先日「錦織選手、がんばった」というブログを載せました。

 それに対するコメントがついたので、読んでみると、投稿者は優勝できて然るべき、という趣旨で反論をされてこられたのです。反論を載せようと思ったら、その発言者はアメブロ退会者だったのか、ブログも読めませんでした。最近は、ちゃんと記事を読んでいるのか疑わしいコメントがよくあります。僕が読者登録させていただいている、ある方も同じことを問題提起されておられました。

 僕はコメントがきたときは、異論も同調論もちゃんと読ませていただいています。世の中は相反する勢力があって成り立つものであるし、正論と信じられたことが、後々評価が覆ることもあるのです。それだけ、ブログに関わらず、物事を評することの難しさも影響も、自分なりに解かっているつもりです。


 テニスについては、自分も体験をしています。普通のスポーツと違う厳しさも知っているつもりです。

 錦織選手はその道のプロとして全米、全豪、ウィンブルドン、全仏を舞台に闘って、勝負の厳しさを誰よりも知っている。一方で、彼らもまた生身の人間であるわけですから、どこかで普通の人としての営みもしているのです。

 発言、特にスポーツを語るなら、いくらなんでも無責任、無知のまま語っていいわけはない。それが僕のわきまえです。プロ野球ホームラン王の王貞治さんも、Jリーガーのカズも、フィギュアスケートの安藤美姫さんにしろ、ファンの毀誉褒貶の中で成果を出すべく奔走してきたアスリート。それが、金メダルでない結果を出せない場合、口で外野席からやじるのはたやすい。でも、私たちはその逆の立場に置かれた自分を想像することはあるでしょうか?