今日であの日から1年ですね。
もちろん今でも鮮明にその瞬間は覚えているだけに、
あれから1年が経った、なんて信じられないぐらいです。
詳細は前にも書いたと思うけども、
その瞬間は準備も終わり家を出る直前に起こり、
テレビを押さえつつ何とか収まるまで凌ぐと、
いつも通りに店まで自転車で行き、
何とか辿り着くも店は閉店状態、
駅前は大勢の人で溢れているという、そんな光景が広がっていた。
あいにく社員が一人もいなかったものの、
そんな時にAさんはさすがのリーダーシップを発揮し、
不安に陥る皆をまとめていたのはさすがだった。
結局余震が続いた事もあり、
そのまま店はクローズ作業を行い閉店、
午後6時前には無事家に着いたと思うけども、
部屋のテレビで目の当たりにした事実はまさに地獄絵図だった…。
2日後にTOEICの試験を控えており、
翌日には中止が決定してしまうため、
大変な失望感を味わってしまうものの、
あまりにもの現実を目の当たりにしていくうちに、
正直そんな事は些細な事、
普通に呼吸して生きていられる事実だけでもありがたい、
そう思わざるを得ないほどの様相を呈していた。
そして原発の爆発、
それに伴う計画停電、
小田急をはじめ大手私鉄もストップし、
多くの人々は食料を確保するため長蛇の列、
もちろんマックにも、
しかし材料が入ってこないためどんどん売るものがなくなる、
いったい俺らの未来はどうなってしまうのか、
発生から10日ぐらいはもう毎日が不安でどうにもならなかった。
ただ、当然売る物がなければ、
それを説明しなければならないんだけども、
事情が事情なだけに、
誰もクレームを付ける人がおらず、
皆が皆受け入れてくれたのには今思い出しても感動する。
そんな状況も、
4月に入る頃にはほぼ改善し、
少なくとも神奈川県民は普通に近い生活に戻れたんだけども、
1年経った今でも
多くの人たちは未だに避難しているし、
職も見付からず、故郷にも帰れない、
そんな状況が続いている。
日本だからこそ、
奇跡的な早さで復興が進んだ、と言う話もあるし、
実際それは事実だとは思うけども、
それでも前述の事、
そして2万人もの失われた命は決して帰っては来ないし、
まだまだ風化させてはいけない問題だな、と改めて思うのです。