こういう映画を上映するよ と友人から連絡。
この人のアンテナはどうしてこうもいつも惹かれるものを
見付けてくるんだろうと その感度に驚きつつ即レス。
あまりに感じてしまうことに恐れを成して
未だ訪れることができない広島・長崎。
『 はだしのゲン 』 を手に取ったあの衝撃を覚えています。
太陽が落ちてきた と言った人が居たこと。
『 八月のラプソディ 』 では
人の上に落としてはいけないものだ と語られていたこと。
少し偏っているんじゃ・・・とも思うような部分もありつつ
人と人との繋がりや理解についても考えました。
アースディで武器や核兵器の形を変えて
若者向けのブレスに!みたい商品開発についての
POPを見たのを思い出しました。
制限時間の為にきちんと見ることができなかったことを
4ヵ月後に後悔するとは。
印象深かったのはルート66で出逢ったというドイツ人の言葉。
国ではなくて自分の意思で決めるんだ! と彼は言っていた。
Noと言うことは許されなかったあの時代。
白洲次郎氏くらいなのではないかと思う程に。
Noと言える自分で居られますように。
検問を潜り抜けて広島へ初めに足を踏み入れた記者は
『 広島の人々はただ生きる為に必要なことを黙々と行っていた 』
と語ったそうです。
きっと広島だけではなくて、東京でも大阪でも
日本中でみんながそうやって生きていた時代。
今に至る復興を成し遂げた当時を生き抜いた人々は
後世の私達に同じ経験や思いをさせまいとした。
その想いに対しどう応えていくのか。
揺れる簾の横で語った祖母の顔を思い出しました。