好きな人をはじめてデートに誘う時は緊張するものだと思う。

小学生が近くの公園で遊ぼうと誘うときも
中学生が放課後一緒に帰ろうと誘う時も
高校生が文化祭を一緒に回ろうと誘う時も
大学生が電車で少し遠くへ出かけようと誘う時も
社会人が金曜日の仕事帰りに食事しようと誘う時も

どきどきするのはそう変わらないものだと思う。

断られるかも知れない、と思うからどきどきする。結婚するとデートとは言わないのかも知れないけれど、本当は結婚してからこそそういう時間が必要なのかもしれない。

今更デートなんてもうしたくないよ。となったら手遅れかも知れないので、結婚初期が肝心のように思う。

もしも今、自由に誰かを好きになってもいいとして。はて、20代を過ぎ、30代を過ぎていくと大人の人たちはどういうところでデートしているのか。

歳だけ重ねても行きたいところはあまり変わらないもの。

一緒にお出かけしませんか。

そしたら、さて、どこへ行こう?
趣味に走りすぎてるとかってどうなのよと思うけれど、一緒に楽しんでくれるならもうけもの。

単館ロードショーを見に行くのもいいなと思う。
美術館とか。アウトドア派な人では耐えられないか(笑)

プラネタリウムはデートにうってつけだろうけれど、たいして知りもしない人とは行きにくい場所だ。そうでもない?

それはある程度、こういうものが好きだろうってなんとなくわかっていることが大切で、お互いの好みを無理にかくして合わせないとならない位なら、一人でいいわ。となってしまうので、こういうことでは恋人はなかなかできないだろうと思う。

特別どこかに行かなくてもいいのかも知れない。

どんな風に生きてきたのか。どんなものに今、興味があるのか。そういうことがただ知りたいだけなのかも知れない。どこが変わってどこが変わらないのか、なんとなく確かめてみたいだけなのかも知れない。

ただ、それが現実になってしまえば、その瞬間に色褪せてしまうのが怖いというのなら逢わない方がいい。

逢うのが怖いなんて、それは愛というものではない。
そうだ、怖いのは受け入れてもらえない不安のせいではないのか。

それなら。時間を巻き戻してみる。これまで得てきた中に、あるいは失ってきた中に純粋な愛とかいうものがあっただろうか。それはあまりに自分にも相手だった人にもひどい言い方だとは思うけれど。

逢わないでいた方が気持ちが濾過されて純度を上げていくような気がする。でも、そんなのは愛情ではない、のかも知れない。
では、結婚して、変わらぬ愛情をもって死ぬまで生きられるひとはどのくらいいるのだろう。そんな疑問は青臭い言い訳に過ぎないことを知っている。

愛情は変化していく。

あいたい、でも会えない。いいえ。逢わない。

ゆらゆらと。