東京マラソン2008参加リポート | わたしとランと

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2006年より走り始めランニングをライフワークにするはずが、2013年から体調崩し、2015年3月に関節リウマチの診断おりる。6月〜9月中旬まで3ヶ月休職。復帰へむけて一歩ずつ・・・

東京マラソンは、タイムとしてはイマイチ、無事完走できてほっとしているくらい。でも体験としてはすばらしいものでした。



コース上26箇所では応援のためのパフォーマンススペースが設けられ、ゴスペル、ヒップホップダンス、吹奏楽、和太鼓、芸をつくした応援合戦がくりひろげられました。



また、ボランティアの応援の数もスゴイし、沿道の声援、私設エイドもすごかった。



それに加えて、不思議な感覚を味わった。



それは、ホームタウンを走るという感覚。わたしは、東京の人間なんだなぁというのを感じながら42.195キロを走った。(歩いた)



世界に誇る大都市、東京だけあって、わたしの知らないこと、人、ものが常に動いていると普段は思って生きていた。わたしの大学は日芸なんだけど、同じグループの日大がスポーツで活躍したって、母校を応援する!って感覚にはならない。大きすぎると、そういうことって、おきる。それと似ていて、東京も、あんまり、ホームタウンって感じがしなかった。



東京=私の街ではなく、東京=みんなの街 って感覚。



けど、今回走ったおかげで、ここは私のホームタウンだと気づいた。走ることに会えたおかげで大きな街が、ぐぐっと縮まり、知り合いもたくさん増えたのかもしれない。そして、そんなことを実感する出来事が多々あった。



都庁前で、以前ジャパンマラソンクラブのランニングクラブの忘年会であった、女性に、すごい混雑の中、「編集長~」って声をかけられる。



そして、スタートして、飯田橋付近でも、A出版社の方に「白滝さーん」と声援をうける!



いつも大会に出る度に「がんばってー」と応援をうけるけど、やはり自分の知ってる人からの応援は何倍もうれしいです。それから、竹橋すぎて、水色の横断幕をかかげているのが、日ごろお世話になっているバンドゥーシュのおばちゃんチーム♪。反対側を走っているのに、思わずかけよってしまう。



それから日比谷を通り過ぎたあたりで、後ろから、声をかけられてびっくり!



タレントで市民ランナーの大櫛エリカちゃんの事務所の社長、榊さんも、ランナーとして出場するのは知っていたけど、まさかコース上でお会いするとは!?



それから、Japanマラソンクラブの田中コーチが私に気づいて声をかけてくれださる。牧野コーチもいる。



で、品川で折り返す。その頃から足が重くなってくる。初フルの時は、30キロすぎるまで足が重くならなかったのに、15キロすぎて疲れ始めた自分にあせる。



でも、18キロあたりで、手賀沼エコマラソンで会ってからお付き合いのある、Kokoraさんが沿道で応援している・・・。チョコレートと羊羹をもらう。うれしぃ~。



20キロで左足が、びくんと痙攣。気のせい気のせいといいきかせてゆっくり走る。



それから、銀座通りでは海外旅行開発の慎ちゃん、増田明美さんのご主人の木脇さんにもあうし、歌舞伎座前では、はっちさん、また佃大橋前では、RUN×食NETの今川さんが声をかけてくれる。そして、豊洲付近では、よしさん、M島さん、なーちゃん、また母にもあった。ダーリンにも合計3回もあった。



そんなに知り合いにあう大会って、きっとこれから先もないと思う。そして、今回であった人達の多くが、走ることを通して知り合った人達ばかりだったのがすごく印象的だった。



そして、沿道からの声援もすごかった。



わたしは、東京って街に育てられてきたから、どこもいろんな思い出がある。昔の彼とでかけた雷門。仕事でよく通った場所、飲んでつぶれた新宿界隈、自分の36年間の人生が一本の道になったような錯覚におちいった。



そして、沿道からの声援はやまない。今までは手をふってこたえるぐらいだったけど、この日は、「ありがとう」と本当にたくさんの人にいった。すると笑顔とさらなる声援がかえってきて、なんて幸せなんだろうと思わずにはいられなかった。



ハーフを過ぎてからは、本当につらかったけど、わたしにとって東京マラソンの道は、「36年間の人生のありがとうロード」みたいなものだから、最後までゴールしないわけにはいかないと思い続けて走っていた。



でも、佃大橋で、その足もとまってしまった。それまでの計算だと、5:30には遅くてもゴールするはずだったのに、歩いて、歩いて、しかも歩くのが遅くて、歩いている人にもどんどんとぬかれた。



コース上で会った知ってる顔の最後は、お母さんとダーリンだったというのも不思議。



「痛いよぉ」と弱音をはくと、「間に合うんだからゆっくりいきなさい」とのこと。



そして、とぼとぼ歩くわたしの横を、お母さんとダーリンは、併走して、東京ビッグサイトまで一緒にゴールしてくれた。



ゴールにつくと、知り合いからいっぱいメールがきてた。(疲れきってて見たのは大分あとだけど・・・)



このフルマラソンの道のりは、本当にわたしの人生みたいだった・・・。



タイムも大幅におくれて、グロスで、6時間24分くらい。ネットは、スタート時に時計を押し忘れたのでわからないんだけど、たぶん、15分くらいのロスなので、6時間9分くらいかな



走るには長すぎるけど、(遅すぎる、初マラソンが5時間7分なのに、こんなに遅くていいの?)人生をふりかえるには、ちょうどよい長さかもしれない。



長野は、制限時間5時間なので、人生はふりかえりません(笑)。進化した自分に会える場所にしたいです。



きっちり足をつくっていかないといけないけれど、この東京マラソンがいい練習になった気がする。足が痛くなるまで走るって練習ではできないものね。これで、わたしの足は強くなったはず!



それにしても東京は、36年間のわたしの人生にかかわってくれた方に、「ありがとう」の思いをこめて走れたのがなによりもよかったと思う。



東京マラソンは、わたしの人生をきちんと見直せる場所になった気がします。