企業決定~渡米準備。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

無給でも大丈夫、との趣を伝えると、早速エージェントから無給であれば可能性は高くなる、との連絡を頂き、その翌日にはもうニューヨークとニュージャージー州から5つほどの企業がピックアップされてきた。はっきり言ってしまえば、自分はアメリカに関しての事は野球とプロレスを経て得れる以外の知識は皆無に等しかったので、この2つからとなるとニューヨークしか考えられなかった。もちろん、一度は掴み掛けた世界一の都市への就労だ、2度とあるか分らないこの機会を逃すわけにはいかない、と言う気持ちももちろんあった。

当然その中には飲食店は含まれておらず、出版業界や不動産関係など遥かに多種多様なものであった。しかし、はっきり言って自分にとってはまったくピンと来るものではなかった。中学生の頃、ゲーム雑誌を愛読していた私は、一瞬出版に携わる仕事をしてみたい、自分の文章を世の中に広めてみたい、と言う思いもなくはなかった。しかし、特に購読する本もない今となっては完全に過去の話だ。後者の不動産関係などは、知識はおろか興味すら皆無であったので、おそらく面接した所で意気込みの低さを見破られるのは目に見えていた。

「なんかいまいちだな」そんな気持ちでPDFを開いていった所、最後に目にしたのがNYの現地旅行代理店だった。これまで通り、香港を中心に海外には何度も足を運んでおり、海外旅行はすでに趣味のひとつといえるものとなっていた。もちろん、留学を除けば全てが個人旅行、ツアーに参加するなどありえない思考の持ち主だから、業界そのものへの関心と言うのは決して高くはなかった。しかし、仕事内容にあるガイド業には一瞬で目を引かれた。私とリアルで関わりのある方たちは良くご存知だとは思うが、私は人を笑わせたり、愉快にさせたりする事に生きがいを感じるタイプだ。もちろん、人に教えたり案内する事もそれなりに経験してきた。そして何といっても世界一の都市だ。これしかない、即決だった。

そこからはホントトントン拍子に事が運んだ。わずか数日で面接がセッティングされ、その面接自体も5分で終了、最初のメールから2週間も経たないうちにあっさり、本当にあっさりとNY行きが決まってしまった。このシチュエーションは前回のうどん屋に続き2回目なものの、正直なところその際はJ1ビザと言う大きな難関があり、さらに自分のキャリアでは及ばないかもと言う不安がすでにあったため、とりあえず第一関門をクリア、と言うぐらいの認識だった。しかし、今回はノービザであるため、「面接合格=NY行き」は99パーセント確定だった。3ヶ月とは言え、人生初のアメリカ、しかも誰もが羨む世界一の都市NY、さすがの私も感無量だった。

渡米時期も双方の希望が一致し、4月のGW前と言う事で確定した。つまり、渡米までわずか2ヶ月しかない、それまでに最低でも航空券と住居は絶対に決めなければならないので、まずはそれが最優先事項だった。

航空券は自身での手配となったが、もちろん個人での購入などお手の物だ。個人旅行の経験のある方々ならご存知だとは思うが、基本的に目的地が同じであれば、経由便の方が安い。何故飛行機を2度以上使用しながら安いのかは良くは分らないが、少しでも出費は抑えたいのであればやはり有力な選択肢だ。もちろん、何度も台北経由の香港行きを利用していた事もあり、乗り換えもお手の物だ。と言う訳で、もっとも安かった12万のダラス経由・NY行きのアメリカン航空チケットを自身で手配した。

ただし、行きは問題ないが、帰国日をいつにするかが多少問題でもあった。ESTAの期限は90日だ。となると、4月24日を起点にした場合、リミットは7月22日となる。アメリカに一日でも長く居たい、と思っていた私は、当然ギリギリまでそれに近い日付にしたかった。しかし、飛行機には遅延やトラブルはつきものだ。万が一、90日を越えてしまうと向こう10年間はアメリカ入国不可能となってしまう。よって、最終的には2日前となる7月20日に帰国日を設定した。しかし、7月20日はブルース・リーの命日だ。自身の誕生日と同じぐらい重要な日を、機上の人として過ごす、それは正直避けたい所ではあったものの、出発日を4月24日と確定させてしまった以上、そうせざるを得なかった。

また、ダラス経由を選択した事で、片道の飛行時間が17時間前後となってしまったが、価格最優先で長時間移動の大変さなど全く考慮に入れていなかったため、後々大変な思いもする事となってしまった。もし、はじめからそれを理解していたのならば、高くてもJFKまでの直行便を選択していただろう、しかし、知る由もなかったこの当時は、いかに価格を抑える事しか頭になかった。

まあともかく、チケットに関しては早めに手配する事が出来のだが、住居に関しては多少の時間を置いて考える事となった。もちろん、私にとってNYどころかアメリカが始めてだ。NY市を構成する、5つの区についても当時はろくに知らなかった。一応エージェントから個人手配用のサイトURLを紹介はしてもらったものの、そんな程度の知識しかないのでは個人でどうできるはずもない。よって、これの件についてはエージェントに全てを委ねる事となった。

世界一レベルの物価高、そして住居高のNY、一人暮らしという選択肢は最初からない。あくまでホームステイかシェアハウスの二通りしかなかった。最初の希望は前者だった。NYと言う土地への不安はもちろんの事、一度アメリカ人と一緒の生活をアメリカ人の家で送ってみたい、それは誰しもが持つ憧れのひとつだろう。よって、早速その希望をエージェントに伝えてはみたものの、結局再考する事となった。何故か、やはり価格だ。最低でも1000ドル、2回の食事つきとなると1400ドル以上となってしまう。しかも、すでに120円を突破と言う円安、それを3ヶ月となると、まさに目玉が飛び出るほどの家賃となってしまう。地元・座間であれば、その1ヶ月分の家賃で3ヶ月は優にひとりぐらし出来るぐらいの部屋を借りれるだろう。NYと比較するのはあまりにもナンセンスな例えではあるものの、とても自分にはそこまでの金銭的余裕はなかったため、結局先方指定のシェアハウスを選択する事となった。

と言う訳で、渡米前にすでにかなりのお金を消費している格好となったが、実はJ1ビザ取得や、他諸々の費用を、2012年の時点ですでに振り込んでいた。そして、有給と無給は申込金も異なる。よって、上記住居やその他経費は、振込済みのお金と相殺してくれる事となり、またその金額が総額を下回っていた事から、16万円ほどのお金が戻ってくる事となった。

正直、コースを変更した時点でお金はどうなるのか、とずっと気になっていたのであるが、このように大変綺麗な形で処理して頂き、しかも申し込みから3年近く経っているにも関わらず、だ。本当に感謝しかなかったし、このエージェントを選んだのは本当に正解だった、と心底思ったものだ。

上記2点を2月下旬の時点で済ませた私は、あとは4月までの渡米を待つのみ、となった。それまでにやった事としては、新たに三井住友VISAカードを作成した事、「地球の歩き方」や「ロンリープラネット」を買い込んだ事程度のものであった。ただ、後者はともかく、前者はかなりのページをレストラン、ショッピング、そしてホテルに費やしているのが普通だ。しかし、私は前2つはまるで興味がないし、後者も住居が決まっている以上あまり読む意味もない。もっと現地の事を知っておくべき、なのは確かなのだが、結局渡米前に真剣に目を通したのはメトロカードの買い方と、ヤンキースタジアムの解説ページぐらいだった。この辺りは相変わらずの適当さだ、と我ながら思わざるを得ない。

そして、3ヶ月日本を丸々離れるのは、2010年のフィリピン留学以来だ。この時、渡航直前に後悔をしないため、周辺をすっきりさせたのは前にも述べた。今回はその時ほどでもなかったものの、それえでも渡米までにどうしてもしておくべき重大な事柄が存在していた。この辺りの事も、直接私を知っている人であればご存知だと思うし、あまりにもプライベートすぎる話題でもあるので描写はしない。一応3週間前にやれる事はやったのであるが、不完全であったため3ヵ月後の今でも未解決のままだ。

4月になりエージェントから最終確認と、各種書類の送付があり、自身も現地携帯電話の契約と、SIMロックフリーのスマフォをアマゾンから購入した。お金の事はクレカ複数枚はもちろんの事、長年愛用の新生銀行のキャッシュカードがあるため、何の問題もなかった。問題は携帯電話をどうするか、だ。この半年前に、ソフトバンクからドコモへ乗り換えた際に、iPhone6へと新調した。しかし、当然キャリア契約である以上SIMロックフリーではない。しかし、3ヶ月のみのために、10万円払ってまでアップルストアからロックフリー機を購入する気にはとてもならなかった。よって、格安のフリー機をアマゾンから購入し、SIMの契約はドコモUSAと行う事となった。幸い、最寄の相武台店が契約可能店舗だったので、渡米の3週間前ぐらいに無事契約を済ます事が出来た。

ここまで読んでいただき、ソフトバンクの文字にピンと来た方もいるかも知れない。そう、ソフトバンクには「アメリカ放題」があるのだ。現地のSPRINTという、キャリアとしては下位に位置するため電波状況は決して広くない、との事ではあるのだが、それでも、日本のiPhone6を何もする事なくそのまま現地で使用できる、と言うのはあまりにも大きいアドバンテージだ。まあiPhone6をきっかけとしてドコモに戻したかったのも確かだったので、後悔自体はさほどしてはいないものの、お金をケチったため新たに購入したフリー機はLTE非対応、当然使い慣れないアンドロイドOS、LINEアカウントも共有出来ない、となれば、たまに「アメリカ放題いいな」と思う事はしばしばであった。

そして渡米前最後のTOEICも無事終え、基地のATMでドルを引き出し、あとは渡航日の4月24日を待つのみとなった。