広島原爆の日に | 終の棲家と大腿骨頸部骨折

あの日から68年、広島高女の犠牲者と同年の13才であった。


勉強どころか、上級生は軍需工場、下級生は勤労奉仕、肥溜め担ぎまでする毎日、時に農家の手伝いで玉ねぎなど貰って喜んでいた。


時々「外国人はいいな」と思うときもある。同じ時代の犠牲者でありながら一方は賠償を求め、他方は訴えられる立場、月謝を返して・・・と訴えたくとも自分たちに唾を吐きかけるようなもの、と思うとそれも出来ない。禍は孫子の代まで( ̄^ ̄)(x_x;)

 

プラスかもしれないことが一つ・・・過保護の世代とは違う打たれ強さかな:*:・( ̄∀ ̄)・:*: