ここ最近、今の環境であっても度々フィリピン留学について聞かれる事がままあるので、ここで改めておさらいしていこうかと思う。
時は2009年、当時流行り始めていたスカイプによるオンラインレッスンを続けてはいたものの、英語に対するモチベーションはまるで高まらないままだった。当時はまだ海外に出かけた事もなく、当然海外の友達もいなければ英字新聞も、そして英語版のウィキペディアにも目を通す事はなく、日常生活において全く英語に触れる必要のない、いわゆる典型的な日本人としての生活を送っていたので、それは今となっては仕方のない部分はあったと思う。
しかし、19歳の時に、神と崇めるブルース・リーと同じ言語、英語を必ずそのうち話せるようになって、日本に来ている外国人を助けれるようになる、と決心した以上、おいそれと諦める訳にもいかず、次第に「このままだらだらとオンラインレッスンを続けるだけではダメだ。」と思うようになっていった。
そして年明けまもない頃、グーグルの検索結果でたまたまフィリピン留学の宣伝を目にした。相当数の日本人にとって、英語留学と言えば真っ先に思い浮かぶのはやはりアメリカやイギリスと言ったネイティブの先進国であり、自分自身も例外ではなかった。しかし、そちらの国に長期留学するとなると途方もないお金が必要となるので、当時の私にとってはとても現実的な選択肢ではなかった。そもそも、それ以前に根本的に「海外行けば英語ぐらい話せるようになって当然」と言う考えがあり、天邪鬼な自分としては、だったら日本に居るだけで英語を話せるようになってやる、と言う意識が強かったものだから、例えお金があったとしても実行に移すことはなかったと思う。もちろん、今となっては海外に居るだけで話せるようになる、なんて事は幻想に過ぎず、どこに行こうと個人の努力次第である事は変わらないんだけども、当時の自分は一般的な日本人と同程度の知識しかなかったのだ。
しかし、たまたま表示されたフィリピン留学のサイトを閲覧していくうちに、次第にそのような考えは覆されていくようになる。前述のよう、当時はまだ日本を脱出した事もなかったし、するつもりもないと思っていたから、外国の知識などほぼ皆無に等しかった。それは香港ですらも。当然、フィリピンに対しても同じだった。
そんな自分であったが、フィリピンが日本人英語学習者にとって大変相応しい場所である、と言う事を知るに時間は要さなかった。少なくとも、自分にとっては遥かに欧米よりも魅力的に映った。まずは、何といっても費用の安さだ。当時は円高が進行中と言う事もあり、トータルな金額では3分の1程度に抑えられる。しかも、欧米では授業料と住居が別々なのに対して、フィリピンではほとんどが学校と寮が同じ敷地内、さらに初期費用には前2者はもちろんの事、3食まで含まれる。そして現地の物価も格安。
さらに、グループ授業が当たり前の欧米に対し、フィリピンでは必ずマンツーマンが用意される。シャイで文法の間違いを極端に恐れる日本人にとって、1日4時間ものマンツーマン授業と言うのは大変魅力的だ。もし、欧米でマンツーマンを付けるとしたら、一般庶民にとっては途方もないお金が必要となるだろう。そんなこんなで、年明け間もない2010年1月、このままではいけない、何か思いっきり集中して英語を勉強出来る環境が欲しいとずっと思っていた自分にとっては願ったりかなったり、気持ちは一気にフィリピン留学に傾いていった。
しかし、ひと口にフィリピン留学とは言っても、現地には無数の英語学校があり、さらに都市にもそれぞれ特色がある。最初は、学園都市と言われるイロイロが候補に挙がり、ほぼそこに決めかけていたんだけども、地方都市のため日本からの直行便はなく、現地で国内線に乗り継ぎしなければならないという。と言っても、1時間ほど余計に乗るだけなんだけども、当時は飛行機にすら乗った事がなく、現地乗り継ぎ、と言うのが大変に不安な要素として残った。そして、航空券は基本個人手配となるため、果たして日本からイロイロ行きの券が予約出来るかも分からない。結局、そんな理由で諦める事となった。
マニラは初めから頭になかったので、イロイロがないとなるともう選択肢はセブしかない。となると、後は学校選びだけとなったが、いくら欧米よりも格安とは言え、航空券やビザ代などを考慮すれば、やはり最低でも3ヶ月で50万ぐらいは費やしてしまう以上、失敗は許されない。結局、1月に決意してから決まるまで4ヶ月近く要してしまった。
その間、最終的に候補に挙げていったのが、スパルタ学校として有名な老舗のSMEと、当時はまだ比較的新しい学校で、リゾート型タイプとして評価の高かったEnglish Fellaの2つだった。ただ、もちろん3ヶ月の間に出来る限りの英語力の向上を目指していきたかったので、1日最大11時間のクラスが用意される、と言った前者は自分にとっては大変魅力的に映り、一時はほぼそれに決めかけていた。しかし、改めてレビューを読んでいくうちに、初めての海外、留学で果たしてそこまで勉強出来る気力が続くだろうか?勉強も大事だけど、それ以上に現地に適応する余裕も必要なのではないだろうか?そんな不安がよぎっていくうちに心境の変化が起こり、最終的には4月半ば、ついに後者のEnglish Fellaに申し込みを果たした。
シングルルームに空きがなく、出発は2ヶ月後の6月26日となってしまったけども、もしSMEにしていたら5月の下旬には出発する予定だった。結果的に、この時の選択が後の運命を大きく左右する事となる。もちろん、今となってはSMEの選択肢は永久にない訳だから、もしそれを選んでいたかどうなったかは永遠に知る由もないんだけども、後のEnglish Fellaでの素晴らしい3ヶ月の思い出を考えたら、本当まさに運命的な選択肢であったと思わざるを得なかった。
それからの2ヶ月は、準備に費やしていった。海外はおろか、飛行機すら初めて。しかも現地・マクタンまでは一人旅。正直、何が必要か、いらないのかも良く分からなかった。幸い、どこのサイトにも最低限必要なグッズの一覧はあったのでそれを参考にしていったけども、今となっては無駄なものも多く、初めて買った最大タイプのスーツケースがすでに行きの時点で20Kgほどとなってしまった。
その無駄なもの筆頭と言えば、まず変圧器だった。ほとんどの電源は国際仕様に対応しているので、本当にこれが必要だったのは、ドコモのガラケーのACアダプターだけだった。しかも、ローミング対応しているとは言え、基本現地で使う必要のないものだ。他にはニンテンドーDSも変圧器が必要なのだが、それは持って行かなかったので、ほとんど現地で使う必要のないガラケーのみのために持って行ったようなものだった。
また、現地ではリージョンフリーのDVDプレイヤーが必要だと思っていったので、わざわざ新たにリージョン変更可能なポータブルプレイヤーを町田のヨドバシカメラで購入したのだけれども、現地ではいわゆる日本では完全イリーガルな某DVDビデオが無数、当然リージョンが固定されているはずもないものばかりが容易に入手可能だったので、これもDVDドライブ付きのノートパソコン持っていけば済む事だった。つまり、プレイヤーは別に購入したので、これも当時そこそこ流行っていたノートブックまで新たに購入していったのだけれども、とにかく処理速度が遅く、しかも筐体が小さいがゆえのキーボードの押し辛さ、これも持って行って大失敗だったうちのひとつだった。
そんな感じで、初めてが故の失敗もあったりしたけども、基本現地でほぼ入手不可能なものと言えば、せいぜい英和辞典と電子辞書ぐらいものものであり、買い物に関しては巨大モールのおかげで全く不自由はしなかったと思う。それらに関しても、今ではスマフォにインストールしている人がほとんどだと思うので、改めて買う、と言う人も少なくなったと思う。
お金に関しても、モールに行けばPLUS付のATMがあるので、国際キャッシュカードがあれば自由に引き出し可能だ。元々、ヤフオク目的で作った新生銀行のカードだったけども、まさかこんな風に役に立つとは発行当時には想像も付かなかったものだった。
以降の思い出に関しては、当時リアルタイムで綴っているので改めて語る必要はないけども、3ヶ月と言う短い間ながら、自分なりに必死になって勉強したおかげで、日本に居たら絶対に不可能なほどの英語力の向上を果たせたとは思う。もちろん、全ての要素をバランス良く勉強する事になるんだけども、個人的には会話力よりも文法力の向上を強く実感出来た。特に、日本人が苦手とするat, on, inの前置詞や、aとtheの違い、必要性などをはっきりと認識、マスター出来た事はとても大きかった。発音も、こちらも日本人が苦手とするTHやLRなど徹底的に教え込まれたし、今なお発音に関しても普通の日本人よりもレベルが高い、と言う自負がある。もちろん、その後も今に至るまで勉強は続けているので、当時よりも遥かに向上しているとは思うけど、全てはフィリピン留学でのベースがあったからこそ。それなしで、今の自分はありえなかった。
そして、何よりも大きかったのは、留学前には皆無だったグローバル志向が身についていった事だった。英語イコール共通語、と言うのも初めて肌で実感する事が出来たし、外国人の友人も多く出来た。飛行機に乗る恐怖もなくなり、見知らぬ外国の土地を一人歩きする刺激も体験出来た。それが、後の香港や台湾、そしてアメリカでの一人旅の礎となっているのは間違いないし、フィリピン留学は英語だけではなく、ひとりの人間としての成長にも大きな影響を与えていったと思う。繰り返しになるけども、これなしで今の自分はない。それほどまでにひとりの人生を大きく変えたフィリピン留学、これから検討している人たちは是非新しい自分を見つけるために挑戦していってほしい、と思います。