こんにちは。ステラです。



先日、熊野に行って来ましたので、

そのときの話をしたいと思います。



気温も高く、陽射しも厳しい時期ですが、

私は念願の、和歌山にある

闘鶏神社と熊野神社の参拝に

一泊二日で行こうと決意しました。



この熊野への道のりは大変です。

まず、東京(羽田)から飛行機で南紀白浜まで行き、

そこからまた、車で2~3時間かかります。



足を運ぶには「行くぞ!」と決意を決めないと

なかなか行けないところです。



この旅で運転手役を快く引き受けてくれた私の友人は

何と私が行く前日から南紀白浜で待機!

2人で旅をスタートさせることになったのです。



その前に、何故私が熊野へ行くことになったか

を説明しましょう。



今年の第一回目の三合参りのブログを

見た方も多いと思いますが



その時に訪れたのが十二社熊野神社でした。

初めて熊野神社で参拝をしたのはその時です。



それから2週間後、友人から

熊野本宮の九鬼宮司様とのご縁をいただいたので

ぜひお会いしては、という有難い話をいただきました。



さすが、三合参りですね!!

2週間後にもうそういうメッセージが来るとは…



お会いするのを楽しみにしていたのですが、

仕事に忙殺され、1~2ヶ月経った後のことです。



私の叔父から

「熊野に行くなら熊野の近くの

南紀白浜にある闘鶏神社に行ってきなさい」

と言われました。



「どうして?」と問いかけると

「そこに先祖がいるから」と言うではありませんか!



はるか昔、源氏と平家の壇ノ浦の戦いの時の話です。

『平家物語』などによれば、源平合戦の時、



別当湛増が、社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、

白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、



熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したと云われています。

このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになったそうです。



闘鶏神社というのは

勝負の神、道を見極める神と、言われています。



私はその別当湛増という人が先祖であることを

その時はじめて知りました。



実は18年ほど前にも京都でその話を

聞いた事があったのですが、すっかりそれを忘れ、

関が原の戦いの先祖の事しか覚えていなかったのです。



熊野神社は熊野信仰といわれており、神仏混合、

さらに修験道の教えも受け入れた、様々な神々の神社です。



私の部屋にも神道、天照大御神の御札があり、

その隣には観音菩薩、お釈迦様、弥勒菩薩が並び

その左側には仏壇があります。



そして、タロットの絵も飾られています。

世界、神はひとつであるという考えから生まれた形式です。



私はこの長年、何十年、すべての神々へ祈ってきました。

毎日お祈りをささげるのに30~40分位かかります。



自分が占い師になって、こうやって祈りを捧げているのも

御先祖様からの縁があるのだなと感じました。



また、この神社の云われを聞いているうちに、

私の今までの歩みを思い出しました。



私が最初に立ち上げた会社は

有限会社ディメールという名前で、競馬のソフト開発の会社でした。



この競馬のソフト開発を始めたのは、

私の大好きだった祖母の通夜の席で

メッセージが降りてきたたのがきっかけでした。



私の叔父の義夫が競馬のソフトを作りました。

この競馬+占いがスタートしたのが、

今から25年位前だったと思います。



途中から占いだけの会社へと変わっていき、

そしてその頃には政治・経済の株価の予想なども

するようになったのです。



私が常日頃一番大事にしていることは

「人生に起こることにはその全てに意味がある」ということです。



今年初めに三合参りに熊野神社へ行ったきっかけが

2週間後の九鬼宮司様と出会う話に繋がりました。



その事を叔父に話し、

そして叔父から闘鶏神社の話を聞き、

私はすぐにでも闘鶏神社に行きたい!と思ったのです。





長旅を始めるにあたり、

私は運動靴を履き、まるで子供の遠足姿で

飛行機で南紀白浜まで行き、

空港に迎えに来てくれた友人の車で闘鶏神社へと向かいました。



南紀白浜からここに来るまで、周りの景色は山と海と岩だけ。

安らぎのエネルギーと神秘的な深さを感じました。



目的地に到着して、闘鶏神社の鳥居をくぐった瞬間、別世界に。

奥に秘めた強いエネルギーが天地を走っている感じがしたのです。





闘鶏神社の狛犬



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闘鶏神社では、まず、長澤宮司さまの所にご挨拶に行き、



「私の先祖は別当湛増という人なんです。」ということを伝え、

家系図を見せると、向こうもビックリされ、

私を宝物殿の方まで、案内して下さいました。





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そこで、ゆっくりと30~40分程、闘鶏神社の由来を伺いました。



闘鶏神社でのお願い事というのが

勝負・株・競馬というようなものが多いんですよ、

と宮司様から拝聴しましたが、



何だか、私の歩いてきた道と似ているようで

とても不思議だなと思ったんです。



この神社の後ろには森があり、

そこには龍神が住んでいると言われています。



一年に一度しか宮司さまも入ることを許されない聖地なのです。



この闘鶏神社の弁慶と別当湛増の銅像がこれです。





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なかなかハンサムなご先祖様でした。

また、弁慶は別当湛増の子供ではないかという説もあるそうです。





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闘鶏神社の後ろには熊野本宮のミニチュア版があります。

それがこれです。





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熊野式というのは本殿が全て見えなくなっています。



格子戸で全てが閉ざされている状態なのです。

これが他の本殿との違いと言うか、特徴と言えるでしょう。



この闘鶏神社には約1時間30分ほどいました。





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次の日には熊野本宮の

九鬼宮司さまとお会いする約束を得て

闘鶏神社を後にしたのですが、



その前に

宮司様が是非、玉串奉奠で祝詞を上げたいということで

私と友人はそこで、祝詞をあげさせていただきました。



本当はもっともっとゆっくりたかったのですが、

何とここから旅館まで行くのに車で2時間30分ほど掛かるため

後ろ髪引かれる想いで闘鶏神社を後にし、勝浦温泉に向かいました。



多分近いうちにまた、訪れることになるでしょう。



そしてこの旅は、

私の原点回帰に繋がる旅となりました。



私が霊感を持って生まれ、

タロット・西洋占星術の占い師として過ごしながら

毎日神仏混合の前でお祈りをしているその中には



きっとここ闘鶏神社に何か大きな私にとっての

キーワードが隠されているのでしょう。



昨年の震災後、私も乳ガンになり、

考え方が大きく変わりました。



一時は大変なことになったと思いましたが、

おかげさまで体力も回復を続け、

その後の仕事も順調でがんばっています。



そんな中でもう一度原点に戻り

日本の伝統的な神社巡り、神道・占いというものを

見つめなおしたいと思いました。



これからは、身内や社員だけでなく

一般の皆さんと一緒に、

日本全国の神社巡りが出来たらなと思う次第です。





~続く~





ーーーーーーーーー<闘鶏神社についての補足情報>--------





【御祭神】



本  殿: 伊邪那美命(いざなみのみこと)





西  殿: 事解之男命(ことさかのおのみこと)

     速玉之男命(はやたまのおのみこと)



上  殿: 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

       伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

       宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)



中  殿: 天乃忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

       瓊々杵命(ににぎのみこと)

       火々出見命(ほほでみのみこと)

      鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)



下  殿:  火産霊命(ほむすびのみこと)

       植山比売命(はにやまひめのみこと)

       弥都波能売命(みずはのめのみこと)

       稚産霊命(わくむすびのみこと)



八百万殿: 手力男命(たじからのおのみこと)

       八百万神(やおよろずのかみ)







【社殿】



西殿、本殿、上殿、中殿、八百万社(各殿 県指定文化財)の順に配列され、

熊野十二社造と呼ばれている。御創建の往時そのままの姿を継承し、

六殿に十五神と八百万神が奉祀されている。



現在の社殿は元和5年(1619年)建立を最古として

延宝・貞享年間(1673~1687年)に建立され、数百年を経ている。





【信仰】

 □ 雞合わせの故事から武軍の神、勝運の神として迎がれ、

    導き・開運の信仰あり。



 □ 御神徳により、縁結び、子宝授受・安産・夫婦円満・厄除開運他、

    諸願成就の信仰あり。



 □ 熊野権現信仰により、過去の救済・現世の加護・来世の安楽と

    三世の守護神。



 □ 樟の御神木に延命長命、無病息災の信仰、

    樟木の葉に歯痛完治の信仰あり。



 □ 梛の神木は凪に通じるといわれ夫婦円満や、海上の安全に信仰がある。



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