沢登り、2日目。
テントと、すぐ使わない荷物は、広河原において出かけることにした。
でも、彼の荷物は、そんなに軽くなったわけではない。なぜなら、彼のリュックには、わたしの荷物がすべて入ってるから。水没しても平気なよう、全く水が入ってこない15リットルの袋をもってきてたんだけど、そこに簡単な着替え、トレイルラン用のシューズ、わずかな食料だけ入ってる。
わたしは、「お豆」状態で、手ぶらです。甘えさせていただきました。わたしだけ、リュックおいていった。本当、みな、ごめん・・・。
上れば、上るほど、景色はきれいになっていく。魚が岩陰にささっと隠れたりする。
朝は寒かったけど、どんどん気温もあがっていき、きもちよい。
目指すは、宝川の源流のナルミズ沢。
携帯でとった写真なので、あまりキレイではないけれど、景色のよさが少しは伝わるかもしれない・・・こんな感じ。
このくらいの低い滝はのぼっていき、高い滝の場合は、滝の周りの藪などの斜面をよじのぼって、迂回していくんだけど、それを沢用語で「高まき」という。
「これは、まきますか?」って、よく玄ちゃんが、隊長にきいていた。
わたしがいるので、「まく」ことが断然多くなる。でもその「まき」だって、足場は相当悪く、ひーひー言ってたわたし。
また、まくと、遠回りになるので、なるべく、崖を上っていくよう、みな考える。
水が、ちょっと深めのところがあって、一度、玄ちゃんが、「まきますか?」ときいたら、隊長が、「いや、泳いじゃいましょう」っていったときは、最初冗談かと思ったら、本気だった。
胸のところまで、あるいていき、本当に泳ぐのは、2Mくらいなんだけど、またまたわたしの足手まとい差に拍車をかけますが、わたし、平泳ぎとか、できないんです。
あと、息づきができないので、クロールも、15Mくらい。
そこでも、また、ザイル(ロープ)が登場!!しかも、わたしの泳ぎは「犬かき」・・・。
みなは、リュック背負って泳いでいるのに・・・。
川の水って、本当に冷たい。胸まで水につかったときは、心臓がぎゅっとわしづかみにされたような気持ちになった・・・。
でも、誰も、私に、「それくらいできないの???」みたいな態度は決してとらずに、できたことを喜んでくれる。本当に、男性ってすばらしいって思った。
写真は、常に冷静で優しい隊長と、へっぴり腰の私です。
都会で、仕事と勉強だけやってるときは、わたしは男性に対して「負ける気がしないんだよねえ」と思ってるタイプで、ビシビシやっているんだけど、ここでは、男性陣のすばらしさに、ありがたくて、手をあわせたくなった。
男の人って、強くて、優しくて、頼りになる・・・って生まれて初めて思ったかもしれない。
(それまで思わなかったのは、問題ありですね!?)
わたしの転んだり、すべったりが、どんどん増えていく。コースが難解になっていく。ザイルも頻繁に登場するようになる。「高まき」も増える。
でも、何度も言うけど、苦しい思いをして、怖い思いをすればするほど、それに比例して景色は美しい・・・。
夏なのに・・・雪渓もあった。遠くからみたとき、「何?あれ??」と私がいってたら「雪」という。雪渓は上が土色で、下の白い部分が、とけて、ちょうど、「舞茸」のような形をしてたので、「キノコじゃん」といったら、そんなでかいキノコはないといわれた・・・。
この時期にまだ、雪がのこってるんですよー。びっくり。
また、宝川上流は、「ナメ」が素晴らしかった。
ナメとは、一枚岩の流水がゆるくて、浅いところ。
そして、源流まで、もうすぐだよってなった時、雨が降り始めた。
天気雨みたいなのは、何度かあったけど、本格的な雨・・・。私たちが、源流のナルミズ沢にたどり着いた時、雨がすごくて、雷もなり始めた。
そして、どれが源流なのか全くわからないくらい、草原にいくつもの水の道ができていた。
ここで、最悪な事態に・・・。彼が雨具をもってこなかった。彼の雨具は、コンビニでかった適当な雨具だったんだけど、前日、テントでねるときに寒くて、きたら、びりっとやぶれてしまった。そこで、もういらないって、テントに置いてきたのだ。
わたしは、うすいぺらぺらの雨具。
さすが、経験者の隊長と玄ちゃんは、ちゃんとした雨具をもってきてた。
運動神経がよく、荷物も私の分までもってくれたし、これまで経験者たちに遅れをとらないほどに軽快に登ってきた彼が、辛そうな顔をしはじめた。雨がふって寒くなったせいで、体温が急激にさがりはじめたのだ。
また玄ちゃんは、雷が大の苦手で、本当に怖かったらしい。山って、雷近いしね。
沢の終点まで来た後は、今度は山をのぼっていく。彼は、唇が紫になっていたのに、元気をだし、またがんばってのぼってくれた。途中、一瞬雨がやんだとき、玄ちゃんが、長袖の雨につよいタイプのウエアをかしてくれて、それをきて、元気になった。
玄ちゃんも、隊長に「雷はおちない」っていわれて、なんとか、ふんばって元気に歩いてる。
寒いし、疲れたし、景色はどんどんキレイになるけれど、苦難つづきに、わたしは、ぼんやりと、お母さんのことを思い出した。
「私に何かあったら、一番悲しむだろうなぁ」って・・・。
大自然と、雨と、空腹で、疲れで、泣きそうになってた。おにぎりもとっくに食べちゃったし・・・。そしたら、玄ちゃんがSOYJOYを1人1本ずつくれた。たべた。
SOYJOYが美味しくて、美味しくて、あっという間に食べちゃったけど、寿命が少しのびたようなきがした。
烏帽子とかいう名前の山をのぼりきったところで、目の前に、朝日岳があった。雨水が山から勢いつけて流れ落ち、いくつもの川をつくっている。
きれいだけど、もう、このあたりから、1枚も写真はない。そんな余裕はない。
今度は、稜線を歩いて、その朝日岳山頂にいき、そこから登山道をおりてくると、宝川の途中にたどり着く。そこから、また広河原にもどって、荷物をピックアップして、温泉に行くんだなぁって思ってた。
温泉にって、Rちゃんに、どれだけ大変だったかを、話す自分を想像した。ご馳走とビールを想像した。歩こうと思った。
朝日だけに行く、尾根の部分を歩くのは、なかなかこわかった。右も左も、見晴らしがよすぎて、自分がどれだけ高い場所にいるのかが、よくわかる。
そして、その尾根に、大きな岩があった。それを乗り越えなくてはいけなかった。隊長と玄ちゃんは、先に通過しており、わたしが岩の上でとまってしまったとき、そこにいるのは、彼だけになった。
岩から降りれないのだ。足をのせる場所が、なかなかなくて、でも、飛び降りたら、その勢いで、足をふみはずし、下まで転落しそうで、怖くなった。
彼とふたりっきりだったこともあり、そこで、ないた。
「もう、無理・・・。できないものは、できない。置いていってー」といいながら・・・。彼は、なだめすかし、手をかしてくれて、どうにか降りれたんだけど、その時、玄ちゃんとおじさんは、黒い雲が、したから湧き上がってくるのをみて、ぞっとしていたらしい。
隊長と玄ちゃんにあうときは、雨だったから髪も顔もぬれいてるので、ないたことはごまかせた。
ここで、泣いても、どうにもならないのもわかってる。
みんながんばてるのに、荷物ももってもらってるのに、なくなんて最低だなーとわかってるけど、ないた。もう、子供だった・・・。最悪だ。
その後、彼が、玄ちゃんたちに、声をかけにいき、「もう疲労もピークで、ゆっくりいってもらえませんか?」といったけど、そうするわけには、行かなかった。時計は5時をまわってた。そう、夜がきちゃうのだ!!
朝日岳にどうにかつき、そこから、登山道を下山しはじめたが、途中、すごいきれいな虹も見えた。雨もやんだ。
少しして、わたしは、恐れていたことを、玄ちゃんにきいた。
「もしかして・・・、温泉、もどれない?また、テントに泊まるの?」って。
そうしたら、テントまでも戻れないという。
「どこでねるの?」ってきいたら、「野宿」とのこと。
そして、少し歩いたところで、斜面が比較的ゆるやかな場所にきたところで、隊長がいった。
「ここで、ビバークしましょう」
ビバークとは、登山用語で、野宿のこと。テントもないのだ。わたし達の不安を知って、隊長はいう。
「道にも迷ってないし、遭難でもなんでもないですから・・・。想定の範囲のことです」
そして、山の斜面に4人で並んで、体育座りをする。その上に、ターフという野宿用の防風用の布を1枚かける。シーツよりちょっと大きいくらいの布だ。
風があまり入らないように、荷物などで布をおさえる。
これで、明るくなるまで待つという・・・。そこで、塩ラーメンひとつと、味噌汁があったので、味噌汁味塩ラーメンという、不思議なものをつくったんだけど、これが激うまでした。
また、隊長が「ビールも1本だけあるよ・・・・」という。
ターフが燃えないように気をつけながら、ターフの中でガスをつけ、料理。
外とは比べ物にならないくらい温かくなる。でも、火をけすとまた寒くなる。わたしがぶるぶるふるえると、隊長は、玄ちゃんに、寝袋の形をしたビニール袋かすよに指示。
そのおかげで、ずいぶん、温かくなった・・・。
ビール1本と、塩ラーメンひとつを4人で食べる。なべをまわしながら、食べた。
1人、2-3口。もちろん、足りるわけがないけれど、何もないよりはマシだった。
うとうとしながら、浅い眠りにおちながら、なんとか、朝4時半まで、待つことができた。
その頃、宝川温泉で待つRちゃんは、相当心配をしたらしい。携帯通じないんだもん。また、すごい水量で、宝川温泉の露天風呂も閉鎖されたらしい。
そして、ニュースにもなりましたが、宝川で鉄砲水にあった行方不明者もでた時だった・・・。野宿なんて、最低だーと思ってたけど、川に下りてたら、事故にあってたかもしれない。隊長の判断は、一度も間違いがないから、すごい。ラーメンをとっていたことも、無理して下山しないことにしたのも、思い返すと、大正解だった。
それに比べ、無力で、足手まといの私、自分が嫌いになった。
一瞬、携帯が奇跡的に通じたときがあったので、彼女の電話の留守電に、「生きてるから、大丈夫。野宿するだけだから心配しないで」と留守電をいれることができた。
さすがは、Rちゃんは、隊長の娘。山の怖さもちゃんとわかっていて、6時すぎて、連絡がとれなかった時点で、捜索願も山岳警備隊に出していた。手際がよい。
でも、留守電を聞いた後で、また警備隊に無事を報告してくれた。2度手間すまん!!
そして、わたしは夜が明けるのをまった。ネガティブなことが心をしめたけど、それを口にする人は誰もいなかった。生きて、帰りたい。それだけを呪文のように、心の中で唱えつづけた。このメンバーにもしものことがあったら、私のせいだ。わたしが、歩くの遅いから、時間がこんなにたっちゃったんだ・・・。
(あー、やっぱり、書ききれません・・・。続きは、また、今度!!)