この度、大韓民国の政治家・実業家で浦項総合製鉄(現・ポスコ)の設立者、


また第32代国務総理として知られる


パク・テジュン名誉会長が2011年12月13日夕方五時頃に肺の病気で


亡くなられたという悲報を、韓国のスタッフから聞きました。


謹んでご冥福をお祈り致します。






私が今こうして韓国で仕事が出来るのも

日本でパク・テジュン会長とお会いしたことがきっかけでした。




初めてお会いしたときのことを、今でも鮮明に覚えています。

1996年、私は知人からの紹介でパク・テジュン会長と出会い、

美味しいフグを食べながら鑑定をさせていただきました。




会う場所はいつも美味しいフグ屋さん。

本当に日本のフグ料理が大好きな方だったんです。




それまでは私自身、興味は持っていましたが韓国に一度も

行ったことがなく、知識も乏しいものでした。




お恥ずかしながら、当時の私は、パク会長と言われても

どこのどなたか分からなかったのです。




その時にパク・テジュン会長は、

大韓民国はこれからどうなるのか?ということを

何度もたずねられました。




今後の韓国の行く末について、一時間かけて食事をしながら

話をさせていただきました。




その後も、何度かお会いする機会がありましたが

パク・テジュン会長はそのたびにご自身の運勢よりも

これから韓国はどうなるのか?と

国のことを常に心配していたようでした。






そして最後に、金大中という人の運勢を

見てほしいと頼まれました。

私はその時、この方は1997年12月頃から

人生の転換期がありますねと答えたと記憶しています。




そして突然「これから私は韓国に戻ります」と

空港から電話が入りました。




最後に自分の運勢も見て欲しいという要望に応え、

電話で鑑定すると、


「1998年に人生の大ギャンブル運が入っていますよ!

もし何かやり残したことがあれば、今チャンスが来ています。

大きな変革をする時が来ています。韓国に戻られて


次のステージをスタートして頑張って下さい」

というコメントをしました。




パク会長は「ステラさん一度私の国に来て下さい」と言われ


電話を切りました。




それから一年経ち、韓国のTVを見ていたら

金大中さんが大統領に就任というニュースを見、

あの時占っていたのはこの方だったんだなぁ~と思い

ビックリしたのを覚えております。




そしてその一年後再びパク様から

今度こそ韓国に来て下さいという連絡をいただき、

その時に、自由民主党の党首になり、また政治に戻った

という連絡を受けました。




今までも韓国の為に色々な大きな仕事を立ち上げ

韓国という国のお父さんのような功労をされていたと思います。




しかし、パク・テジュン会長には、もっと大きなことを成し遂げる

45年に一回の成功運と人生の大ギャンブル運が来ていたのです。




ちょうどその時期が1998年。

金大中政権が発足し、それから5年間金大中の大統領の

傘下の中で新しい韓国政権がスタートする時期でした。




私はその時もパク・テジュン様という方がどんな方か


よく知らなかったのですが

1999年6月パク・テジュン様のご紹介で韓国へ訪韓した時に

パク会長の韓国での活動を初めて知ったのです。




日本でお会いしている時のパク会長はとても地味で清楚


そして意志の強い方。




心の中に何か炎を持っているがそれを見せないで


ずっと時を待っている忍耐力のある方でした。

きっとある時を待っていたのでしょう。




金浦空港に到着後、パク会長の秘書のお出迎えがあり、

車に乗り込み宿泊先のロッテホテルに着くまで、

今回の3泊4日の韓国訪韓のスケジュールを渡され説明されました。




ビックリしたことに、3泊4日の私の日本語の通訳の方が

オーディションで選ばれていたということです。


私にありがとうございます。と逆にお礼を言わされてしまいました。


私はその時、「パク会長はどのような事業をされている方なのですか?」と

失礼ながら聞き、その通訳の方が一生懸命話していただき、


ロッテホテルに着いた頃には全容を知ることができました。




日本では自分が今まで何をしていたか、


そしてこれから何をしたいかということを一切私には話さず、


韓国はこれからどうなるのか?ということだけを

聞かれていたのでやっとその意味が車の中でわかったのです。




ツアーの日程は

迎賓館での会食、民族村、POSCO本社の見学など

韓国の文化と歴史のスケジュールでした。




POSCO本社ではパク会長の大きな肖像画が飾られていて

これは私なんだよとその前で座りながら

ご自分がやられてきた事業について話して下さいました。




自分の国に対してここまで真剣に考え

どうしたらこの国が成長するかということを話されている


パク会長に強く感動しました。




私が日本に帰る時、「ステラさん、あなたの性格気質は韓国人に受けるから、

一度韓国にしっかりと足をすえて韓国で仕事をするのもいいのではないか?」

と私にメッセージを残してくれました。




あれがパク会長とお会いする最後のときでした。




私は翌年2000年に、韓国でのビジネスを目指して


自らの力でもう一度韓国へ訪韓し、韓国の仕事をスタートさせました。

パク会長からの助言が大きなきっかけとなったのは間違いありません。




お陰様で、パク会長がおっしゃっていたように

私の気質を韓国の方は受け入れてくださり、私自身も日本で仕事をするよりも

韓国で仕事をした方が心地良いと感じるようになりました。




私とパク会長の出会いの話がとても長くなりましたが

その頃の状況を思い出してパク様のチャートを見てみますと

ちょうど私とパク会長が出会った1996年は、


パク会長にとっては人生のターニングポイントの時期でした。




パク会長が何か韓国において新しいことで動こうとしていたのは、

今振り返って考えてみるとこの金大中政権のことだったのかな?と

思っております。




そして金大中政権が始まった年には

パク会長にとっては人生の大ギャンブル運の時でした。




今日まで色々な政治、経済というところに力を入れてきた

パク会長ですが、つい最近のチャートを見てみますと

ちょうど2年位前から海王星という不安定な星があります。

多分この頃から御病気をわずらっていたのではないでしょうか?




そして、今現在パク会長の運気を見るとちょうど

運勢が「無」の時です。




今からちょうど一年前、2010年11月で営業活動運を最後に、

その後一年間「無」の星が入っています。




この「無」の時期というのは、自分の意思で動くことが出来ず、

周りにいる人の運気で動く年になります。

多分ずっと病気との闘いがあったのではないでしょうか。




そして2011年12月13日この時間を見てみますと


ノ・ムヒョン元大統領さんの時にもお話したように


火星のトランジットが太陽火星の行動運

これは行動運又はちょっとアクシデントという星にもなります。




この星に火星が入ったことで、突然病気が悪化し


他界されたと思われます。




私自身、パク会長に何度もお会いしているので

今更このホロスコープチャートを見てお話することは

ないと思いますが




パク会長の性格を見てみますと

太陽と火星がコンジャンクション。


とても短気で思ったことは即実行する人と出ています。




それでいながら月が天秤なので、

周囲の人とのバランス感覚がとても優れているという側面もあります。

そして木星と天王星がコンジャンクションを形成しているので、

成功発展の暗示もあります。




目標に向かって計画を立て、邁進していくという力も持っています。


また、金星と木星と冥王星と天王星の120度は

カリスマ成功運ともいわれています。






韓国の中のカリスマ。

そして韓国の国を大きくしていくための底力。




縁の下で力を発揮するというところが

パク・テジュン会長のチャートに鮮明に出ています。




まさにこのチャートに書かれたような

人生をそのまま生きてこられた方なのではないでしょうか。




信念を心に、歩み続けた鮮やかな生涯だったと思います。

どうぞゆっくりお休みください。