スピーキングを変えた事で、
大分心に余裕が生まれては来たんだけども、
まだ16時からのAnalynのクラスも変えようかどうか迷っていた。
前にも書いたよう、
性格的には非常にユーモアがあって、
面白いんだけども、
どういう訳か4週目まで女性ばかりに囲まれてしまい、
その輪のみで会話が進んでしまう事もままあったため、
俺的には面白くない授業が続いていた。
そして4週目ぐらいからはMさんと言う、
初めての日本人のクラスメイトが出来たんだけども、
まだその当初は日本人を避けていた所があったから、
どう接していいか戸惑いもあり、
それも俺的にはとてもやり辛かった。
で、その週の水曜日、
Analynのある質問に対し俺は激怒し、
放棄こそしなかったものの、
最後まで終始不機嫌、頭に来た俺は、
ちょうど水曜日だった事もあってすぐに職員室に行き、
クラスの変更を申し出た。
たまたま同じ時間帯に、
同じレベルで空きがあったので、
すぐに変更してもらったんだけども、
さすがに4週目ともなるとそれなりに話せてはいたので、
変更理由も結構具体的に言ってしまったと思う。
そして翌日はレベルテストだったんだけども、
その時点ではまだ俺的に重要性が理解出来ておらず、
特にそれに対して集中的に臨むと言う事もなかったので、
普通にいつもどおりの放課後を過ごしていたと思う。
そして当日、これは前にも書いたとおり、
スピーキングのテストの後に、
ロビーにてポールを見付けたので、
記念撮影をしたり話をしたりで、
完全にレベルテストそっちのけな感じだった。
結果的にはレベル4になったんだけども、
あと2ポイントで5まで行けたと思うと、
やっぱり悔しい思いはあったし、
これなら前もって勉強しておくべきだった、
と終始後悔してしまったものです。
その夜は滞在1週間のみの、
社会人の女性が居た事もあって、
皆で飲み会をする事になり、
俺も誘われたのでほぼ1ヶ月目にして、
初めて日本人と台湾人のケニーで飲み会をする事になった。
ケニーはまだ15歳の中学生ながら、
単身4週間の留学をしにきたと言う、
なかなか大した奴なんだけども、
これまで知り合うきっかけがなく、
バッチメイトの2人に教えてもらって、
彼の3週目にしてようやく親しくなる事が出来た。
当然彼はお酒は飲めるわけがなかったんだけども、
俺も日本では酒も煙草も一切やらない人なんで、
翌日も授業を控えたこの日はほとんど酒は飲まず、
ひたすらコーラやピザの飲み食いに終始していった、と思う。
これまで書いてきたよう、
セブに着いて以来ずっと日本人との交流は避けていたんだけども、
それでも異国の地での出会い、って言うのは
何か特別な思いもあったし、
また日本に居たままだったらまず会えなかった訳でもあったから、
これはこれで運命的なものはあるかな、と思えたものだ。
この時デジカメは持ってきてなかったので、
あいにく写真は取れなかったんですけども、
後にMさんから画像を送ってもらったので、
今でもFACEBOOKなどで見れるようにはしてあります。
日付にして2010年7月22日の出来事ですけども、
この日はポールの事やレベルアップ、
そして初の飲み会など未だに思い出深い出来事が重なったので、
そういう意味では3ヶ月の間で一番楽しかった頃かも知れないですね。