NYCで真っ先に訪れたい場所、それがヤンキースタジアムであった事は前に述べたとおりだ。しかし、実を言うと本当はそれだけではなかった。にも関わらず、何故これまで触れることはなかったか、それは建物を周りから見ただけで、結局実際に入る事は一度もなかったからだ。
その建物とは、オフィスからも徒歩1分程度の場所の8番街・34ストリートに位置し、マンハッタン最大級のターミナル・ペンシルバニア・ステーションの真上に位置する巨大な円形状の通称"The most famous sports arena in the world"、そう、マジソン・スクエア・ガーデンだ。
何故その場所なのか。それは、少なくとも1980年代までは、世界中のプロレスラーにとって、その舞台に上がるだけでも最大級の名誉、と言われた「プロレスの殿堂」だったからだ。もちろん、それはファンにとっても同じだ。1980年代半ばまで、新日本・全日本はもちろんの事、テレビ東京の「世界のプロレス」までもがゴールデンタイムで放送されていた。もちろん、相対的に子供のファンも多かった。最近でこそ、プロレス人気が復活し、「プロレス女子」なんて言葉も出来ている昨今ではあるが、まだマニアックな印象は拭えないだろう。しかし、ゴールデンが当たり前だった当時、馬場、猪木は別格としても、藤波や長州、そしてジャンボ鶴田の知名度は、巨人の4番が普通に世間に知られているのと同じように、プロレスを知らない人たちの間でも普通に浸透しているほどのものだった。つまり、まだまだ大衆娯楽としての側面があったのだ。
そして、前述のよう子供のファンも普通に多かったのだが、特に1980年代前半は、初代タイガーマスクやザ・ファンクス、ミル・マスカラスとそしてザ・グレート・カブキの凱旋などもあり、おそらく歴史上最も子供のファンが多かった時期だろう。初代タイガーが引退してからは、大分落ち着いた感はあったものの、80年代半ばまではその名残で、本屋に子供向けの本も多かった。
そんな環境でプロレスを知れば、必ずアメリカのマット界の情報も自然と得る事となり、「プロレスの殿堂=NYCのMSG」と言う認識は当たり前のように刷り込まれていく。本を読むほどではなくとも、当時の新日本プロレスはWWEと業務提携しており、MSGシリーズなどの大会も開催されていたから、嫌でもその3文字は目にする事になっていたのだ。
WWEが全米進行開始後も、記念すべき第1回目のレッスルマニアが開催され、節目となる10、20回目の大会もMSGで開催された。しかし、レッスルマニア3においては、当時屋内会場で新記録となった9万人を動員し、日本でも新日本プロレスがドーム大会を定期開催するなど、5万人規模の大会が当たり前のようになり、次第に動員2万人程度のMSGの影は次第に薄くなっていた。実際、昨年の30回目はMSGでは開催されなかったし、かつてのような定期開催も行われなくなってしまった。今年も、2月に1回開催されたこっきりで、あいにく私の滞在中に開催される事はなかった。
もちろん、他のコンサートやスポーツは定期的に開催されており、またアリーナツアーも行われている事から、入る事自体は困難ではない。しかし、野球とプロレス以外にはまるで無関心の私、そんな私にとって、後者が開催されていないMSGに行くつもりはさらさらなかった。
とは言うものの、前述のよう、ヤンキースタジアムに次いで、NYCで最も訪れたい場所のひとつである事に変わりはなかった。さらに、立地的にも抜群だ。タイムズスクエアを筆頭に、マンハッタンにおける中心街のみどころは大体ミッドタウンからロウアーマンハッタンにかけてとなるので、34ストリートに位置するMSGは、歩いていれば自然と辿り着けるような場所に位置している。最高のロケーションだ。
雑誌などで過去に何度も目にしてきた、あまりにも有名な円形状の建物。そして今から50年前、日本人大リーガーなど考えもしなかった当時、唯一アメリカで通用し、そして日本人として初めてMSGでメインを張り、一夜にして数万ドルを手にした「東洋の巨人」、ビッグ・ショーヘイ・ババ。カール・ゴッチとのトレーニングで身につけた、当時誰も想像が付かなかった大技「ドラゴン・スープレックス」を引っさげ、WWFジュニアヘビー級王座を戴冠と言う大偉業を、世界最大のひのき舞台でやってのけた藤波辰巳(当時)。
奇しくも、私が訪れた1ヶ月前、当の藤波選手も、レッスルマニアの殿堂入りセレモニーに呼ばれた際に立ち寄ったそうであるが、数々の偉大な歴史を彩ってきたプロレスの殿堂を目の当たりにし、さすがの私も熱いものを込み上げずにはいられなかった。
まあ前述のよう、MSGはもちろん、近辺でもWWEの大会は開催されなかったので、せっかくのプロレスの本場に居るにも関わらず、現地でプロレスと関わる事は皆無であった。しかし、オフィスはそのMSGからわずか徒歩一分、世界的アリーナのほんとうに側で働いている事が出来る、と言うのは私の気分を高揚させるに十分だった。しかも、正直平日オフィスにおいては辛い事がほとんどだったので、なおさらそんな気持ちは必要だった。
さすがに、日常生活においてWWE関係のものを目にする事は皆無であったが、一応知名度だけは高いため、行き着けとなったフォレスト・ヒルズ内の本屋さんにおいて、プロレス関係の書籍は目にする事ができ、ちょうど日本では入手困難な、WWEやレッスルマニアのヒストリー本なども購入する事が出来た。また、映画俳優としても大成功を収めた「ドュエイン"ザ・ロック"ジョンソン」の知名度は抜群であり、天下のタイムズスクエアを初めとして、テレビ番組の広告は当たり前、雑誌の表紙になっているのも目にした。先述のよう、一般的にはほぼ映画俳優としての認識でこそはあるものの、彼のサクセスストーリーがWWEのスーパースターとして始まったのは疑いようのない事実であり、どんな形だろうと彼の姿を公共の場で当たり前のように目にする、と言うのは、長年プロレスを見てきた者にとってはこれ以上ない誇りであった。