香港に行く度に訪れる場所の筆頭と言えばやはりマカオ。当然、出境・入境の手続き必須、しかも往復のフェリーチケットが大体350HKD、5000円程度するので時間やお金の負担も大きいものの、それでもせっかく香港まで来たからにはマカオにも足を運ばないと勿体ない...と思わざるを得ないので、2013年9月以降、超円安だった2年前の今頃を除き香港に来る度に常にマカオにも寄っている。
ただ、香港とは異なり、別に大好き、と言う訳でもないし、一生ギャンブルはしないと誓っている自分としてはカジノに寄る事もない。もちろん、自分的には世界遺産以上の世界遺産とも言える、「ドラゴン怒りの鉄拳」と「死亡遊戯」のブルース・リー映画のロケ地が、未だにほぼ当時そのままの形で現存しているのは確実に立ち寄る理由になるものの、軌道系交通機関の存在しないマカオにおいて、繁華街以外への移動は結構面倒でもあるので、何度も立ち寄るのは大変、と言うのも事実。
ただ、どっちにしろ他の遺産などまるで関心もない私としては、興味あると言えばそれしかないし、特に死亡遊戯のロウレムリックガーデンは数年は立ち寄ってはいない、と思うので、今回は最初から訪れるつもりでいた。
大体、最初はセナド広場を起点とし、歩いて例の有名な聖ポール大聖堂にまず寄って記念撮影と食事、そこからまた横の道を歩いてまずは「怒りの鉄拳」のルイス・カモンエスに寄るのが基本ルートなのだけれども、この道は初めてでも地図さえあれば容易だし、距離も遠くはないのでまあ余裕だ。その聖ポール上の坂を出た所の道も、「怒りの鉄拳」でブルース・リーが人力車を引くシーンで使われた道らしいのだけれども、ここは前回寄ったしさらに今となってはあまり面影もなく、坂を登るのも疲れるので今回は寄らなかった。
今回、実はここでやってみたかった事があって、それは動画をセルフィ―で撮り英語で場所の解説をする事だった。カモンエス公園の前は市民の憩いの場所らしく、いつも老人方がたむろっているので、ちょっと気が引けたがさすがに今しかなかったので、トライしたものの意外と上手くいかない。人に撮影してもらって大きな声で話せればもっと上手く撮れたのだと思うけど、さすがに1人でiPhoneを目の前にかざして話すのは羞恥心もあったので、声も小さくしかも思ったほど流暢にこの時は話せなかったので、と言う訳で未公開のままだ。
そこから「死亡遊戯」のロケ地であるロウレムリック公園までは、一直線で行けるバスもなく、バスに乗るためには一度大通りまで引き返さなければならない。しかし、無料で貰える地図は良く分からず、番号は分かってもどちらの方向へ向かうのかまでは明確ではないため、よって仕方なくそこから歩いて向かう事にした。
実は前もその辺りを歩いた事はあるのだけれども、華やかな大通りのカジノやホテル、グランド・リスボアの陰に隠れ、一般市民の住む通りは延々とスラム街に等しい街並みが続く。当然、観光客などいるはずもなく、異国情緒や一人で海外に来た感は思う存分味わえるのだけれども、その反面日本以上の痛烈な格差を体感しなんとも言えない気持ちになるのも確かだ。
さらに、香港とは異なり現地SIMは使用しておらずグーグルマップも使えないので、頼りは無料で貰える地図と現地の現在地マップだけが頼りだ。まあそれでも、マカオ半島は狭く、適当にバスに乗ってもいずれは繁華街に出るようになっているし、マカオパスのチャージさえ残っていれば窮地に陥る事はないのも確か。しかし、裏通りはまるで迷路になっており、バスやタクシーも通っていないので、見失わないように常に地図とにらめっこしつつ歩を進めていった。
分かれ道に出た所、ちょうど現在地のマップがあったので確認しようとした所、2人の東洋人系の女性がマップの前でスマフォと旅行ガイドを持って何やらずっとたたずんでいた。まあ旅行者である事は確実なのだけれども、マカオで東洋系と言えばほぼ大陸中国人、たまに韓国人に出くわすぐらいだ。だから、この2人もそうかな、と思っていた所、右の女性の持つ雑誌に日本語らしき文字が書いてあった。まさか...とは思いつつも、やはり確実に日本語、おそらくるるぶである事は間違いなかった。
正直、海外で一番会いたくないのは日本人だし、聞きたくない言語も日本語だ。もちろん、せっかく大金を払って海外に来ている以上、そこだけでしか出来ない体験をしていきたいし、わざわざ日本で出来る聞ける事をしたくもないし、する意味もない。しかし、この場所は普通の観光客はまず間違いなく訪れる事のない場所だ、そんな場所で自分と同じ日本人が地図とにらめっこ、おそらく迷子になっているのかも知れない。そこで、しばらく様子を見たあと、思い切って「日本人の方ですか?」と尋ねてみた。
位置的に雑誌を読んでいた方に自然に話しかける形になっていったのだけれども、一瞬何が起きたのか分からないようで、物凄く驚いた表情をした後に、「良かった~!」みたいな事を言われた。そこで、困っていたので案内をする事にしたのだけれども、自分としてもマカオへの行き方や交通機関などは説明出来ても、初めて訪れたかも知れないであろう裏通りなどすぐに案内出来るはずもない。もちろん、グーグルマップも使えないので、自分としても出来る事は少なかったが、彼女らにしてみれば異国の地で日本人に会えただけでも救いだったように見えた。
そして、その最初に話しかけたうちの一人から、「ここに住んでいるんですか?」と聞かれた。もちろん、そんな訳ないので「いや、一人で香港・マカオに来ています。」と素直に答えたのだけれども、そうしたら「えーっ、一人で来るなんて凄い!」と返されたが、正直どうしてそう思われるのか一瞬自分でも良くは分からなかった。だって、それが当たり前だから。
正直、一人とは言っても香港は治安も非常に良く実質先進国と同等であるし、マカオは若干劣るものの、いざとなっても金とパスポートさえあれば何とかなるだろう。台北なんかも怪しい日本語を使う現地人などに引っかかりさえしなければ平穏に過ごせる。よって、南アフリカ大陸や南米をバックパックしている人たちに比べたら全然自分なんか大した事でもないし、むしろ誰かと一緒に来る必然性があるの?とこちらが疑問に思うぐらいなのだけれども、それでも今回の件で、一人海外と言うのは未だに特別視される傾向あるのだな、と実感せざるを得なかった。
ただ、冷静に客観視してみると、もちろん海外旅行保険に加入しているとは言え、基本的にトラブルは全て自己解決だ。もちろん、場合によっては現地の人との会話は不可欠になるが、お互い広東語も日本語も理解出来る訳ない以上、国際共通語である英語でのやり取りとなるのは絶対だ。もちろん、マカオや台湾では公用語ではないので、通用度は香港と比べてかなり落ちるものの、それでも事実上の国際語である英語話者は探せば必ず存在する。つまり、何かあった場合に自力で対処出来る英会話力は、一人海外においては当たり前のスキルだ。
しかし、今でも先進国では最低レベルの日本人の英語力、ツアーにおいてはホテルのチェックインですらガイドに任せっきりの現状では、おおよそそれだけの英語力を持つ日本人は多くはないと言わざるを得ないだろう。そう考えれば、例え香港やマカオレベルの渡航であっても、それなりに尊敬される要素はあるのだな、と今回の件で実感したものだった。
話を戻して、それなりにコミュ力には自信のある自分としては、割とその最初に話しかけた女性に対しては会話が弾んだ。しかし、過去にもNYCでインターンの最中、携帯を紛失した女性に対して会社を案内した時にも似たようなシチュエーションになった事もあるのだけれども、大抵最初に話しかけた、もしくはちょっと美形な女性のみと話が続く事になり、もう一人とは放置気味になってしまう。
別に意図的に無視している訳ではないものの、一旦そうなってしまうと、やはり女性としてのプライドが傷付くのか不機嫌な感じになり、話しかけられる事はほぼなくなってしまう。そんな訳で、自分も一人では若干寂しいものがあったので、もう少しその方とは一緒に居たかったのだけれども、彼女らの目的の建物が見えた瞬間、もう一人の方に「お兄さん逆ですよね」と振られてしまい、半ば強制離脱のような形になってしまった。実は、そっちからでも目的の公園に着けたので、自分としては残念極まりなかったのだけども、そう言われてしまったらもうお手上げだった。もっとも、話し掛けた女性からは別れ際に「本当心強かったです!」と特に何もしていないのにそう言われた事が救いではあったけども。
その後は、若干迷いつつもようやく公園にたどり着き、画像と動画を撮ってからその場を後にした。しかし、そこからセナド広場付近まで戻るのがまた面倒であり、バスだとルートがいまいち不明瞭、徒歩だとまっすぐに行けそうだけど距離がありすぎで、最適な方法と言うのがないのだ。しかし、歩くのはさすがに嫌気がさしてきたので、バスに乗ったのだけれども、まるで真逆の北のターミナルで降りる羽目になってしまった。そこから再び南へと向かったのだけれども、いかんせん外は暗くどこを走っているのかも分からない。バスの番号的に、必ず目的地に着くのは確実なのだけれども、万が一そこを逃してしまったらまた北方向へと逆戻りしてしまう、な訳で地図と外を交互ににらめっこしていた。
それが気になったか、隣の方が広東語で話しかけてきた。「ハイビンドゥ?」が「何処」と言う意味である事は理解しているので、「どこに行きたいんですか?」と聞いてきたのだと思うけれど、下手に知ってる限りの片言の広東語で返した所でバーッと話されても困るので、ここは素直に英語しか分かりませんと返した。
そうしたら、何と英語を話せる方であり、マップを指さしつつ丁寧に教えてくれた。香港ビギナーだった頃、Aberdeenへ行く最中のバスでも隣の乗客に英語で助けてもらった事があったものの、この海外で地元の人から親切にしてもらう、と言うのは、一人海外において最も嬉しい事のひとつであり、醍醐味でもある。別れ際には何度もお礼を言い、日本語と広東語でもそれぞれ、ありがとう、多謝、と言ったほどだったけども、今回は現地人との交流が少なかったというか皆無に等しかった事もあり、際立って嬉しい思い出のひとつとなった。
マカオ滞在は半日もなかったけども、自分が人助けをした直後に、今度は自分が助けられるという、まさに「人にやさしくすれば、周りからもやさしくしてもらえる」事を直に実感させられた日となった。もちろん、必ずそうなるとも限らないし、お金など目に見える利益も手に入れる事は出来ない。それでも、目の前に困っている人が居たら助けずにはいられない、と言うのは、人種や国籍云々ではなく、人間として自然に抱いている本能のひとつなのかな、と思う。もちろん、FFIXのあまりにも有名なあの台詞、「誰かを助けるのに理由がいるかい?」がすぐに頭に浮かんできたのも言うまでもない。