私があまりよいとは思わないことを人に「これはよいですよ」と勧めるというのはしんどいだろうなと思う。でも、仕事ってそういう一面があるかな。モノを売る仕事だってそういうのありそうだし。

ビルの入り口に設置してあるアルコールの消毒液に似ているような気がする。いくらアルコールを擦り込んだとしても、流水でしっかり洗ってない手であっては、目には見えないバイ菌がただ広げられてるだけっていうこと。

誰かがやってることが健康によくないと言って、それにはこれがいい!とわかっていたとしても、理想的な生活を環境が許さないとなれば、ただの押し売りになってしまう。
精密検査を受けなさいと言っても、自分に限って癌にはかからないという根拠ない自信、あるいは現実逃避からか、受けやしないなんていうのもある。ならばなんで検診なんか受けるんだろうとか。
しかもあろうことか、その検診に科学的根拠はないとかいうのを見かけたら?なら、なんでそんなものが罷り通っているのか。そりゃないよ。

頭の先からつま先まですっと通る芯みたいな、信じられるものが大事だなあとか、拠り所がほしいなあとか思う。

色んな考え方、色んな立場、それぞれに都合のよいものを前面に押し出して、おおかたはそれによってお金が動いているのだろうか、とそれを言ったらおしまいだなと思い直したりして。

ありがとうと言われるのが嬉しくて、そんな些細なことが始まりだったはずなのに、なんだか随分違った場所に立っているような気がする。どうしたことだろう。

考え過ぎてはいけない。目の前のその人に、そのメールに、ひとつひとつ、向き合う。どうしたらいいかわからないときは保留で、誤魔化す。時間が拠り所を作り出していくのかも知れないし。

今日もお疲れ様でした。
訳わからなくてすみません。投げやりになっちゃだめだな。