「課題の分離」という言葉をご存知ですか?
アドラー心理学の言葉です。
「課題の分離」というのは、『困った』『なんとかしたい』と思うような ”課題” を感じた時に、「それは誰の課題なのか」と問い直してみることです。
例えば「宿題をしない」という課題は、本来子どもの課題です。
宿題をするかしないのかは子ども本人にしかコントロールできませんし、その結果「成績が伸びない」「先生に叱られる」などは子どもが体験することだからです。
「やらないままになるんじゃないか」という心配に対しては「自然の結末を体験させる」という考えがアドラー心理学にはあります。
いわゆる、体験、経験、苦い記憶、痛い思いです。
子どもが「自分の課題である宿題をしない」ことで、どのような結果になるかを子ども自身に体験させて、そこから『宿題は自分で取り組むべきことなんだ』という気づきが起きるのを待ちます。
自分でものごとを体験して、自分で「良かった」「嫌だった」と感じることが一番の気付きと学びになります。
そしてもう一つ「論理的結末から学ぶ」という考えもあります。
こちらは体験するより前に「こうなったら・・・になる」と考えることで、自分の望む未来につながるような行動をするようになることです。
歴史から学ぶ、『人のアドバイスを素直に受け入れる』も似たような例です。
でも、重要なことは、自然の結末から学んだ体験が、ある程度の回数がないと論理的結末を想像する力は育たないということです。
また、思春期は親から「やりなさい」という口調で言われると、それだけで反発する時期です。
それに思春期の脳は「今の快楽」の方を「未来の快楽」よりもずっと強く感じやすいので、論理的結末を想像して「理性的・合理的に」行動するには、その未来でどんな気持ちになるのかがちゃんと想像できるまでの、ある程度の体験や練習が必要なんです。
「未来を考える力」=論理的結末を予測する力は、練習によって育つので、とても個人差がありますが、概ね中学生くらいだとまだ未熟なことも多いです。
なので、大人からすれば『ちょっと考えれば、このままだとマズイってわかるでしょ 』と言いたくなることでも、本人は考えられなかったり、ちょっと考えたとしても、自分に都合の良いように想像して「なんとかなる」と思ってしまうこともよくあります。
そんな時は、子どもの課題だと意識しながらも、子どもに論理的結末を言葉にさせると言いです。
言葉にするうちに、「このままじゃマズイ」と気がつくことも多いです。
ここまで冷静に親子で話し合えること自体むずかしいですけどね。
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子育ては、期間限定。
がんばりましょう!