香港的言語交換 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

Language Exchangeをそのまま直訳した、言語交換と言う言葉が一般的になって久しい。いつ頃から一般化したか定かではないが、少なくとも自分が初めてその単語を目にしたのは、2009年の2月末、オンラインレッスンとSkypeと言うツールを初めて知った直後ぐらいの事だったと思う。

 

簡単に説明すると、読んで字のごとくお互いの言語交換を行う、つまり、自分が習いたい言語のネイティブ、なおかつ自身の母国語に興味ある人を探して、お互いの言葉を練習し合おう、という事だ。これは実に素晴らしいアイデアであり、そのサイトを知った直後から日本に興味のあるアメリカ人やイギリス人にメールを出しまくり、幸いにも数人からリプライが送られ、実際にスカイプで会話を何度かしていたのだが、実はここに大きな落とし穴があった。

 

こちらも練習したい、という事は、当然相手側も日本語を練習したい訳だ。しかし、当時の自分はフリーカンバセーションを行えるぐらいの英語力もなく、相手の日本語も不完全な事がほとんどでは、当然練習どころかまともな会話も進むことはない。それに、本音としてこちらは英語さえ話す機会があれば良い訳だから、せっかくの貴重な機会に日本語を話したいとは正直思わない。な訳で、そこでの友達探しもボイスチャットもすぐに終了、まずはフィリピン人とのオンラインレッスンで最低限の英語力を身につける事にしていった。

 

当時、海外渡航経験もなく、大抵の日本人と同じようにとりあえず英語を話す機会があれば、いつかはペラペラになると勝手に信じ込んでいたので、よく周りに「これで俺もそのうち英語ペラペラだわ!」みたいに冗談交じりに話していた事もあったのだけど、それが今や本当にそれに近いレベルになってしまった。それから9年以上も経っているので当然ではあるが、もし自分が「ネイティブじゃないとダメだ」みたいな典型的日本人思考に陥っていたら、今の自分はないかも知れない訳で、つくづく自分が余計な偏見の持ち主でなくて良かったと思う。もしそんな変な拘りを持っていたら、大きなチャンスを自ら放棄していたのだから。

 

そして2010年9月、最初のフィリピン留学を終えると、学生の大多数を占めていた韓国人はもちろんの事、教師のフィリピン人にとっても英語は母国語ではないのだから、要は日本に興味があって、なおかつ英語を第2言語として話せて練習したい外国人を探せばいいんじゃね?という事にやっと気付いた。そこで真っ先に思いついたのが、言うまでもなく香港。ひとりでセブ市内を歩きまくり、すっかり自身がついた自分は、いよいよ長年の念願であった香港旅行を真剣に考え始めていた。しかし、ただ行くだけではつまらないので、なら事前に知り合いを作って現地で会って案内してもらっちゃおう、と言う訳で、再びゴールドメンバーになりメールを送りまくり、香港愛に満ち溢れたメッセージを書いていたおかげもあってか、おかげさまでかなりの人数の方々と知り合いになる事が出来た。

 

そして数年後、どうやって知ったのか覚えていないが日本でもミートアップが知られ始めていき、2014年の正月過ぎに南町田で行われた新年会をきっかけとして、次第に言語交換会を見つけては参加するようになっていった。もちろん、この時もひとりで参加したので、初対面の人のみと新年会を行う、と言うある意味物凄い勇気のある事をしたと今になっても思うが、幸いそれなりに周りと話は弾み、何人かの人たちとFacebookで友達にもなれたりしたので、あまり英語を話した記憶はないものの、それなりに実りのあるパーティだった。

 

その後は都内で行われたパーティに何度か参加したりもするが、当然の事ながら参加者の大半は日本人、それなりに知り合いが出来たのは良かったかも知れないが、あくまで本来の目的は言語交換のため、2月ぐらいで参加するのをきっぱりやめてしまった。その辺りに横浜の中華街で行われたミートアップでは、フィリピン、韓国、ドイツ、さらにウクライナとかなりバラエティに飛んでおり、日本人でも今でも交流のある方と知り合いになれたりかなり得た物は多かったが、以降参加した記憶はないので、結局2018年の今になるまで日本のミートアップには不参加のままだ。

 

しかし、国際都市・香港となれば英語で会話出来る相手を見つけるのは容易なはず、しかも当然香港では自分は外国人としての立場となる。正直、いまでもひとりで参加となると結構勇気がいるものなので、ギリギリまで考えぬいたりしたが、ここで何かを得ないと香港に来た意味がない、と自分に言い聞かせ、まずは9月13日に湾仔のバーで行われた言語交換へと足を運んだ。

 

湾仔には数えるほどしか来た事がなく、どこか駅から中心街まで遠い、というイメージもあったため、先述のように若干のためらいが生まれたが、部屋や尖沙咀に居ても特にやる事もないし、とりあえず近くまでは行ってみよう、と思った所割とあっさりと目的地に到着、さすがにここまで来たんだから行かないと意味ないよな、と言い聞かせて地下1階のバーへと向かった。

 

正直、お酒を全く飲まない自分としては若干の緊張はあったものの、オーガナイザーの香港人女性が優しく迎えてくれたおかげですぐにリラックス、自分の国籍である日本の国旗と、英語を表すイギリスの国旗のシールを胸につけさせてもらって、人が集まるのをじっと待っていった。

 

やがて、自分の席には香港人男性2人と、ドイツ人男性1人がやってきた。つまり、誰にとっても英語は母語ではなかったが、そんな事は関係なし、とにかくうち2人が物凄いスピードで英語を話しまくり、2人の間にいる自分は「おおこれが香港人のエリートの英語力か!」としばし圧倒され聞き入ってしまった。そして、英語力だけではなく、会話の内容自体も物凄くレベルが高い。それは自分にとっては物凄く居心地の良い空間ではあったものの、あまりにも2人だけの世界になったため、しばらくするとうんざりもしてきた。

 

そこで、上海で英語講師をやっていたというアメリカ人が入ってきて、しばらくしてようやくまともにカンバセーションを出来ると思いきや、その方はやたらとトーカティブであり、ほぼ9割がた向こうが話しまくってしまっていた。しかし、英語講師という事もあるせいか、非常にクリアで聞き取りやすい英語だったため、ほぼ100パーセントぐらいで内容は理解出来たので少し自分に自身が持てたものだった。

 

21時を過ぎて周りが帰り始めると、私も席を移動し思いきって他のイギリス人に話しかけてみたが、アメリカ人とは対照的に非常に聞き取りづらく、会話を発展させる事は出来なかった。しかし、すぐに隣にいたハンガリー人の女性と話す事が出来たのは良かったが、相手の英語自体は分かりやすかったものの、自分の英語が聞き取ってもらえず、若干の苦労を要してしまった。しかし、ハンガリー人との出会いは人生初、そんな機会を得れる香港はさすがに国際都市を名乗るだけあるな、と実感したものだった。

 

この会によるパーティは通常週末しかないらしいが、自分がいた時に限って平日開催も行われたのは幸いだった。そして、翌日にも何かないかな、とアプリで探した所、別のグループによるパーティがモンコックで行われるとの事なので、早速予定を立てる事にした。

 

この日はバーではなく、モンコックの駅を5分ほど歩いた場所にあるビルの11Fで行われ、しかも60人前後参加という比較的大規模なパーティだっただけに、この日も例外なく緊張してしまったものだったが、エレベーターを降りた瞬間から黒人の男性が快く迎えてくれたおかげで、すぐに名札をつけて参加させてもらえる事となった。すでになにやらゲームが行われており、さらに司会が英語ネイティブ、その後広東語での説明。英語だけならまだしも、全く理解不可能な広東語が後に続くと妙な緊張状態に陥ってしまい、しばらくの間英語の聞き取りが困難となってしまった。

 

しかし、2問目でゲームの趣旨を理解すると、3問目も周りに人が居たおかげで難なく終了、最終ゲームとしてどういう訳か椅子取りゲームが行われる事となった。正直なんで?と思わざるを得なかったが、生き残った人にも何のご褒美もなく終了、その後は散らばった椅子をまとめていよいよメインとなる言語交換が行われる事となった。

 

日本も含め、これまでのパーティはほとんど近くにいる人同士でしか話す事はなく、うまくパートナーが見つけられなかった場合はかなりの辛抱を強いられる羽目になってしまったが、今回は非常に良く出来ていて、椅子を2列に並べてお互い正面に座り、一定時間が過ぎたら片方の人が横にずれて…という何とも効率良い事この上ないシステムとなっており、そんな訳でここで私はここぞとばかりに英語を話しまくれたのだ!

 

サイトによればひとり日本人女性らしき人が居たが、実際に参加していたのかは分かりかねなかったので、実質日本人は自分ひとり、という感覚だった。つまり、自分以外誰も日本語を話せない、イコール自分に対しては誰もが英語を話すしかない、もちろんこちらも、という訳で、繰り返しになるがやはりこれが香港における言語交換だな、と。自分が外国人、なおかつ日本語という非常に難しい言語のネイティブスピーカーという立場を最大限に利用出来たものだった。つくづく参加出来て、そしてこのタイミングで香港に来れてラッキーだったな、と再度実感。翌々日に史上最強クラスの台風が来るにも関わらず、だ。

 

そして土曜日の夜、湾仔でのグループが再びパーティを開いたが、あいにく会場のEast TSTのオープンバーは台風が来る、という事で予定より早く閉店、な訳で来ただけ損だったな、と思いきや次第に人が集まっていき、結局バーの前で何も買わずに2時間、会話をしつつ過ごすという、実質パーティが行われたのと変わらない結果に落ち着いてしまった。

 

因みに、このバーがある永安百貨店は、かつてポリス・ストーリーのラストで使用されたデパートだ。シャングリラホテルの横にあり、イーストTSTの駅からもすぐなので、いつも何気なく訪れて居たが、あるサイトではすでに閉店、みたいな扱いとなっていたので改装されて再オープンされていたとは知らず、帰国してやっぱりそうだったのか、という事を知ってなんならもう少し見ておけば良かった、と思ったものだった。

 

結局、1週間の間に3度も参加した事となったが、いくら香港が国際都市ではあっても、やはり普通に訪れるだけではそうそう現地人との会話の機会などは訪れないものだ。ちょうど1年前がそんな感じであり、地元の知り合いとも会う事はなく、当然英語での会話の機会も皆無に等しかったため、かなり不満の残る滞在となっただけに、余計に今回は運が良かった、香港に来た意義があった、としみじみ思ったものだった。しかし、当然の事ながら、もし自分が大多数の日本人のように全く英語が話せなかったとしたら、最初からこのような機会を放棄しているも同然な訳であり、このような貴重な経験を得る機会はゼロだっただろう。まあその前に、そんなんなら最初から香港に来てるはずもないのだけれども、せっかく日本から4時間の位置にこれほどまでの国際都市が存在するのだから、ガイドに案内されるがままるるぶ笑やことりっぷ笑を片手にディズニーランド笑や、食事、買い物だけで終わるようなまるで女子旅笑で終わるのは、あまりにも勿体無いし、少しでも英語を学んでから渡航して人生の糧になる何かを掴んで滞在、そして帰国してほしい、と願うばかりだ。