今熱くなろうとしてたのに熱くなれって言われたからやる気無くしたー | 孵らない卵ー夢は燃えないゴミの日にー

孵らない卵ー夢は燃えないゴミの日にー

欲しいものも行きたいところもやりたいこともないけどあらびっくり時間は過ぎてゆくんですね

どうもステラです
初めましての方は云々




今日も今日とてですよまったく
暑いったらもう
こんなに続くもんかね暑い日が
継続は力なりですか?
太陽光発電力ですか?




わーわー言うてますがさほど暑いのは苦手ではありません
温室育ちなんで




スポーツをやってたんです赤子の頃から
友達と家に集まって各々マンガ読んだりゲームしたりってやつが嫌いで
外で遊びたがってたんですよ昔は




中学もバレー部に入ろうと思ってて
バレー部がなくて
さすれば他の運動部にと思い
道具とか安めのテニス部に入ってましたよ



あの頃は熱かった

周りがノルマの素振りを終えてボールで遊んでる中、1人プラスアルファの素振りをしていたり
先輩が来るとコート使えないから
練習開始2時間に来て練習していたり
毎日毎日残って練習していて
顧問が「早く帰りたいからあんたたちももう帰って」なんて言うもんだから噛みついてみたり
ボイコットして遠くのテニスコートで練習したりね
それでも市内最弱校だったんですけど

そしてボイコットが問題になって
辞めるか練習出るかはっきりしろと言われ
ムキになって辞めちゃってね

それからは卒業まで帰ったらダラダラする日々です

だんだん3階の教室行くのもめんどくさくなって1階の保健室に入り浸ってました

もうこの頃には完全に冷めてしまってますね


高校受験も近くの低ランクの私立高校で上位にいますかーぐらいの感覚で
保健の先生に「オラ、ひもになりでぇ!」
なんて言って怒られたり


そして卒業式を迎え、泣いてる同級生を蔑んだりね
雰囲気で泣いてんじゃねーよ
なんて考えをしていたり

卒業式後のクラス会にも
ようやく離れられるのにまた集まるんかい
なんて言っていたり

結局その会には参加したものの
そうした態度が尾を引いて
もう一切クラス会とかに呼ばれなくなりましたね
成人式も都合により参加しませんでしたし




そして高校なんですが
実は行こうと思っていた私立高校で
学費免除される合格を勝ち取っていたものの
親に言われて県内トップレベルの公立高校を渋々受験することになって
なんか合格してしまって
公立高校に合格したら行かなきゃいけない
みたいな慣例があるみたいで
行く羽目になってしまったんですね


そもそも受かるとは思ってなかったし
受かっても勉強ついていけると思ってなかったんで入学前から感情無くしてました
高校3年間は落ちこぼれ生活だなと


当時は親を憎んでさえいました
子どもだったんでね


ですがそこで出会いがあったんですよ
思い出してください


中学の頃に入ろうとしていたバレー部です


元々スポーツは好きだし
バレーやってみたかったし
勉強からの逃避もしたかったんで
入部待ったなしでした

県内強豪校とも知らずに


初めはボール怖いし痛いしで
練習が終わるのを待つだけの機械でした


けれども1年半おねんねしてた野心やら向上心やらがおっきしてきて
居残り練習やら筋トレやらバシバシやるようになりました

18:30に練習終わって22:00まで残って練習することも少なくなかったです

基礎の面ではどうしても小中学校でやっていた人には敵わないから
とにかく自分は高く跳べるようになろうと
ひたすらバスケのリングに向かってジャンプし続けたのも今は昔



その甲斐あってか、身長もあったり先輩が怪我したりと運も重なったりで
3年生が引退してから最初の大会で同期の誰よりも早くデビューしたんですね

あまりの緊張に試合前泣いたなぁ



それ以降は練習試合もBチームで先輩と試合に出続けて、たまにAチームにも呼ばれ
大会ではベンチ入りして
いつかはレギュラー勝ち取ろうと目をギラギラさせていました


結局先輩が引退するまでレギュラーの座を奪うことはできなかったものの
熱かったよね
闘志ギンギンだったよ


教室では寝てるだけ
テストの成績も下から数えてすぐ
部活になったら燃える
典型的な運動部って感じでしたね





これだけ熱く燃えているとですね
心が折れたときが深刻で



春高バレーってご存知でしょうか
テレビでも取り上げられるほどの大きな大会なんですけどね
それの出場を目標に
ある種夢に据えていたわけです



中学選抜に選ばれた人たちが2校に固まり
うちには誰も来なかったんで
たしかに厳しかったんですが
うちは昔からベスト4は当たり前
準優勝もしばしば
ってくらい強豪ではあったんで
不可能ではないだろうと
そして中学選抜が集まる学校を倒す
燃えんじゃん?




そしたらよぉ
まさかの初戦負け




泣いたね、再び
高校生がこんな泣く!?




んでもって放心状態になりましたとさ
初めて具体的に抱いた夢がこうもあっさり潰えるのかと
悔しい、情けない



今ちょうど甲子園やってますけど
負けた学校の選手が泣きながら土集めてんじゃん?
あれを地区大会の初戦でやってたわ

集めるのは土じゃなくて自分の着替えとかですけどね





それからは練習に身が入らず
どうせどれだけ練習してもあっさり負けるのだと思うと馬鹿馬鹿しくなって

すると顧問に呼び出されまして




おまえ、もう辞めるか




中学に続いて高校でも部活辞めるイベント




正直、辞めたくはなかった
バレーは今までで一番熱中したもので
本気になれたもので
大好きになったものだったから

でももう情熱は戻って来ないし
中途半端にダラダラやっても
バレーが嫌いになるだけだ
ということで





辞めようと思ってます




と告げました






おそらく顧問としては
また奮起させる意味合いや
周りへの悪影響も懸念して
そういう発言に至ったと思うのですが
こうもあっさり辞めると言うもんだから
そこからしばしお説教が始まりまして




なんでそんな態度悪いんだ





生まれて初めて本気で目指した春高がこうもあっさり潰えてしまって
もうバレーにかける情熱がありません






これは部活動なんだ
そこから何を学ぶかだろ
勝つことより大事なことがある






勝つことを目指して何が悪いんですか






こんなやりとりをしたのを覚えています
こうして見るとまだまだ子どもだったね






そして頭を冷やしてからどうするか言いに来いと言われまして
そこから2週間練習を休んでたんです






同期の1人からメールが来ても
俺はもうやる気がない、と




また中学の後半のような生活に戻りつつあったのですが
ある日OB会の会長からメッセージが届き
このOB会長は中々に凄い人で
うちの高校が唯一春高に出場したときの監督さんであり、監督のオファーが絶えない人物なんです

そのOB会長さんから



"このチームで一番勝ちたいと思ってるのはお前だ
負けて悔しくて泣けるやつが他にいるか
これだけ勝ちたいと思ってるやつがいなくなったらこのチームは終わりだ
お前は高校から始めた身でありながらレギュラーになって
キャプテンではないけれど最も影響力のある中心選手だ
だからダラダラやるのはよくない
チームに不満があるなら俺が変えてやる
もっと上手くなりたかったら俺が教えてやる
だから練習に出て来い"





するやん?感動するやん?
胸打たれるやん?

顧問に否定されたものを肯定された気がして
また、欠かせない選手だと言ってもらえて
こんなに人の言葉で嬉しく思ったことはないです




そして練習に出ることに決めたんですね
気まずいから顧問のいない日に




そしたらOB会長が練習に来ていて
指導にあたってるわけです

あぁ、あの人は本気なんだ、と

わたしが気まずそうにしていると
強引に練習に入れてくれて


やっぱりバレーは楽しいなぁ


そんなことを思っていたら
まさかの顧問登場で
呼ばれ
謝り
また練習の日々です





顧問はOB会長の指導をよく思ってなく
自分のやり方で自分で指導したいと

OB会長は顧問の指導法や起用法じゃダメだ
自分がこのチームを強くさせると



言い争うこともあったそうです




やめて!あたしのために争わないで!
状態ですよ


でも顧問には不信感を抱いていたから
OB会長支持派でしたね




今思うと顧問には本当に申し訳なかったなと
卒業した後に会いに行ってお話して
握手を交わしました






なんやかんやでOB会長が積極的に指導するようになって
チームも強くなっていき
わたしがスランプに陥ったときも
マンツーマンで指導してくれて





そして不甲斐ない成績ばかりだった歴代最弱のチームも最後にはベスト4に入れたんです





ここで燃え尽きました




引退してしまってからは
虚無感が凄まじくて
勉強も手につかず
浪人生活へ突入です







そんなこんなで
汗をかくのは嫌いじゃないんですね






いやどんな締め方だよって話ですけど






あれ以来熱くなることはないなぁ






夢ってさ、活力になるよね









いい夢、見ろよ