まず基本的なニューヨークの知識であるが、我々日本人が真っ先に思い浮かべるのはマンハッタンだ。そのマンハッタンはニューヨーク市を構成するひとつの区であり、その他クイーンズ、ブロンクス、ブルックリン、そしてスタテンアイランドの計5つの区で構成されている地区をまとめて「ニューヨーク市」と呼ぶ。
つまり、野球の殿堂などはニューヨーク州に位置しているものの、ニューヨーク市ではないため、同じニューヨークと言っても大きな違いがある。この辺りの市と州の違いは、多くの人は実際に来て見ないと実感しづらいものがあるかも知れない。そして、その中で中心的存在となるのはもちろんマンハッタンだ。ミュージカル、タイムズスクエア、ウォールストリート、セントラルパーク、メトロポリタン美術館など主要なエンターテイメントやビジネス、そして観光スポットなどはほぼこの地区に集まっている。
当然、そこに住居を構えるには途方もないお金がかかり、平均の家賃だけで月3000ドルはくだらないという。ただでさえ物価高のニューヨーク、中流階級以上でないととてもマンハッタンには住む事は出来ない。よって、関東のベッドタウンよろしく、多くの人たちはマンハッタン以外の地区に居を構える事となる。もちろん私もそのうちのひとりだった。
私の住居はクイーンズのエルムハーストに位置していた。ちょうど同じ名前の駅が存在するので、グーグルマップからでも分りやすい。前回も述べたが、2ブロック先、徒歩2分の位置に住んでいた。6ヶ月や1年なら自転車の購入も考える所であるが、3ヶ月では徒歩に頼らざるを得なかった。ローカルしかとまらない駅ではあるものの、1個隣へ着けば急行に乗り換えられるので、利便性は素晴らしいものがあった。
ニューヨーク市にはMTAが管轄する地下鉄と、ロングアイランドシティを結ぶ鉄道、そして各都市を結ぶアムトラック線など多種多様な鉄道網が存在するが、もっともお手軽なのは地下鉄であり、最寄のエルムハースト駅もそのうちのひとつだ。
ここまで読んでくれた方で、ちょっと東京の地下鉄事情などに詳しい方であればピンと来たのではないだろうか。そう、マンハッタンの地下鉄は緩行線と急行線が存在するのだ。つまり、小田急線で言えば代々木上原~登戸間の複々線が延々と続いていくような感じだ。地下鉄は維持費・建設費ともに地上とは比較にならないぐらいの莫大な予算が発生するため、日本で地下鉄の複々線などまずありえない話だ。急行線は一部では存在するものの、どの線も低速で走行し、基本的に追い越しも出来ない。ほとんどの地下鉄が各駅なのはそのためだ。これは日本だけの例ではなく、世界的にも同様で香港や台湾の地下鉄もそうだ。
しかし、そんな「常識」がNYCでは通用しない。主要な線においては、ほぼ複々線制度を強いており、もちろん最寄のエルムハーストもそうだった。日本ではまず見る事の出来ない、地下鉄の複々線。急行線を猛スピードで通過していく急行・E線は、私にとって新鮮な事この上なかったものだ。
しかし、実際の運行となると褒められたものではなかった。まず、遅延がひどい。時刻表が存在しないのは他国では一般的なので、それは仕方がないが、信号関係のトラブルが異常に多く、遅延のない日はない、ぐらいに頻繁に発生した。しかも、何故か帰りのラッシュに限って多い。時間通りにきっちりこなす日本人、これは最後までイライラさせられた。
そして衛生面の酷さだ。マンハッタンはそこまででもないが、移民の多いクイーンズ周辺の駅の酷さは目を覆うものがあった。地下鉄の駅と言えば誰もが近代的な建物を想像するだけに、初めて最寄り駅を訪れた際のショックは今でも覚えている。
タイムズスクエア駅などでのパフォーマンスも有名だが、これはアメリカならではの光景だった。しかし、たまに列車内に入ってきて突然歌われたり、踊ったり、さらには布教活動まで行われてしまうのには閉口した。下手に反応するとチップを要求されるので、常に聞いてないフリを貫き通していた。
少々長くなってしまったが、車がなくても生活出来るのは地下鉄があるからこそ。そして、自分の場合はUnlimitedのメトロカード、つまり1ヶ月乗り放題のカードを持っていたから、ほぼ毎日自分の足のように使っていたものだ。
そんな訳で、マンハッタンに住めるほどの余裕がない人たちでも、この地下鉄のおかげで住居は他方、仕事はマンハッタン、と言う生活が難なく送れた訳だ。しかし、家賃がそれなりの場所となると、どうしても移民が多く住む場所にならざるを得ない。私の住処周辺がどのような状況だったのか、と言う事は前回述べたが、治安こそ悪くはなかったものの、やはり日本人として恵まれた環境に育ってきた私からすれば、彼らの生活にアジャストする事はなかなか容易ではなかった。
話を戻そう。そういう訳で、エルムハーストには生活環境以外で見るべき場所もなかったので、時差ぼけが治らないまま、翌25日にはマンハッタンへと向かっていった。前日は割と普通の時間に眠れたので、大丈夫だと思い早朝から向かったのだが、それは甘い考えだった事を知る事となる。
まず初めに向かったのは5番街周辺だ。理由は忘れたが、おそらくアップルストアが目に入ったのだろう。これまで日本と香港の店舗には訪れた事あるものの、何と言っても本場だ。近くにはセントラルパークやプラザホテルなどの名所もある、そして五番街と言えば世界の一流中の一流ブランドが、これみよがしに並んでいる。理由はどうあれ、観光客でも絶対に訪れる場所のひとつだ。
ただ、ひとつ重要なリサーチを忘れていた。アメリカにはパブリックなトイレがほとんどなく、地下鉄の駅にも皆無。あっても使用禁止。当然犯罪防止のためだ。なので、借りるにはデパートやマック、スタバにでも行くしかない。しかし、五番街、54ストリート周辺ではほとんど見る事が出来ない。実際はプラザやペニンシュラなどの一流ホテルでも借りる事が出来るのだが、その辺りのリサーチが甘かった。間一髪、小さな食堂で発見し、無事事なきを得たものの、以降は常に気を配るようになった。家に帰って地球の歩き方を開くと、なんとトイレマップなるものが付いていた。
五番街で目に付いた建物と言えば、やはりユニクロだ。何故ユニクロなのか。それは、NYCにおいて唯一自然に見かける事の出来る日本企業だったからに尽きる。ここ数年、政府自らクールジャパンの名目で日本文化を各国に配信、テレビでも外国人に日本を凄いと言わせるプログラムが後をたたない。そんな環境に居ると、世界のどこにいっても日本のコンテンツは大人気、と言う錯覚を自然と植えつけられてしまう。
実際、香港や台湾では間違ってはいない。むしろ、日本製品やキャラクターを見ない方が難しい。それほどまでに浸透しているし、Made in Japanの価値はアジアでは不動のものとなっている。
しかし、悲しいかな、そこはアメリカ。アメリカにおいて日本のコンテンツが「意識せず」目に耳に入ってくる事は皆無に等しい。日本食レストランもない事はない。しかし、アベニューと呼ばれる縦の大通りにはほぼなく、どの店も地価の安そうな裏手の路地ばかりに位置している。では、切り札とも言える漫画やアニメはどうか?2chなどでは、「欧米でも大人気なんて謳っているけど、本当はオタクだけのものだ。好きだと知られると恥ずかしい」なんて、小ばかにしたコピペを目にする事がままある。
残念ながら、少なくともアメリカにおいてはほぼ真実と言っていい。どこの本屋にもコミックスのコーナーはあるものの、ほぼメインとなっているのはMarvelだ。漫画はMangaというジャンルであるにはあるが、悲しいぐらいに隅っこに置かれている。当然、ポスターなど貼られているはずもない。ブルーレイやDVDは見る事が出来るが、そもそもアマゾンの本場、その手のお店を見つける事自体すら難しい。
幸い、ミッドタウンには紀伊国屋とブックオフがあるので、日本のコンテンツを入手するのはたやすい。もちろん、漫画も日本語・英語両バージョンが販売されている。しかし、お世辞にも盛況とは言えなかった。アメリカではマーベルとディズニーには絶対勝てない、それが私の結論だった。
ビデオゲームで一時代を築いた、Nintendoの知名度は絶対だ。実際、1990年代まで、アメリカでビデオゲームの事をそのまま「ニンテンドー」と指した。タイムズスクエアにたむろする、チップ目当ての気ぐるみ連中で、日本発、というかアメリカ以外の国発祥のキャラクターで目にするのはマリオだけだ。しかし、それでもゲームの広告を目にする事などはめったになく、さらに現在はPS4とXboxOneと言うライバルの後塵を押しているので、任天堂の威光は薄れつつあるようにも見えた。
再度話を戻す。観光客がマンハッタンで目指す場所、と言えばなんと言ってもタイムズスクエアだ。もちろん、私も真っ先に行きたかったし、実際非常に分りやすい場所に位置しているため、初めてでも行くのは容易だ。しかし、どういう訳だか行くまでにかなりの時間を要してしまった。それだけに、初めて目にする「世界の交差点」は凄いの一言だった。正直、高層ビルなどは数こそ多いものの、高さだけなら香港も負けていないので、さほどの衝撃もなかった。しかし、タイムズスクエアは本当にここだけのものだ。しばしその存在感に圧倒されっぱなしだった。
そして、近くには有名なMマークのマクドナルドがある。長年マックに関わった自分が、とうとう本場の味を口にする事が出来るのだ。一部メニューは基地にも存在するが、スケール的には正直言うと、テリヤキの販売出来ないマクドナルド、と言った感じだ。本場はスケール、メニューの豊富さなど、とても比較になるものではなかった。ひとまず、基地にもないクラブハウスを注文した。もちろん味に間違いはなかったが、価格を見て唖然とした。消費税を足すと軽く9ドル近いのだ。後にクレカの明細を見ると、1000円を超えていた。日本のWクォーターのセットでさえ800円行かないぐらいだ。
ネット上では、日本のマックは高い高い、の声で溢れているが、世界的に見ればまだまだ安い、少なくとも、アメリカの価格を知ってしまったら最高値とは言えないレベルだ。しかし、ほとんどの日本人はその事実を知らない、色々不祥事があったにせよ、必要以上に叩かれている日本のマックはさすがに気の毒と言わざるを得ない。
その後、時差ぼけからか突然体調が悪くなり、そのまま電車で地元へと向かった。ただ、週末はあちこちで工事が行われているためルートがしょっちゅう変更するのと、マップに慣れていなかった事もあって、手前のルーズベルト駅で降りてしまい、10分ほど余計にある事になってしまった。同時に、初めて本格的に地元の大通りを歩いていった瞬間でもあった訳だけども、中国語やハングルの看板ばかり目について、「アメリカなのに…。」と再度複雑な気持ちにさせられたものだった。