回想23・2010年7月22日 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

スピーキングを変えた事で、
大分心に余裕が生まれては来たんだけども、
まだ16時からのAnalynのクラスも変えようかどうか迷っていた。

前にも書いたよう、
性格的には非常にユーモアがあって、
面白いんだけども、
どういう訳か4週目まで女性ばかりに囲まれてしまい、
その輪のみで会話が進んでしまう事もままあったため、
俺的には面白くない授業が続いていた。

そして4週目ぐらいからはMさんと言う、
初めての日本人のクラスメイトが出来たんだけども、
まだその当初は日本人を避けていた所があったから、
どう接していいか戸惑いもあり、
それも俺的にはとてもやり辛かった。

で、その週の水曜日、
Analynのある質問に対し俺は激怒し、
放棄こそしなかったものの、
最後まで終始不機嫌、頭に来た俺は、
ちょうど水曜日だった事もあってすぐに職員室に行き、
クラスの変更を申し出た。

たまたま同じ時間帯に、
同じレベルで空きがあったので、
すぐに変更してもらったんだけども、
さすがに4週目ともなるとそれなりに話せてはいたので、
変更理由も結構具体的に言ってしまったと思う。

そして翌日はレベルテストだったんだけども、
その時点ではまだ俺的に重要性が理解出来ておらず、
特にそれに対して集中的に臨むと言う事もなかったので、
普通にいつもどおりの放課後を過ごしていたと思う。

そして当日、これは前にも書いたとおり、
スピーキングのテストの後に、
ロビーにてポールを見付けたので、
記念撮影をしたり話をしたりで、
完全にレベルテストそっちのけな感じだった。

結果的にはレベル4になったんだけども、
あと2ポイントで5まで行けたと思うと、
やっぱり悔しい思いはあったし、
これなら前もって勉強しておくべきだった、
と終始後悔してしまったものです。

その夜は滞在1週間のみの、
社会人の女性が居た事もあって、
皆で飲み会をする事になり、
俺も誘われたのでほぼ1ヶ月目にして、
初めて日本人と台湾人のケニーで飲み会をする事になった。

ケニーはまだ15歳の中学生ながら、
単身4週間の留学をしにきたと言う、
なかなか大した奴なんだけども、
これまで知り合うきっかけがなく、
バッチメイトの2人に教えてもらって、
彼の3週目にしてようやく親しくなる事が出来た。

当然彼はお酒は飲めるわけがなかったんだけども、
俺も日本では酒も煙草も一切やらない人なんで、
翌日も授業を控えたこの日はほとんど酒は飲まず、
ひたすらコーラやピザの飲み食いに終始していった、と思う。

これまで書いてきたよう、
セブに着いて以来ずっと日本人との交流は避けていたんだけども、
それでも異国の地での出会い、って言うのは
何か特別な思いもあったし、
また日本に居たままだったらまず会えなかった訳でもあったから、
これはこれで運命的なものはあるかな、と思えたものだ。

この時デジカメは持ってきてなかったので、
あいにく写真は取れなかったんですけども、
後にMさんから画像を送ってもらったので、
今でもFACEBOOKなどで見れるようにはしてあります。

日付にして2010年7月22日の出来事ですけども、
この日はポールの事やレベルアップ、
そして初の飲み会など未だに思い出深い出来事が重なったので、
そういう意味では3ヶ月の間で一番楽しかった頃かも知れないですね。