こんにちは。

 

ステファ・継母生活 5年ほど前に 同居を卒業。

継子二人とも 立派に生活しています。

 

でも あの頃の 暗黒生活の影響なり、

 私の育ってきた環境による 影響なり の中

育ってきた セメントには

 成長とともに 彼特有の 苦悩もあり。

 

私の対応方法も 今も まだまだだなあ…

肝っ玉母ちゃんには ほど遠いなあ… と。

セメントの魅力が 花開いていきますように。

 

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そして。 母。

 

アルツハイマーなり 圧迫骨折なり 持病なりで

ほぼ寝たきりで まあ 大変な体なのですが。

 

私が 施設を訪れると 掛けられる声が 二つ。

 

 「何持ってきた?」

 「車で来たの?」

 

 

何持ってきた?… 食べ物が 見えようものなら、手を伸ばして奪う気まんまん…

 

車で来たの?… 「じゃあ、ガソリン代あげるね」 という以前のルーチンを

 したいものの、手持ちのお金がないから それ以上は黙っちゃう。

    :

 「お金を渡す行為」 は、以前から 相手を思いやってのことではなく、

 自分が その行為に 憧れてやってる感じ…

 (ニュアンス伝わるかな…そこに母の「愛」は無いというか…)

 

  そもそも 渡すお金のモトも 自身のお金ではなく、

  自身の姉(子なしの一人暮らし)から 「お小遣い」として もらったお金…

 

 

これらの行為は アルツハイマーが 原因ではなく、

もともとの 素の気質 だと思うんです。

 (もらえるものは何でも欲しい 人にお金を渡す行為への憧れ

  相手の思いや考えに興味が薄い 自閉症的なコミュニケーション など)

 

アルツハイマーになって 「子どもに戻っていく」 中で

その気質が より 目立つように なっているような。

 

 

 

私が 将来 もし 「ボケて」きたら

私は どんな 「素」 を 現すのだろう…。

 

今の私?  それとも  ステファ生活に苦しめられてた頃の私?

それとも

  我慢を我慢とも知らずに過ごしてしまった子どもの私?

  母のような行動・考え方が

    「普通」だと 無意識に背中を見ていた頃の 子どもの私?

 

 

 

最近 「ぼけますから、よろしくお願いします。」 の本を読みました。

そのお母さまも アルツハイマー。

娘さんが 実家に帰ってくるたびに

  元気だったのか 心配したり、

  もう料理はできなくなっているのに

   美味しいお料理を作って 食べさせたい

と思う心は 健在であられて。

 

子どもには 心配掛けさせたくない という思いで

  隠し事をする心も あられて。

 

アルツハイマーによる 変化がでてきても

「素」の部分 … 娘さんへの愛 が 溢れていらっしゃる。

 

とっても素敵だと 思うとともに 

 

このお母さま のような思いを 持ち合わせていない

うちの母の状況に

 

私は なんとも言えない思い というか 渇いた思い と いうか…

そんな思いになります。

 

 

 

ステファ生活 や 今の介護生活も含め

周りの言動から 知ること 気づかされること、 

まだまだ あるようです。

 

とりとめもない つぶやきを 読んでくださって ありがとうございましたっ。