から八百長、やらせと蔑まれるプロレスにおいて、我々の最大の心のよりどころが「普段はああだけど、いざとなれば他のどんな格闘技にも負けない」、いわゆるアントニオ猪木が壮大に掲げ、そして実際に証明しようとした「プロレスこそ最強の格闘技」と言う信念だ。
後、ミスター高橋が書いた著書により、それは幻想だと言う事がはっきりと証明され、今となって格闘技戦で勝利した所で歓喜するファンなどいなくなってしまったが、とにかく世間から白眼視されていたプロレスにとって、プロレスラーが他の格闘家を叩きのめしてくれるほど留飲の下がる事はなかったのだ。
そして、その格闘色の強い試合を日常化したのが、UWF系だ。前述のような認識しか持っていない連中に、水戸黄門の印籠の如く、プロレスファンが示す事の出来る究極の切り札。「リング上で行われている高度な関節技のやりとりはお前ら(世間)には分からないだろうが、俺には理解出来る」。まさに選民思想の極みとも言える、もはや宗教的な感すらあるが、正直ほとんどのUWFファンはそんな思いでいたと思う。
実際、UWFスタイルを見せつける事はなかったものの、たまにクラスメイトから好きな団体、選手とか聞かれても、決して新日本や全日本の名前は挙げず、一貫して当時まだ一般的知名度のなかったパンクラス、船木誠勝が好きと答えた。相手が知ってるか知らないかそんな事はどうでもいい。実際は新日本を一番見ているのに、俺は決して普通のプロレスや、大仁田のような邪道が好きな訳ではなく、あくまで勝利のみを追求した「本物」だけが好きなんだ、と。
実際、UWFもそのほぼすべてがプロレスだったし、完全実力主義を貫いた「パンクラス」も全てがそうとはいかなかったと言われる。そして彼らUWF系は、UFCから始まった世界的なガチンコの潮流に巻き込まれる宿命に逆らう事は出来ず、これまでプロレスのリングで良い様に扱っていた格闘家に良い様にあしらわれ、そして安生の殴り込み失敗に、高田のヒクソン2連敗により、プロレス最強伝説にとどめをさされる格好となってしまった。
そして、世の中の流れは完全にK-1とPRIDEの2大格闘技時代に突入していくが、実際ここでも二つのファンは相容れないものがあり、元々プロレスファンの多かったPRIDEファンは、かつてのUWF信者の如く、K-1ファンを見下している傾向が強かった。つまり、MMAは見る側にも知識が要求されるが、立ち技オンリーで殴る蹴るだけのK-1は予備知識など必要としない、つまり初心者でも理解出来る、イコール誰でも理解出来るようなものしか見てない奴は...と言う訳だ。もちろん、世間的には圧倒的に後者の方が多いのだけれども、やはりプロレスファン気質の多いPRIDEファンにとって、K-1とそのファンは常に敵、みたいな感覚があった。
そして時は流れ2018年、PRIDEもK-1も消滅、ほとんどグラウンドゼロと化した日本の格闘技界に対して、プロレス界ではWWEが地球規模の絶対的存在に成長、そしてその流れに乗るかのように新日本プロレスも奇跡的な復活を遂げるなど、まだUFCがあるとは言え、とりあえず日本においては40年以上続いたプロレスVS格闘技戦争にようやく終止符が打たれる格好となった。まだ、RIZINなどが時代錯誤な事をしているが、今の時代においては本人の小銭稼ぎにしか過ぎず、プロレスラーがMMAで勝って喜ぶようなファンは皆無だ。
もちろん、我々はプロレスが「どういうものか」知っていて見ている以上、昔のように「八百長」や「やらせ」などの低俗な煽りも効く訳がなく、逆になんと頭の弱い人間なんだろう、とこちらが哀れみの感情を抱いてしまうほどだ。それほどまでに時代は変化してしまい、少なくとも昔に比べれば大分「楽な」時代になった事は確かではあるものの、それでもプロレスラーとファンが一致して世間と闘っていた「あの頃」の熱気を、我々は決して忘れる事が出来ないだろう。