「1976年のアントニオ猪木」や、「ぼくの週プロ青春期」にインスパイアされたかのような、元ファミ通ライターによる1冊の本、その名の通り筆者が1989年にアルバイトとして初めて加入した時の回想録であり、ちょうど私がファミコン通信を読み始めた年でもあるため、非常に懐かしい思いで読ませていただいた。
私はバリバリのファミコン世代であるため、当時から2000年ぐらいまでの家庭用ゲーム機の流れ、主流などは一通り説明は出来るぐらいの知識がある。当然、ゲーム雑誌においてでも同様であるが、実はファミコン通信においては、数多いファミコン雑誌の中でも最も遅く読み始めた本であったと思う。
最初に、ゲームの情報源としていたのは、男子小学生のバイブル、コロコロコミックだった。裏技、と言う言葉を最初に使用したのも、小学館、コロコロコミックだったし、史上初の全国規模のファミコンキャラバン大会を開催したのも、小学館だった。当時、マイコンベーシックマガジンやBeep!などがすでにアーケードゲームなどの特集をしていたと言われるが、少なくとも小学校低学年の中での認知度は皆無。私も、後にゲームの歴史を後追いした上でようやくその名を知ったほどだった。
しかし、1985年9月、スーパーマリオブラザーズの発売をきっかけに、爆発的なファミコンブームが到来、専門誌ではないコロコロだけでは次第にカバーしきれなくなっていった。しかも、当時はハドソンと蜜月な関係にあり、対して面白くなさそうなゲームであってもプッシュされると言う偏り、そして「キン肉マン」をきっかけとして増えてきたバンダイ発のジャンプ系ゲームは一切紹介されないなどの弊害もあったため、次第に子供たちは専門誌へとシフトしていくこととなる。
ファミ通の創刊まで、私の覚えている限り、ファミマガ、マルカツファミコン、そしてファミコン必勝本がすでに月刊誌として定期刊行されていたが、小学生間においてダントツの人気と知名度を誇っていたのは、やはり老舗の徳間書店発行、ファミリーコンピューターマガジンだった。他の2誌も読んだ事がなかった訳ではないけど、当時の私的にはどうも嗜好が合わず、ファミマガ以外の雑誌を買う事は滅多になかった。
そんな中、スーパーマリオ2が発売された1986年6月、ひっそりとファミコン通信が創刊される。しかし、すでに前述のようファミマガがNECのPC98如く、「絶対王者」として圧倒的なシェアを誇っており、少なくとも自分にとって他の雑誌を読む、と言う選択肢はなかった。よって、ファミ通も翌年、堀井雄二原作の「オホーツクに消ゆ」がアスキーからリリースされた時に、若干立ち読みした記憶がある程度で、創刊から実に3年近くの間一度も購入する事はなかった。
そんな自分が初めて購入したファミ通が、1989年の10.11合併号、ちょうどゲームボーイがリリースされた直後だったと思う。奇しくも、筆者の田原氏の原稿が初めて掲載された号でもあった。もちろん、何故手にとったかは覚えてもいないけど、単純に読み物として面白かったし、ペンネームとは言え署名記事でライターの個性が思い切り際立っていたのも新鮮だった。署名記事がなく、ライターの色を抑え話題はゲームだけ、と言う超硬派なファミマガとは全くもって対照的だった。
そしてゲームとは全く関係のないバカ記事も多かったし、当時雑誌と言えばジャンプかゲーム雑誌しかない私にとって、世の中の流行りに対しても貴重な情報源だったと思う。どうしてこういう誌面作りが許されたのか知る由もなかったけども、その謎についてもようやくこの本で知る事が出来た。つまり、最後発でまともに記事にしてたら勝てっこないんだから、思いっきり面白い記事を書いていこう、と言う事だったらしい。「すべての記事はおもしろくなくてはいけない」-私がファミ通に惹かれた理由がここにあった。
それ以来、当時は話題作も目白押しだった事もあって、ファミマガも相変わらず読んではいたが、ファミ通も同じく定期的に買うようになっていった。当時、私が持っていたハードはファミコンに加え、ゲームボーイとPCエンジンだった。前2つはともかく、後者はちょうどCD-ROM2などの発売で勢いづいてきた事もあり、またメガドライブやアーケードゲームの紹介も詳しく行われていたので、ファミコンだけでは物足りなくなってきた自分にとってそれもありがたいものだった。
ドラゴンクエストIVの話題で持ち切りだった年末年始にかけて、何故か一度買わなくなった時期こそあったものの、それ以降はほぼメインはファミマガからファミ通へと移っていったと思う。そこから、1991年7月の週刊化まで、ほぼ毎号のペースで買っていった。週刊化になってからは、正直一冊のボリュームが薄くなっていったのは否めなかったので、個人的には隔週刊の方が良かった、とは思う。それでも、家庭用雑誌としてはナンバーワンだったので読み続けてはいたが、当時はストリートファイターIIの人気が大爆発、次第に私もアーケードにシフトしていった事、そしてアーケードの移植物が多いPCエンジン中心になっていた事などが重なり、とうとう翌92年6月で読むのを辞めてしまった。
それ以来、クロスレビューの特集があった時にたまに買う程度であり、最後に買ったのもおそらく創刊号の復刻の付録が付いた号、つまりおそらく10年以上は前だろう。ゲーム自体滅多にしなくなり、ゲーム雑誌コーナー自体で立ち止まる事すらなくなってはしまった今となっては、隔週金曜日と月末に最新号を心待ちにしていたあの頃が懐かしくて仕方がない。