セブの国際空港である、
「マクタンエアポート」に初めて到着した時の気持ち、と言うのは、
当日にも書いたように「ああ、みんなフィリピン人だなあ」、そして暑い!
日本の昨夏も相当暑かったみたいだけども、
自分がいた頃まではまだ比較的涼しげだったので、
やはり着いた直後から暑さというのは強烈な印象はあったよね。
そして税関を無事通り抜け、
外に出てみると沢山の英語学校の立て札を持った人たちが。
一応事前にPDFで送られた資料に、
この辺りで待ってください、みたいな指示はあったんだけどね、
さすがにこれだけの大人数で同じ場所でお迎えがあるのであれば、
いかに初めてであろうと迷う訳がありません。
そんな訳で無事合流したんだけども、
失礼ながらお迎えのスタッフの方が韓国人に思えてしまい、
最初は英語で自己紹介してしまったのです。
すぐに日本語、しかも関西訛りで返されてしまったから、
凄い恥ずかしい思いをしてしまったんだけどね、
でもこの学校も100%韓国資本だし、
第一女性の場合は本当に見分けが付かないから、
こればっかりは仕方がないな、とは思う、そして思ってくれたとも、と思う。
そして合流したのは自分らだけでなく、
友達同士で来た友達同士の女性二人とも一緒だった。
いくら自分でも、初対面の女性に、
いきなり馴れ馴れしく話しかける事なんてないし、
またこの時点ですでにあまり日本人とは交流したくないな、とも
決めていたから、この時はほとんど会話はこなさなかった。
またもう一人いたスタッフは、
普段は別の校舎に居るという、韓国人男性だった。
彼とも会話はほとんどなかったんだけども、
他国の人と共に行動する、と言うだけなのに、
無意識に嬉しさがこみ上げてきて、
今思うとその時点で俺の本質が現れていたんだな、とすら思う。
また、多少話は前後するけども、
実はオリエンテーションの当日に、
皆でアヤラモールに行き両替をする、と言う事は知らなかったので、
この直前にレートが大変に悪い空港の両替所で4万円ほど両替してしまい、
結果的に2千円ぐらい損をする事になってしまった。
まあ知らなかった以上仕方ないし、
これも勉強と割り切ってはいったんだけども…
やっぱり納得のいかなさは残ってしまったと思う。
そんな事もあり、その後は皆でバンに乗り学校へ。
そこまででの道のりはこれも前にも書いたように、
街にはストリートチルドレンがたむろしていて、
一瞬でも止まるとすぐに「Give me money」の連発だった。
当然「無視してください」の指示が出されたけど、
さすがに現代日本ではまずありえない光景だっただけに、
しょっぱなから物凄いカルチャーショックを受けたものだ。
そんな事もあり、
初のセブの夜景を堪能しつつ無事にEF校へ。
もうあたりはすでに真っ暗だったし、
その時点で外観はよく把握は出来なかったんだけど、
この学校はど真ん中にプールがあり、
そこで韓国人らが遊んでいたのは良く覚えている。
そして鍵を渡され、
ガードマンに先導されて指定された一人部屋へ連れていかれ、
いよいよ84日に渡るフィリピン生活の第一歩を迎える事になった。
部屋には冷蔵庫、テレビ、トイレ、シャワーと、
最低限の物は揃ってはいたんだけども、
今だから言えるけど写真で見たよりも大分汚く、
正直ここで3ヶ月も暮らしていけるのか、それがここの第一印象だった。
とにかくまずは両親に無事に着いた事を知らさなければならなかったので、
すぐにネットブックを出し無線LANで接続し、
スカイプを立ち上げメッセージを送り、同時にブログも書き始めていったと思う。
そして着替え、シャワーも済ませていったんだけど、
日用品はすでに日本から持参していたので、
それらは普通に行えた。
しかし、到着時はすでに午後7時過ぎ、
当然の事ながら夕食は終わっていたので、
何も食べ物は持ってきていない自分は、
結局夕食抜きで夜を過ごす事になってしまった。
一応冷蔵庫にミネラルウォーターは入っていたし、
それは飲み放題だったからそれでしのげたけども…
さすがに夕食抜き、と言うのは辛かったものだ。
そして朝早かった事もあり早めに就寝、
真っ白な天井を見上げ、
「ホントにあと3ヶ月ここで過ごすんだな、俺はやっていけるのか?」と言う
不安も覚えつつ、初のセブの夜は過ぎていきました。