1年 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

今日であの日から1年ですね。

もちろん今でも鮮明にその瞬間は覚えているだけに、
あれから1年が経った、なんて信じられないぐらいです。

詳細は前にも書いたと思うけども、
その瞬間は準備も終わり家を出る直前に起こり、
テレビを押さえつつ何とか収まるまで凌ぐと、
いつも通りに店まで自転車で行き、
何とか辿り着くも店は閉店状態、
駅前は大勢の人で溢れているという、そんな光景が広がっていた。

あいにく社員が一人もいなかったものの、
そんな時にAさんはさすがのリーダーシップを発揮し、
不安に陥る皆をまとめていたのはさすがだった。

結局余震が続いた事もあり、
そのまま店はクローズ作業を行い閉店、
午後6時前には無事家に着いたと思うけども、
部屋のテレビで目の当たりにした事実はまさに地獄絵図だった…。

2日後にTOEICの試験を控えており、
翌日には中止が決定してしまうため、
大変な失望感を味わってしまうものの、
あまりにもの現実を目の当たりにしていくうちに、
正直そんな事は些細な事、
普通に呼吸して生きていられる事実だけでもありがたい、
そう思わざるを得ないほどの様相を呈していた。

そして原発の爆発、
それに伴う計画停電、
小田急をはじめ大手私鉄もストップし、
多くの人々は食料を確保するため長蛇の列、
もちろんマックにも、
しかし材料が入ってこないためどんどん売るものがなくなる、
いったい俺らの未来はどうなってしまうのか、
発生から10日ぐらいはもう毎日が不安でどうにもならなかった。

ただ、当然売る物がなければ、
それを説明しなければならないんだけども、
事情が事情なだけに、
誰もクレームを付ける人がおらず、
皆が皆受け入れてくれたのには今思い出しても感動する。

そんな状況も、
4月に入る頃にはほぼ改善し、
少なくとも神奈川県民は普通に近い生活に戻れたんだけども、
1年経った今でも
多くの人たちは未だに避難しているし、
職も見付からず、故郷にも帰れない、
そんな状況が続いている。

日本だからこそ、
奇跡的な早さで復興が進んだ、と言う話もあるし、
実際それは事実だとは思うけども、
それでも前述の事、
そして2万人もの失われた命は決して帰っては来ないし、
まだまだ風化させてはいけない問題だな、と改めて思うのです。