2008湘南国際マラソン、ぎりぎり走れました | わたしとランと

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2006年より走り始めランニングをライフワークにするはずが、2013年から体調崩し、2015年3月に関節リウマチの診断おりる。6月〜9月中旬まで3ヶ月休職。復帰へむけて一歩ずつ・・・

Photo 2008湘南国際マラソン。



どうにか、無事、走れました。膝裏の足の痛みもでずに、最後まで足がもち、ほっとした。



きょうは、最初から、「完走できるか、どうか・・・」という心配があったのだけれど、同じく練習不足で完走があやぶまれる、ラジオの仕事仲間のtoyaちゃんと、ふたりで、ゆっくり走ることにした。



笑いながら、喋りながら、走る。



実はレースで人とずっと一緒に走るのははじめての経験で、本当に不思議だけれど、彼女とは仕事も一緒によくやってるので、違和感はない。



お互い励ましながら走る作戦で、収容バスにのらないですむようにがんばろーねと誓い合う。



本当によく晴れた。晴れすぎだ・・・。でも、お天気とは裏腹、頭の中には走れない理由ばかりがかけめぐる。どんよりしている。「膝裏が痛んで、練習不足だったなぁ」とか、そんなことばかり。ぐちぐちぐちっと。Photo_4



最近のレースにでるときは、ちょっと自棄で、「なるようになれ」という感じ。



でも、スターターの欽ちゃんの天真爛漫な笑顔と温かい応援に、心もほぐれる。



そして、走り出したら・・・、そんな余計なことを考えなくなっていくからありがたい。



トーヤちゃんとずっと、どうでもいいおしゃべりをする。仕事のこと、三十路をすぎたら徹夜はダメだとか、他のランナーのTシャツに書かれたメッセージにつっこみをいれたり、たらたらと喋る。



いつも皇居を走ってる時のよう。



汗がだらだらとでて、気持ちいい。ただ暑いので、全部の給水所でドリンクを補給。そして、キロ7分台だと思われるゆっくりペースで走る。



実は、時計もせずに、走り出してしまったので、タイムがよくわらかない。そんなことこれまでのレースではありえなかったことなのに、レースに対する集中力が最近欠けている。東京マラソンだって時計もってたのに、スイッチ押し忘れて、自分のタイムがわからなかったり、とにかくひどい有様だ。



でも、トーヤがいてくれたので、「もう、平塚だよ」「茅ヶ崎市になったね」など、道路標識を見ながら、お互い励ましあった。



そして、折り返しが見えた頃・・・。なんか、やっと、折り返しだ・・・とバテ気味だったところへ、女の子が白い紙に応援メッセージをもってたっているのが見えた。



その紙には、なんと・・・「STEP編集長、がんばれ」と書いてあるのだ。びっくり!!



でも、見覚えのない女性だったけど、思わず、「おおっ!」っててをふった。



すると、「編集長ですか~?」ときかれたので、うなずく。誰だったんでしょう。もしこれを呼んでいたら、名乗りでてほしいです!そして、本当にありがとう。



そんなサプライズのおかげで、少し元気を取り戻し走る。途中、エイドに立ち寄った時は、屈伸をする。お互い、口数は減ってくるものの、一緒に走り続ける。やはり練習不足でばてばてで、やめたくなるけど、トーヤちゃんもがんばってるんだからと、ムチを打つ。



20キロの表示を見た時は、ちょっとほっとする。フルならまだ半分だけど、あと、10キロ。30キロで本当によかったとかみしめる。



そして、25キロ時点でトーヤちゃんが「足のストレッチしたいので、先にいってください」といってきた。最後の5キロ、一人になった。足が悲鳴を上げている。暑さで体力も残ってない。その後は「歩きたい」欲求がやってきた。



・・と同時に、思い出した。初めてのフルマラソンのこと。去年の湘南で、わたしは初フルを体験したのだ。なんだか、あの時のことがフラッシュバックのようにおそってきた。



見覚えのある景色。1年前ダーリンがわたしに声援をおくってくれた場所だ。



今よりちゃんと練習もして、走れたけど、でも、あの時だって、大変だったはず。だけど、あの時の私は、大変なのはDsc00213 当たり前とおもって、がむしゃらに前へ進むしかなかった。



初フルの時は、歩くなんて、考えもしなかった。



防風林をぬけると、海が広がる。あの日もとても天気がよかった。そして、みんなに応援されながら、感謝で心をみたして、痛みに半泣きになりながら、最後まで、体をゴールに運んだんだった。



走れ。走れ。走れ。1年前の私が命令をする。



走る場所は同じだけれど、一番違うのは、「心」かもしれない。できないかも・・・ってどこかに弱気な自分がいて、足にブレーキをかけているのだ。



走れ。走れ。走れ。初フルを走った時の苦しくて仕方なかった私が横で、伴走をはじめる。波の音と足音と泣き声のような自分の息遣いで、瞑想気分になる。



「走れるから、最後まで走れるから」と呪文のようにとなえると、足があがるようになった。



負けていたのは、足よりも、練習量よりも、心かもしれないと、はっとする。そして走ろうときめたら、体はちゃんとついてきた。体は本当に偉い。勝手に頭で思い込んで決めちゃってたんだね。まだ走ってくれるんだぁ・・・と、自分の体がいとしくなる。



だから、走る。最後のゴール前だけ坂道になっていたけれど、その坂だって足はのぼっていく。「はあはあ」という呼吸は大きすぎて、声になっている。



あと、ちょっとだから、がんばろうと思うと、足はそれについてくる。



ゴール前、わたしをよぶ声がする。走る仲間のよしさんが応援してくれている。STEPを出す前のわたしは、そんなに仲間はいなかったけど、今は、本当にいろんな人に支えられているんだなぁと思ったら、ゴールゲートをくぐってた。



そして、ゴールゲートのまん前で、STEPのカメラマンの四谷さんと話し込んでたら、ランナーズの松田さんに声をかけられる。



「今、僕、ゴールしたんですけど、今回、制限時間ぎりぎりで走るとどんな景色が見えるのか?って企画で走ってみたら、けっこう、ドキドキしちゃいました」というではないか。



えっ?と思って、ゴールのところにあった時計をみると、制限時間の4時間まで、あとちょっと。そうだ、トーヤちゃん。



トーヤちゃん、どうしたかなぁ・・・と思ってたら、ギリギリに帰ってきました。3分前にすべりこみセーフ。でも、彼女も時計してないので、そんな自覚はない。



「制限時間ギリギリラン企画なんて、わたしたちの得意分野ですから、今度仕事あったらふってください!」・・・と思わずいっちゃいました。



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それから、四谷さんと、わたしと、トーヤちゃんで、大磯プリンスにご飯を食べにいったら、ホテルで、湘南国際マラソンのステージの司会をしていた、KBS京都ラジオのパーソナリティ若林順子さん、ワカちゃんにあう。



実は、ワカちゃんとは2日前にあって、食事をしたばかり。立ち話をしていたら、今回のレース、選手として参加して、1位だった高尾 憲司 さんを紹介してくださった。名刺交換もしていただく。



こんなに遅くゴールしといて、1位の選手とお話できるなんて、すごいラッキーだ。



「もっと、ちゃんと走りなさい」という神様からのメッセージなのかもって思った。