私の人生において、最も大きな影響を与えた人物と言えばもちろんブルース・リーだ。それは肉体だけの問題ではなく、英語においてもそうであり、きっかけとなった2つの大きな出来事のうちのひとつが、何をかくそうブルース・リーの存在だ。
ブルース・リーの事を良く分からない人からすれば、何故そこから英語に繋がるのか意味不明かも知れないが、ブルース・リーをきっかけとして英語に目覚めた人間は決して少なくなく、有名どころとしてはかの正道会館の角田信明氏なんかもそうだ。
ただ、今でこそ音声同時録音であるが、90年代半ばまで香港映画は専門の声優が声を当てるのが当たり前だった。例えば、ジャッキー・チェンの映画を例にとれば、「ポリス・ストーリー3」で一瞬本人らの声になったものの、その後の「シティーハンター」や「酔拳2」などでは再び吹き替えとなった。「レッド・ブロンクス」以降は全て肉声となったはずだが、それも1995年、となれば当然ブルース・リーの時代は全て吹き替えだ。
しかも、我々ノンリアルタイム世代にとって、ブルース・リーを見れるのはビデオでしかなかった訳だが、何故か1980年代に香港映画を販売していたポニー・キャニオンは、日本公開版のベースとなっていた国際英語版を輸入せず、80年代になって新しく作られた広東語版しか販売していなかった。もちろん、英語版も吹き替えなので、ブルース・リーの肉声が聞けない事には変わりはないとは言え、それだけでも映画の雰囲気が全然違う。「ブルース・リーの神話」は英語版が販売されていたので、それを見てから広東語版を見るとまるで違う映画のように感じたものだ。
もちろん、ハリウッド映画である「燃えよドラゴン」は英語版がそのまま販売されたが、後年になって知った事だがこれも台詞はスタジオでの録音らしい。ただ、ブルース・リーの声に関しては全て本人によるものなので、つまり香港帰国後の主演作において唯一本人の英語による肉声が聞ける作品である訳だ。
ただ、見れば一目瞭然だが、やはりアメリカ映画である以上、後のジャッキー・チェンの「ラッシュアワー」のように、いきなり東洋人オンリーの主役と言うのは難しかったのか、ジョン・サクソンとジム・ケリーも含めて3人が主役的扱いであり、彼らを中心にストーリーが進行されていく。で、アクション担当がブルース・リーと言った感じなので、彼の台詞自体が物凄く少ない。
冒頭のブレスウェイトとラオ少年とのシーン、OP直後のフィルムのシーン、それが終わってしまえば後は本当に数えるほどしかない。そう考えると、ブルース・リーの肉声による英語が聞ける機会は少ないのだな、と思われるかも知れないが、前振りが長くなったとは言え実は意外とそんなことはない。
まず、一番有名なのは前述の「ブルース・リーの神話」でも見られるスクリーンテストだ。24歳の若きブルース・リーが、物おじする事なく堂々と英語で語り、さらにデモンストレーションまで繰り広げるその様は格好いいとしか言いようがない。もちろん、アメリカで出演した「グリーン・ホーネット」や「ロングストリート」、そして「かわいい女」なども全部肉声。極めつけは、1995年ぐらいになって発掘された、カナダのテレビ局により収録された「ピエール・バートンショウ」、通称「ザ・ロストインタビュー」だ。
他にも、邦題「最強格闘技ジークンドー」などでも、本人のナレーションによる解説が聞けるし、このように英語による肉声を聞ける機会はかなり多い。そして、ブルース・リーの英語と言えば広東語訛りなイメージが強いが、それが実に格好良いのだ。ブルース・リーのファンであれば、だれもが必ずしや「燃えよドラゴン」の"Don't think, feel! It's like a finger pointing way to the moon. Don't concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory."や、「ザ・ロストインタビュー」の"You put water into a teapot, it becomes the teapot...Water can flow or it can crash, be water my friend."は真似しつつ語った事があるだろう。
正直、日本人が英語を習得するのは、それが例え日常会話レベルであろうととても難しい。英文法自体は世界の言語の中でもシンプルなはずなのに、日本語とはあまりにも剥離しているため、ネイティブの日本語スピーカーにとってはどうにも相性の悪い言語だから。中学で学んで以降、日本人なら誰しもが一度は英語を話せるようになりたい、と思うのに、結局ほとんどの人間が挫折してしまうのもその理由からだ。
よって、我々が習得するためには、相当の情熱や根気がないと難しいはずだが、にも関わらず自分は日本人としてはそれなりに評価されるレベルの英語力は習得する事は出来た。理由は単純、「ブルース・リーと同じ言語を話したいと思ったから。」
かの前田日明も著書で語っていたように、勉強でも格闘技でも、義務感などだけで頑張ろうと思っても、なかなかそう簡単には行かないものだ。そんな時に人間を動かしてくれるのが、ヒーローへの憧れだ。もちろん、英語だけではなく身体を鍛える事に関しても、大きくブルース・リーの影響を受けたが、辛いなんて全く思う事はなかった。それは、「自分はブルース・リーと同じ事をしている。続けていればあんな身体になれるんだ。」と言う心の満足感を常に味わっていたため。英語はそこまで一筋縄ではいくものではなかったとは言え、彼の広東語訛りの英語と、白人に対しても堂々と英語で受け答えしている時のどうしようもないカッコよさは、我々を英語の世界へと導くのに説明は不要だった。
2000年代初頭以降、ネットでの個人輸入で英語版を入手し、そして2012年、パラマウントジャパンから世界中のファンが待ち望んでいた「日本公開版」と「日本公開再現版英語音声」のディスクが販売され、ここ日本でも容易に完璧な英語版が鑑賞出来るようになった。もちろん、前述で触れたように英語版も他人の吹き替えだ。しかし、広東語版の異様な甲高い声に対して、英語版の声は訛りこそないものの、ブルース・リー本人のイメージに近く、やはりこのバージョンが一番しっくりくる。もちろん、いくつかの台詞も語り継がれ、本人の声ではないにも関わらずつい真似してしまうのは自分だけではないだろう。
惜しいのは、現在入手出来るのは「死亡遊戯」の海外盤でしか字幕で台詞を確認出来ない事だ。吹き替えの英語は分かりやすく、ある程度リスニング能力があれば聞き取りには苦労しない場面がほとんどであるものの、音声トラックの経年劣化とノイズからどうしても分かり辛い部分も多いため、これは若干残念なところだ。これに関しては、1999年にアメリカで発売された北米盤FOXのBOXセットが対応しているが、すでに廃盤なうえリージョン1でもあるので、今から入手するのは困難かも知れない。