スペシャルゲスト紹介
こんにちは。 ステップスポーツ柏店 石澤です。 3月に入り、オープンもいよいよ迫ってきたような感じがいたします。 今日は、オープニングイベントをご紹介させていただきます。 3月27日 末續慎吾選手が来店いたします!!
実は私、末續選手とは、同い年でして、特別に応援している選手の一人であります。北京以来、しばらくレースから遠ざかっておりますが、そろそろ復活するところをみたいですね!
(エピソードありです!!) |
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選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム: | 末續慎吾 | |||||||||||||||||
国籍: | 日本 |
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種目: | 短距離走 | |||||||||||||||||
所属: | ミズノ | |||||||||||||||||
生年月日: | 1980年 6月2日 (30歳) | |||||||||||||||||
生誕地: | 熊本県 熊本市 | |||||||||||||||||
身長: | 178cm | |||||||||||||||||
体重: | 68kg | |||||||||||||||||
自己ベスト: | 100m:10秒03(2003年) 200m:20秒03(2003年) |
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末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年 6月2日 - )熊本県 熊本市 出身。
北京オリンピック男子4×100mリレー 銅メダリスト。
高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会 の200m で3位となった。
日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。
パトリック・ジョンソン とともに、「現役世界最速の非ネグロイド 」とも言われる。
2006年のアジア大会 の200mで2連覇した。
2008年8月22日の北京オリンピック男子4x100mリレー決勝では第2走者として激走オリンピックにおける日本男子トラック種目で初の銅メダル獲得に貢献した。
400mは練習の一環として取り組むが、学生時代には関東学生陸上競技対校選手権大会 の4×400mリレー決勝で、東海大学のアンカーとして走り、44秒7のラップタイムで走った。同種目で決勝進出した場合に限り、投入される可能性もあると言われる。
小学校時代に全国小学生陸上競技交流大会 に出場し、同じ学年の池田久美子 に走幅跳 で負け、走幅跳を競技しなくなる。
中学時代は、九州大会で100m 2位に入った。
高校時代、国体の100mで2度優勝した。
高1の時の県大会では、4種目の後に顧問が止めたのにマイルリレー のアンカーを務め、走りきったあと倒れた。高3のインターハイ の2週間前にバスケットボールの最中にガラスに突っ込み10針以上を縫う怪我をするが出場し、100mでは決勝まで進出したものの8位、優勝候補の200mでは25秒となり予選落ちした。
大学在学中に陸上競技を続けることが経済的に困難となるが、シドニーオリンピック 代表入りし、陸連強化指定選手となり競技を続ける。
なおそれまでは、食事が玉ねぎ一個だけであったり、練習時間を確保するため、深夜3時まで居酒屋の皿洗いのアルバイトをする等、想像を絶する苦境を乗り越えた末にオリンピック代表を勝ち取った。
2003年の世界陸上パリ大会男子200m走決勝時前のフランス地元テレビ放送で「 Il est formidable, ce type. (すごい奴だ) 」と紹介され、銅メダルを獲得して高野と泣きながら抱き合う映像がフランス国内でも放映される
。
2007年世界陸上選手権 での4×100mリレー決勝サブトラック では、「朝原さん にメダルを!」と発言した。この時はアジア新記録ながら5位だったが、北京オリンピック で銅メダルを獲得し、1年後に実現した。
2008年、北京での4×100mリレーでは2走を務めた。走行中の上体のブレを極力抑える為、様々なバリエーションの腹筋を欠かさず行う。