ただいま、日本ではGWの真っ最中、その間に初めて香港に出かける人も多いか、と思う。そこで、改めて超主観的な私自身の香港観。
はじめに、東京都の約半分程度の小さな香港は、大きく分けて3つのエリアに分かれている。まずは、何と言っても1842年の第1次アヘン戦争終結後に締結された、南京条約により最初にイギリスに永久割譲された、「香港島」。その後、1860年の北京条約により割譲された、「九龍(カオルーン)半島」。そして、最も大きいエリアを占める、1898年に99年の期限付きで租借地となった離島含む新界(ニューテリトリーズ)エリア。
「地球の歩き方」や、その他スイーツ向けのガイドブックにおいて、いきなり最初に歴史に触れるような本は滅多にないので、おそらくほとんどの日本人はこの辺りについては詳しくないだろう。別に詳しくなる必要もないのだけれど、香港島と九龍は「永久割譲」だったのに対し、「新界」はあくまで租借地だった、と言う事ぐらいは覚えておくと面白いかも知れない。
つまり、前者は永久に中国に返す必要がなかったのにも関わらず、新界は99年の期限付きだったため、当初から1997年の7月1日には返還しなければならなかった。つまり、最初から返す事が決定していたため、イギリス政府はあえて新界地域への開発は放置気味にしていたらしいが、後の香港の爆発的な発展により人口も急増、それまで放置していた新界にも目を向けざるを得なかったため、同地域も1980年代以降急速な発展を遂げた。
これにより、新界なしでは香港はありえない、と言う所まで来てしまったのと、九龍側との境目もすでに街のど真ん中、よって新界だけ返還と言うのは現実的に不可能となってしまったため、本来返還の必要のなかった香港島と九龍も返さざるを得なくなってしまった、と言う事。一応、返還後50年は1国2制度を守る、との取り決め自体はされたものの、近年の中国政府による香港の中国化、それによる香港市民の不満の爆発ぶりなどを見る限り、「新界も永久割譲であれば良かったのに」と思わざるを得ないが、もう今さらどうしようもない話。
前置きは長くなったが、3つのエリア毎に歴史的経緯はあり、後の歴史にも大きく関わっていく事にもなるので、短期間の旅行でもこの辺りの知識は最低限カバーしてもらえれば嬉しい限りです。
空港が位置するChek Lap Kokは新界、鉄道とバスのエアポートリンクは九龍を経由、そして香港一の観光地であるビクトリア・ピークは香港島のど真ん中と、最初に香港を訪れる人でも、無意識のうちに3つのエリアをすぐに訪れる事になると思う。それぞれに特色があるものの、やはりイメージ的にメインとなるのは「香港」の名を冠する香港島サイドの印象が強くなると思う。実際、私も最初はそうでした。
しかし、何度も足を運んでいくうちに、次第に香港島に渡る機会は減っていき、滞在時のほとんどは九龍か新界サイドで過ごすようになっていった。ようはつまり、「香港島が好きではなくなっていった」と言う事。自身の定番の宿は常に重慶大廈なので、そこから香港島へは当然フェリーかMTRを使わなければならなく面倒、と言うのがやはり大きいのだけれども、それを差し引いたとしてもやはり九龍、新界側の方が好きだと言わざるを得ない。
なので、香港島へ足を運ぶ時は、いまでは「かなり具体的で明確な」理由がある時に限られるのだけれど、逆にあえてそんな「香港島が好きじゃない」自分から見た「香港島観」みたいなものをここで紹介していこうかと思う。大分前置きが長くなったけども。
今でこそ、MTRでもバスでも、たやすく両岸を行き来できるようになったとは言え、それらが完成する40年前以上の時点では、今も現役のスターフェリーに頼るしかなかった。一度でも乗ってみた事がある人なら分かるだろうけども、とても電車のような輸送力は望めない乗り物、必然的に人々の行き来も今より遥かに少なかった事は容易に想像出来る。よって、同じ香港でありながら、両者は別々の発展を遂げてきた。
「燃えよドラゴン」のメインタイトルで見える高層ビル群は、もちろん香港島サイドだ。早くからイギリス人による統治が進んできたおかげで、街中には近代的な建物が立ち並び、イギリス人が勝手に付けた英語の地名も多く、元々の中国名とまるで関連がない、と言うのも珍しくない。英語名は単なるローマ字表記に過ぎない日本において、「金鐘=Admiralty」「香港仔=Aberdeen」と言う地名は非常に新鮮であり、未だにそれは香港の魅力のひとつとさえ思っている。
400メートルをゆうに超える高層ビルや、中国銀行タワーのような独特の建物も、日本ではほぼ建設不可能なだけに、11回も香港に足を運んだ今となってもそれは実に魅力的に映るものだ。確かにそれを見るだけでも価値はあるのだけれども、実際にそれが一番映える夜景は「九龍側から見た香港島」であり、香港島に居る限りそれは十分に堪能することが出来ない。
香港島から、尖沙咀のプロムナードまでの移動はそれなりにも時間がかかるので、やはり香港の最大の魅力の一つ、これを見たいがとなるとやはりどうしても香港島への移動にはためらいが生まれてしまう。さらに、香港の街中のイメージとして、道路の真上まで飛び出しているネオンの看板の印象が非常に強く、実際にそれは間違っていないのだけれども、近代的な建物が立ち並ぶ中環エリアではあまり見る事が出来ず、それを体感したいのであればやはりMong KokやYau Ma Teiなどの尖沙咀の北サイド、Nathan Road沿いがやっぱり最高だ。
しかし、そんな香港島にしか存在しない、ビル街を突き進むランドマーク的存在のひとつがトラム(路面電車)だ。パブリックな乗り物ながら、香港旅行には欠かせない乗物のひとつであるが、当然、渋滞に大きく影響を受けるので、「移動手段」として考えると、やはり多少高くても「MTRの方が楽で速くていいや」と思うようになってしまう。そして、安いがゆえに低賃金で雇われているフィリピン人メイドの方たちも多く見かけるのだけれども、最初の香港旅行が2度目のフィリピン留学の直後だったので、なんかまたフィリピンに帰ってきたような感覚に陥ってしまった。フィリピン人メイド自体はどこにでも見かけるので、それがトラムを否定する理由にはならないのだけれども、当時はやはり妙な感覚になってしまったものだった。
金鐘を離れると、割と庶民向けの繁華街であるWan Chaiや、世界一賃貸料の高いと言われるCauseway Bayなどが位置し、これらはガイドブックでも必ず大きく取り上げられている地区で交通の便も良いので、ビギナーでもまず立ち寄る場所だろう。もちろん、最初は何度となく通ったものだけれども、次第に後者ですら通う回数は減ってしまった。理由は明確であり、まず港島線の駅が「とてつもなく深い」事。おそらく、昔は一帯が埋立地だった事も影響しているのかも知れないが、他のMTR線と比べても異常にプラットフォームまで遠く感じてしまう。
そして、香港随一の繁華街だけあり、人口密度が異常に高い。利用人口に対して小さすぎる駅はもちろんの事、そごう目の前の交差点などはもう人の塊だ。街全体が新宿駅のようなので、やはり余程の理由がない限り足を運ぶのは辛くなってしまう。一応、ここにはランドマーク的存在の「そごう」が駅の真上に位置しているし、デパート内ももちろんほぼ日本そのまま、もちろん日本食レストランも存在しているので、日本人的には快適に過ごせる場所のひとつではあるのだけれども。また、ブルース・リーの死亡遊戯で使われた「Red Pepper Restaurant」も、駅から徒歩圏内で未だ現役で頑張っている。死後の撮影なので、当然直接本人が訪れて撮影された訳ではないのだけれども、物語上非常に重要な位置を占める場所なだけに、ファンなら必見の場所である事は間違いない。映画では気付きにくいが、実は目の前が若干坂になっている。
ざっとこんな感じであり、ほとんどの用事は九龍サイドで済ます事が出来るし、「いかにも香港」的なイメージも九龍側の方が印象強いので、慣れ切った今となってはわざわざ…と言った感じだ。しかし、まだこの辺りに関しては交通の便も良いのでまだ救いがある。もっと大変で行く気が起きないのは、反対側に位置するRepulse BayやStanleyなどの西洋人街だ。この辺りは次回に説明しようと思う。