こんにちは、ステラです。



私は先日、弟夫婦と一緒に

宮崎県の椎葉村にある厳島神社と

広島にある厳島神社に行って来ました。



その時のお話をいたしますね。



今回の旅行に

行くきっかけとなったのは



そこに眠られている方々(平家)に

私の先祖である別当湛増と

関わりがあるということで



天から約3ヶ月間

色んなメッセージを受け取った中で

ついに弟夫婦と一緒に行く事になったのです。



椎名村の厳島神社には

前回、友人と一緒に行ってきたので

私は今回で2回目の訪問になります。



4月15日はちょうど満月の日



私は弟夫婦とは別の便で

先に熊本に到着。



弟夫婦の到着が

予定よりも1時間遅れることがわかると

出来事には全て意味がある!



頭を瞬時に切り替え



ランチを食べ

本を読みながら

弟夫婦の到着を待ちました。



熊本から、宮崎の椎葉厳島までは

レンタカーを借りて行く事に。



車に乗って約2時間30分



その間のみちのりは順調で



椎葉村の厳島神社に到着した時刻は

14時45分頃でした。




椎葉厳島神社は、壇ノ浦の戦いで敗れた

平家追討の命を受けた那須大八郎が、



椎葉山中で暮らす平家残党の姿を深く哀れみ、

平家一族が拝した厳島神社の

守護神を勧請し建立したもの。








ここに来た目的は

先祖が出来なかったこと、




先祖の魂を鎮めるための


お参りであるため



いつものお参りとは違う、お参りのしかたをし、



また、新たに自分達に何が出来るのか?

ということを考えながら、あるものを奉納しました。



その後、椎葉民俗芸能博物館に立ち寄り




村のしきたりとか、文化を見学



そして、その後

那須大八郎と鶴富姫が住んでいたとされる

家を見学しました。



ここは国指定重要文化財となっています。

(昭和31年国指定重要文化財)




形は檜造りの長方形で、一列型平面型式を有し、

家屋前面には縁が横一列に長く配置されていました。








私が行った時は

垂れ桜がきれいに咲いていて




あれ?

どこかから美味しい匂いがする!

と思っていたら



タケノコがとれたということで

300年前に造られたお釜で

タケノコを煮ていました。




釜戸で火を焚くことによって

その煙が天井まで上がって下がり

虫除けにもなっているのだそう。



だから、ずっと火をおこしているとの事



私のコートにも

その匂いがしっかり着いてしまっていました。あせる



この町は本当に

これしかなくって



私たちは車で通ってきたから

2時間ほどで来ることが可能でしたが



山の山の奥の谷底に位置しているため

よくここまで壇ノ浦の戦いから逃げて逃げて

ここまでたどり着いてこれたなぁ~と感心しました。



どういう気持ちでこの場所まで

たどりついたのだろう?



そう思うと

涙が出てきてしまいました。しょぼん



当時は悲惨な

源氏と平家の戦いの時代であったけれど



きっとどこかでお互いに仲直りを

したかったのではないかと私は感じました。



その後、高千穂神社に寄ろうと思っていたのですが、

この日宿泊する宿が阿蘇にあり

そこまで行くのに時間がかかるため

後ろ髪引かれる思いで阿蘇へと向かいました。



車を走らせ、阿蘇内牧温泉 御料理旅館 親和苑
に宿泊








旅館の後ろは阿蘇山で

フロント内には暖炉があり

そこにはコーヒーが飲めるオシャレなスペースもあって




私たちはそこでコーヒーを飲んだり

温泉に入ったり…



ふと夜空を眺めると満月が…




そこで私は満月に願いごとをし、

美味しい食事を食べながら
















弟夫婦と水入らずで話をしました。



姉、弟という関係なのに

普段、あまりこうやって

じっくりと話をする機会もなく



こんなにもずっと一日中一緒にいられて

貴重な時間を過ごす事ができたなと思います。



次の日も

朝早く起きて広島に行かなければならなかったため、

早めに就寝しました。



              ~つづく~



ー<那須大八郎(なすだいはちろう)と鶴富姫(つるとみひめ)の恋物語>ー



1185年(今から約800年程前)、

壇ノ浦(だんのうら)では、

平家と源氏の最後の戦いがくり広げられ、

この戦いで平家は全滅、



生きながらえた者は全国各地へと逃げてゆきました。



ある一行は、けわしい山を越え、

肥後阿蘇路を経て山深い椎葉へとたどり着きましたが



いつしかこの事は敵方(源氏)に知れわたり、



那須大八郎宗久が、平家の落人(おちうど)を追って

軍勢を率いて椎葉にやってきましたが、



そこで那須大八郎が目にしたものは、

戦う気持ちを忘れて

ひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿!



那須大八郎は、追討を断念し



「椎葉の平家の残党(ざんとう)は一人残らず討ち果たしました」と

幕府に偽りの報告をしたのです。



那須大八郎はこの地に屋敷を構えて

平家の落人達と共に生活しているうち



平家の鶴富姫(つるとみひめ)と出会い

二人の間に恋心がめばえます。



しかし、二人は源氏と平家の敵同士の家柄。



にも関わらず、

大八郎は愛する鶴富姫と

生涯をともに過ごそうと

椎葉村に永住することを決意します。



ある時、幕府から

「すぐに兵をまとめて帰れ」と命令が。。。



このとき、すでに鶴富姫のお腹には

大八郎の子が宿っていましたが

大八郎は命令に従って戻らねばなりません。



椎葉の地を離れる日

大八郎は鶴富姫に



「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、

女の子ならこの地で育てるがよい」と



鶴富姫に刀(あまくにの太刀)と系図を渡し

椎葉村を後にしました。



その後、鶴富姫は出産し

生まれたのは女の子



母となった鶴富姫はその子を大切に育てて



その子が成長すると婿(むこ)を取り

愛してやまない大八郎の「那須」の姓を

名乗らせたといいます。



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