こんにちは。ステラです。

熊野・高野山巡りの続きのブログです。



先日のブログでお話しした元旦早朝の開寅祭が終わり、

私達は宿で2時間程仮眠をした後

朝食を食べて、9時にチェックアウトしました。






もう一度大斎原へ向かい、

朝の大斎原を眺めようとする途中の道で

熊野本宮大社の末社「産田社」を見つけました。

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ここには伊邪那美尊(イザナミノミコト)の

荒御霊(あらみたま)が祀られていて

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縁結びのご利益があるとして知られてます。



出会いを求めている人、

また恋愛に関して悩みがある方は

産田社にお参りしてみてはいかがでしょう。



子宝祈願で訪れる人も多いようですよビックリマーク



今までビジネス一本で来た私は

神社に行くと、仕事の事しかお願いしませんでした。



しかし、私も女性ですから、恋愛に関心がないわけではありません。

2013年は良い人との出会いがありますように、と

真剣にお願いして来ました。



この産田社は、大斎原を下って行く小さな民家の横に

ちょこんと鎮座されているため、見つけにくいかもしれません。



ほとんどの人が大斎原の大きな鳥居に目を向けているうちに

ついつい、見逃してしまうかもしれませんね!



私が大斎原からの帰り道にこの場所を見つけ

そして今朝、大斎原にもう一度来たいと思ったのは、

この産田社を忘れず参拝しなさい、という神様の思し召しが

あったのではないかと思い、心を込めてお祈りいたしました。



そして私達一行は、後ろ髪を引かれる思いで

熊野を後にし高野山へと向かいました。



車で向かうこと1時間あまり。

周りの景色は大きく変わり、山の中へ。

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どんどんとくねくねした道を登り進めていきます。

車酔いした人も出て、途中下車。

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外の新鮮な空気を吸って、席替えをし

目的地へと再出発しました。



私はふと、その時に思いました。



車で2~3時間かかるこの山道を

昔の人は徒歩で熊野から高野山まで巡礼していたのです。



考えられないほどの根性と忍耐力。

信心による気力とは凄まじいものがあったのでしょう。



熊野や高野山は縁のある人しか訪れられないと

聞いたことがありました。



今回の経験で私も確かに、と実感しました。



目玉となるスポットが、一箇所にまとまっているわけでなく

次への移動に車で2~3時間かかる。

そして、車がないと移動も難しい。



軽い気持ちではすべてを回ることができないでしょう。



車中から外の景色を眺めながらそう思いした。



そして、やっと山を越えたところに、

私達が待ち望んでいた高野山が見えてきました。



ーーーーーーーーーー<高野山補足情報>ーーーーーーーーーーーーー



高野山というと山を想像すると思うのですが、

高野山は実は山ではなく、楊柳山(ようりゅうさん)、転軸山(てんじくさん)など

標高約900Mの8つの峰々に囲まれた山上の平地一帯の事を言います。



その広さは東西約6キロメートル

南北約3キロメートル



夏は涼を呼び避暑地として最適な場所ですが、

冬は氷点下30度近くになることもあるそうです。



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ここには宿坊という宿が沢山あります。



ただ、今の時期は冬で水が凍結するため、7割がたの宿坊が

このお正月の期間はクローズしています。



私達はそんな中、

熊谷寺という宿坊に泊まることになりました。





============<熊谷寺補足情報>===========



熊谷寺はその名前の由来である熊谷直実、

その師法然上人等、多数の方々が逗留され、

平敦盛並びに源平総死者供養を行ったお寺です。



承和4年創建以来ここに千百有余年、

高野山の歴史とその運命を共にしてきました。

しかし、明治21年3月に高野山に大火があり、

当寺もその災にかかり、堂舎悉く消失しました。



以来、先師の並々ならぬ努力により再建され、

逐次坊舎の増築するにあたり、

旧に倍する規模を呈するに至ってるそうです。

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私達は宿坊に泊まるのは初めての事だったので興味津々でした。



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お寺のお坊さんと小坊主と言われている人達の出迎えを受け、

それぞれの部屋へと向かいました。



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お寺の中にある宿坊は冷え冷えとしていて

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床もギシギシ、ミシミシと軋みます。



私にとっては懐かしい音。



小さい頃、私は京都で過ごしていたのですが

その頃の記憶を思い出しました。



郷愁を感じながら、迷路のように長い廊下を歩いている横で

部屋まで案内して下さる小坊主さんが「はい、こちらがトイレです!」

「はい、こちらが洗面所です!」と説明してくれます。



何だか修学旅行に来たみたいですビックリマーク



通された部屋にはコタツが置いてあって

私達女性陣は、さっそくコタツに入り、暖をとりました。



誰かの家に泊まりに来たようなアットホームな感じです。



そして、話題は食事の話へ。



昨晩はイオンの弁当だったので、

夕飯に出る精進料理が楽しみになりました。



夕飯まで少し時間が合ったので

私達は早速、金剛峰寺へお参りに出かけました。

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ーーーーーーーーーーー<金剛峰寺の補足情報>ーーーーーーーーー



金剛峰寺は、日本全国に約3600寺ある高野山真言宗の総本山です。



空海が嵯峨天皇から高野山の地をたまわった

この地に真言密教の修行道場である

金剛峰寺を開いたのは弘仁7年(816年)のことです。



その後幾度となく、火災で焼失され

文禄2年(1593)年、豊臣秀吉が

亡き母の供養のために青厳寺を建立し、



その隣に木食応其(もくじきおうご:1536~1608)が

行人方の修養のために興山寺を建立



明治2年(1869)、この両寺が併合され金剛峰寺と名づけられました。



大広間と梅の間の襖には

江戸初期の画家、狩野探幽(1602~74)の筆による絵が描かれています。

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私達は金剛峰寺の中に入って

御朱印を貰って、生姜茶を頂き、





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このように周ってきました。

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そして本殿前で蝋燭をあげ



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祈祷をして宿坊へ戻りました。

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         ↑

     (祈祷中の村田社長)





そして、いよいよ

楽しみにしていた夕飯の時間です!

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3膳もあって

ご飯はおかわり自由!

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精進料理を堪能しました音譜



お腹も満たされ、お風呂に入ると



この日は仮眠のみで疲労していたので、

私は9時には就寝したのでした! ぐぅぐぅ



ーーーーーーーーーーーー<続く>------------