重慶大廈と英語 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

2011年2月19日以来、実に香港にはこれまで12回も渡航しているのだけれども、2013年1月の通算4回目の渡航から全て宿は重慶大廈内のゲストハウスにしている。

 

言うまでもなく、1泊1万5千円はくだらない香港のホテル事情を考慮しての事だけども、私のような人間でも香港に1週間前後滞在出来るのは、まさにこの重慶大廈のおかげだ。もちろん、重慶以外にも無数のゲストハウスが存在しているのだけれども、立地や予約のしやすさ、そして両替のレートなどを考慮すれば、今のところここを超える場所はないだろう。まあ、構造上火災が起きたら一巻の終わりだとの覚悟はしているけれども、それだけしっかりと対策はされているし、ここ20年ぐらいは起きていない事からも、ある程度は安心していられる。

 

まあそんな理由で、香港に滞在イコール重慶大廈なんだけども、前にも綴ったように、建物内は一切中華の香りは感じられず、看板もほとんど英語で漢字は一部中国系が運営しているランドリーなどに限られ、まさにそこは香港内における外国、と言う雰囲気だ。もちろん、人種も多種多様であり、旅行者はもちろんの事、住人もインドや中近東系で占められ、母語や文化もバラバラだ。

 

母語が異なる人間が最初に使う言語と言えば、まず英語だ。な訳で、香港では今でも英語が公用語と言う事もあるけれど、当然大廈内の共通言語は英語だ。つまり、ここにやってくる者たちは、どこの国からだろうと全て英語が話せる事が大条件となる。と言う事は...。

 

前述のよう、2013年1月以来ここに滞在する事8回、1回の渡航に付き平均8泊はしている事を考えたら、確実にここだけで70泊近い回数を重ねている事になる。しかし、今頃気付いたが、それだけの回数ここに泊まっているにも関わらず、未だに一度も「Do you speak any English?」と誰からも聞かれた事がない。

 

つまり、前述の繰り返しになるが、ここに集う人間たちは国籍や母語や髪や肌の色全く関係なく、誰もが英語を話すのが当たり前と言う認識、極端に言えば、アメリカと同様に「人間の姿をしている存在は英語を話せるもの」という事になる。

 

よく考えたら、これは日本では到底考えられない事だ。外国人が、何とか片言の日本語を駆使して、お店の店員とやりとりをしようと苦労しているのを見た事は1度や2度ではない。しかも、世界的な大都市である東京の都心にも関わらず、だ。もちろん、それは彼らが「日本人は英語が話せない」と言う事をすでに知っているから。しかし、もし彼らが香港の重慶に来ることがあればそんな事はありえない。NYCと同様、重慶に来る人間はみんな英語が話せて当たり前と言う認識なのだから。

 

もちろん、ブッキングする時は日本名のローマ字のみだし、チェックインする時もパスポートを見せるから、宿主は自分が日本人である事は明確に理解している。しかし、それでも片言の日本語を使用する事はありえないし、もちろん日本語のマニュアルも一切存在しない。また、一般のホテルよりも、スタッフとやりとりする回数が多いので、何らかの要求やトラブルが起こった場合、コミュニケーションが取れなければお話にならない。中にはドラゴン・インのように、日本人に人気があるゲストハウスであれば、日本語対応もしてくれるのかも知れないが、それは本当に極まれで特殊な例。つまり、重慶に泊まるのであれば、少なくとも交渉やトラブルに対処が可能な英会話力を備えている事がまずは絶対条件だ。

 

ようは、一般的日本人に対してはかなりハードルが高い場所ではあり、実際にここで日本語を耳にする事は皆無に等しい。なくもないが、大体は複数人で興味本位でちょっと覗いてみる、ぐらいだ。もちろん、香港ナビなど、日本のポータルサイトで重慶の宿を仲介している場所など皆無に等しい。英語力以前に、とにかく最初は女性はもちろん、男でもちょっと怖気づくような場所でもあるので、こんな場所を紹介でもしようとすればクレームの嵐になる事は間違いないからだ。

 

しかし、ある程度の英語力を備え、一人旅大好き、エスニック文化に興味あってたまらない、と言う人であればそれは真逆になる。とにかく、まずは「英語は世界共通言語」と言う認識を嫌と言うほど味わえるし、また英語話者が一番嫌がる「片言の日本語で対応」と言うのが一切ないので、入国審査などですら片言の日本語で話されるとうんざりするような、私のような人間に対しては、香港ではまさにうってつけの場所とも言える。

 

正直、重慶云々より、香港そのもの、特に尖沙咀や中環などでは、中国人以外は「人間は英語が話せて当たり前」と言う感覚であるし、確かに日本に対する好感度は高い場所ではあるものの、だからと言って台湾のように日本人に対してだけ特別びいき、と言う場所でもないので、普通に街歩きするだけでも国際的な雰囲気は十分に味わえる場所ではあるのは間違いないのだけれども。

 

つまり、わざわざ重慶に泊まったり足を運ばずとも、香港そのものが英語の重要性を嫌と言うほど実感させてくれる国(あえて)と言える。しかし、特に語学に関心のある訳でもない一般的日本人にとって、ハワイや台湾とは異なり、日本語の通用度が低い、無意識に英語を強要される、と言うのはあまり居心地の良い場所とは言えないだろう。そこが、香港に12回も渡航しているにも関わらず、まるで周りに香港旅行をお勧めしていない理由と言うのが、まさにそれ。

 

星野博美さんの名著「転がる香港に苔は生えない」でも触れられているよう、今年で返還20年を迎える今となっても、香港の英語崇拝はイギリス領時代と全く変わらない。もちろん、個人の英語力に差はあれど、大学生以上であれば誰しもが英語で外国人とコミュニケーションを取れるのが当たり前。Wikipediaでは、約38パーセントの香港人が英語を話せるという事であり、単純に数字だけ見ればシンガポールなどより低いかも知れないけれども、実に国民の98パーセントが英語を話せないという日本に比べたら比ではない。

 

尖沙咀や香港島であれば、英語を話せる割合はもっと増えているだろう。旅行客相手の業種はもちろんの事、コンビニやマックでももちろん英語で対応してくれる。そんな中に、英語がまるで話せない日本人が赴いたらどうなるか?香港では、英語を話せない人間に対してはあからさまに見下す傾向が伺えるので、おそらく大抵のシチュエーションにおいて良い気分はしないだろう。

 

さすがの自分も、わざわざ海外へ行ってまで嫌な思いをして欲しくはない、と思うし、それが私が周りに香港旅行を勧めない最大の理由。割と近い人間にも、ツアーに参加してきた、2泊3日でディズニー行ってきた、なんて人たちもいるけれども、そんなんで香港に渡航したとカウントするな、と思う反面、虚しい思いをしたくないならそれが限界かな、との思いもあるから、一般的日本人にとってはそれが正解なのかな、と言う感じだ。

 

もちろん、ツアーや集団ではなく個人で渡航する事ができ、英語や国際交流に関心があるのであれば、おそらく日本から一番近く最適な場所であると思うので、そういう人たちに対しては文句なくお勧めの場所である事に間違いはない。もっとも、アジアでは数少ない東京とタメ張れるもしくはそれ以上の都市、インフラも交通も治安も最高レベルなので、正直そんな香港ですら一人旅出来ないレベルであるのなら、日本から一歩も出ない方がいいのかも知れないけどね。