昔見た科学番組で、自分の遺伝子を遺していくのが生物の使命で、そのようにインプットされていると聞いたことがあります。

物理的な制約が無いなら子孫は遺すべきで、実際に自分の子どもは愛おしいと思いますが、現代社会においては育てることへの経済的負担が大きくて割に合わないものになっています。

 

昭和時代は結婚を選ばず自由に生きている人を独身貴族と呼んでいました。

その時代は貴族というくらい少数派だった独身者が、私の周りでは同数と言えるくらいに増えています。

そして、そういう人は人間的に癖のある人が多い。そういう人からすれば「好きで子ども作っているんだから、負担は当然だろう」と言われますが、それならば自分基準で考えないで欲しいです。

性格は個性なので結婚してる、してないは関係ないと思いますが、独身者は人付き合いの距離感や金銭感覚で違いを感じることが多いです。

所帯を持つということは育ってきた環境の違う他人と生活することで、やってみると苦労だらけですが、独身者はその苦労をしてこなかったことで考え方に相容れない部分が出来ていると思います。

 

令和時代は情報入手が容易になり、快適で効率的な生活が出来るようになりました。スマホで連絡を取り合うので待ち合わせですれ違いはありませんし、家電を買うのもネットで最安値を簡単に調べることができます。

無駄なお金を使わなくなった分、世の中に回るお金が減った気がします。昔は世の中全体に余裕があったので、工夫すればお金の余裕が出来ましたが、今はその余裕がありません。

私のイメージする昭和時代のお父さんは月に1~2回パチンコに行ける余裕があって、勝った時はそれをヘソクリに回していたと思うのですが、今の私にはパチンコに行ける金も時間もありません。

また、子どもが中高生になると教育費がかかるようになりますが、普段からカツカツなので、生活レベルを落としていくしか方法はありません。

昔より子供手当や授業料の免除の公的サポートが増えていますが、収入制限があって免除を受けられなかったり、副教材や塾費用は物価に応じて上昇していて、結果的にあまり変わっていないのが実態です。進学を諦めれば経済的に楽になるのですが、次世代を担う子どもが低学歴ニートになってしまうのは困るので、人並みのサポートはしてあげたいというのが親心です。

 

そんな中、交際費なんてものを準備しておく余裕が無いので、そこに独身者から「これくらい付き合えるだろう」と言われると苦しい。偏見と思われるもしれませんが、誰もいない家に帰るのが嫌なのか、結構強引に誘ってくることが多くて困ります。

ケチで付き合いの悪い奴と思われても仕方ないけど、こちらは無理なものは無理というくらい追いつめられています。

昔を比べて、給料変わらず、生活費1.5倍、教育費3倍というのが実感です。

 

50代の独身者は定年後を見据えた資産運用をしているのに対し、妻子持ちは日々の生活で精一杯というのが実態です。

40代でもうけた子どもは経済的に余裕を持った子育てが出来ると思われがちですが、収入が上がった分、控除が受けられず、将来的な貯蓄を食い潰しているだけなので、焦りしかありません。

立ち位置が違うので干渉しなければ良いのですが、職場の人間関係もあるので、なかなか難しいです。

 

かつては1割未満で少数派だった生涯未婚率が3割となったことで、世の中の仕組みが大きく変わろうとしています。

家庭を持っている人はリア充と呼ばれることもありますが、プライスレスと言われる経済的負担はかなり大きいと言わざるを得ません。

苦しくても生物の使命を全うして子孫を遺していくべきか、多少の寂しさはあれど余裕のある暮らしを謳歌すべきだったか、悩んでしまいます。