回想8・アヤラモール その1 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

昼食を終えた後は、皆でアヤラモールへ両替、そして日用品の買出し。

最初は午後1時過ぎぐらいの予定だったんだけども、
突然のスコールなどもあり多少予定が遅れ、
30分ぐらい遅れての出発になってしまったと思う。

行きは何人かのグループに分けられ、
それぞれまとめて車で現地まで行く事になった。

車内での詳細は当日も詳しく書いてはいるけども、
ユキエさんにも言われたように、
まだ海外2日目だと言うのに、
周りから見ると俺は不思議なぐらいリラックスしていたみたいだった。

そして約30分後、セブの2大モールのひとつであるアヤラへと到着。

中に入る前に、
韓国人らがシティバンクへ行くというので、
一緒に付いて行ったんだけども、
そこで初めてお互いに自己紹介を行っていった。

まだ英語名を使うとは決めてはいなかったから、
普通に日本語名を名乗ったんだけども、
案の定と言うべきか俺の名前は言い辛いみたいで、
1回自己紹介する度に何度も言う羽目になってしまい、
それがたまらなく面倒に思えた。

それがきっかけで、俺も英語名を使おう、と決断し、
一緒にいたコリアンのアベニューと言う女性に、
My English name is Stephen.と名乗ったのをきっかけとして、
他の皆にもそう呼んでもらうようにお願いして言った。

そこで初めて、
何故香港や台湾では英語名を付ける風潮があるのか、
初めてその本当の理由が理解出来た、
つまり単なるファッションや格好付けではなく、
あくまで欧米人らに覚えてもらいやすい、
相手のためを考えて英語名を付けるのだ、と言う事をね。

そしてシティバンクでの用を済ませた後は、
いよいよ皆でアヤラモールへと両替、そしてショッピングへ。

最初は1階に入ってすぐの両替所に行き、
2千円ぐらい残して後は全部両替したんだけども、
空港と違いえらくレートが良くて、
さすがにこれには大きなショックを受けたものだった。

皆の両替が終わると、
日本人のスタッフ2人はそこでお別れ、
いよいよ生徒のみでの行動に移る事になっていった。

因みに韓国人のスタッフはいなかったんだけども、
ユキエさんは韓国に留学経験があり、
韓国語がペラペラだったから、
韓国人らへのサポートも問題なくこなしていたのです。

そしてその時点でまだ友達と言えるような人はいなかったから、
これはひとりで回る事になるだろう、
まあ基本買い物はひとりで済ますタイプだから、
別に問題はないな、と色々思っていた所、
その韓国人の1グループから「一緒に行きませんか?」と誘われた。

この瞬間は素直に嬉しかったし、本当に感激したね。

前にも書いたよう、
両国には色々な問題があるし、
日本人と言うだけで拒絶されるものだ、と普通に思っていた。

でも実際はそんな事もなく、
普通に受け入れ話してくれたし、
そんなステレオタイプな自分がこの時は本当に恥ずかしく思ったし、
また俺の人生観が大きく変わった瞬間でもあった。

この時頭をよぎったのは、
ドラゴンボールの6巻ぐらいにあった、
ジングル村の村長か誰かの言葉だった。

「ロボットだろうが人間だろうが悪い奴は悪い!」

この前の震災で、
日本人のマナー、モラルが世界中から絶賛されていたけども、
皆が皆そうではないし、日本人だって悪い奴は山のようにいる。

もしかして多少の比率はあるかも知れないけども、
どこに居ようと良い人は良いし、悪い奴は悪い、
生まれた国や国籍への先入観から人を判断してしまうのは、
本当に馬鹿馬鹿しく、意味のない事である事を、
この瞬間から自らの身をもって実感する事になった。

そういう意味からも、
アヤラモールでのこの瞬間、この時は、
今でもはっきりと目に焼きついているし、
この先永遠に忘れる事のない出来事になっていったと思う。

そのように1韓国人グループに付いて行く事になったんだけども、
あいにくうちのエージェントが、
学校のID用に写真が必要な事を説明してくれていなかったので、
まずはモール内で写真撮影をする事になった。

もちろん日本よりも遥かに格安だったから、
結果オーライみたいな感じだったんだけども、
そこから先ほどのアベニューがやたらと俺に親切にし始めてきて、
その後は二人だけで行動する事になっていった。

勉強はもちろんだけども、
100人近い男女が同じ場所にずっと過ごす訳だし、
実際主婦の人からも「向こうで見つけて来なさい!」なんて言われたりもしていたから、
はっきり言ってそれもひとつも目的だった。

なんで、単に買い物の同伴とは言え、
初日からいきなり韓国人女性と二人きりで行動出来るなんて、
本当にラッキー、と思ったし、予想だにしなかった展開と相成っていった。

俺的には買い物ぐらいだったら、
普通に英語でこなせるレベルでいたし、
周りのサポートは決して必要ではなかったんだけどね、
でも初の海外と言う事は言っていたし、
そういう意味でも親身になってくれたのだと思う。

またこれは韓国人に限った事ではないけど、
同じ国で固まるとまず母国語以外は使わないし、
俺と居ると英語が使えるから、そういう意味もあったのだろう。

因みに当日にも書いたけども、
現地で俺を初めて「Stephen!」と読んでくれたのも彼女だった。

最初は恥ずかしかったけども、
日本人とは異なり、
他国の人は英語名を使う事を決して不思議に思う事はない、
だから皆もすぐに受け入れてくれたし、
それなら自分も堂々と英語名を名乗ろう、そう開き直った。

そう、つまりその瞬間から帰国までの3ヶ月間、
バッチメイトの女性二人を除き日本名で呼ばれる事はなくなり、
俺は常に「Stephen!」と周りから呼ばれる事となっていったのです。