8月14日




私は韓国の慶州にある


ナザレ園
を訪問してきました。






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きっかけは慶州に旅行に行くことになった後、




今回の慶州の旅行に一緒に行く

友人の日向さんが、




朝日新聞でたまたま、慶州の記事を見つけ、


読んでいたら、ナザレ園の事が書いてあり、




「なんか人事には思えない!ステラさん!

慶州に行ったらここにもかかわらず行かない?」と言われ、






私は何度も慶州を訪れていたが、

ナザレ園については、聞いた事もなかったので、




私は直ぐにウィキペディアで「ナザレ園」を検索。






慶州で見学する所を少なくしても

絶対に行くべきだ!と思いました。ビックリマーク






早速、一足先に韓国に入った私は、

園長先生にアポを取り会う約束をしてから、


慶州に入ることにしたのです。






朝、11時に園長先生とお会いする事ができ、

まずは12分程のビデオを見ました。






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これは、27年前のもので、

テレビでナザレ園の本を書かれた

上坂冬子先生が出演しているビデオ。








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このテレビは私が幼稚園の先生をしていた頃の時代!




園長先生は慰問に来られる方には、

まずこのビデオを見てもらってから話をされるとのこと。








~~~☆  <慶州ナザレ園についての補足情報>  ☆~~~




第2次世界大戦中、韓国の青年と結婚した婦人が終戦後に、

大量の日本人が日本に帰国して行く中






韓国人男性と結婚した日本人女性の何人かは

残ることを選択した。






しかし、解放を迎えた韓国で日本人を妻にしていることが

社会的重荷となって日本人妻を捨てたり、






妾として迎えられた日本人妻が

その処遇に耐えられなくなって家を出たり、






または1950年に勃発する朝鮮戦争で

夫と生き別れるなどによって、独り身になったまま

生活する日本人女性が日本に帰国できないまま取り残された。






慶州ナザレ園はそうした日本人妻を援助するために設立された。






そして、この園は韓国の福祉事業の


韓国政府の援助が受けられないため、民間で運営されていて、






今から9年前に日本の財団のお陰で

今の施設を建築する事ができたとのこと。






         <ウィキペディアより抜粋>




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こうして、ナザレ園の経緯を理解した上で

施設を案内されることになりました。








とても素敵な綺麗な施設でびっくりしました。あせる






まず、施設の中に入ると、日本人のおばあさんが4人で






まるで子供が遊んでいるかのように

花札を楽しそうにやっていました。






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それぞれ1人に1つずつの部屋があり、

部屋の中は綺麗に整頓整理されていて






6畳くらいの部屋にタンスとテレビが置かれ、

トイレと洗面所もついて、入り口に台所もあり、






部屋はビジネスホテル並みに綺麗。






見せていただいた部屋には紙で作った人形や置物が、

綺麗にガラス戸棚に飾られていました。








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渡り廊下の先には食堂があり、

お昼近くだったので、




おばあさん達が集まっていました。






テレビでは、日本のNHKが放映されてました。テレビ




おばあさん達は毎日このNHKを見て、




戻ることのできない日本の様子を

見て過ごしているんだそう。






このナザレ園には、以前、


熱心におばあさん達の面倒を

見て来られた金先生という方がいらしたそうです。






金先生は、2001年におばあさん達の夢だった、

生きて帰れなくても死んで魂になったら


日本に帰りたいという切なる願いを叶えるため、






せめて日本の見えるところにお墓を作って上げようと


海の向こうに遠く日本を望む甘浦の丘に

立派な納骨堂を建てましたが、






それが金先生の最後の仕事となり、

その2年後の2003年に他界されたそうです。






その先生の意志を継いだ方が、 宋先生です。






宋先生は、今から27年前にボランティアとして、


このナザレ園に来られたそうです。




当時は日本語が習えればいいなと?と


始めた2ヶ月のボランティアが、




おばあさん達に「帰らないで」と言われて、


そのままこの施設に留まり、






今日まで結婚もしないで、


おばあさん達のお世話をされています。






宋先生は、「金先生との固い約束を果たすのが、


また自分の使命、運命なんです。」と熱く語られ、






その宋先生のとても強い意志が

私の心にずっしりと感じられました。






日本のおばあさん達を


韓国の方が自らの力で守ってくださっている。






私達は何の言葉を発する事もできず、


何ともいえない感じでした。






今おばあさん達の平均年齢は87才。

段々と時間がなくなっていく。あせる






だから、「また早めに来園してくださいね。」と言われた時、


私はこの事をたくさんの人に知っていただきたいなと思いました。






韓国の慶州のナザレ園に行ってくださる方が多くなるよう、

お手伝いしたいなと思いました。






最後に宋先生と写真を撮りました。






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別れの挨拶の時に大粒の涙を流していた、

宋先生の顔が目に焼き付いてしまいました。






戦争の傷跡が今ここに残っている事を


目の前にし、心が痛みました。






でも、私に何ができるのか?






何もできない自分がもどかしい思いで


いっぱいになったのです。






私が10年前に慶州に来た時にも、


なぜか懐かしい、記憶を感じましたが、






叔父に聞いたら、「韓国の慶州、


昔の新羅は私の17代前の先祖で


お前にも血が流れているんだよ」と言われ、






“やはり”と感じたものがありました。


慶州は私の第2の故郷だなと感じた瞬間でした。





そして今回、ナザレ園で


日本のおばあさん達と出会うことが出来たのも、






何らかの意味があったに違いないと思い、


慶州を後にし、ソウルの家に戻ったのでした。






また近いうちに慶州に行こうと思います。