昨日の続きです)

【感想】
 前回の質問毎に、私が気が付いたことをお話ししたいと思います。

Q2. 何歳でどれくらいのことが分かるようになるのか

 記事によれば、子供が自分の気持ちに気づくようになるのは2歳後半以降だそう。叱る時には「子どもの気持ちを聞きつつ親の気持ちや生活の中のルールを、分かりやすい言葉で具体的に伝える」との助言がありましたが、私も普段のブログで「①子供の気持ちに共感する(母性)→②子供に指導する(父性)」と勧めています。この指導が可能になるのは、初めて自分の気持ちに気づく2歳後半以降なのですね。それ以前の1歳後半以降では、もちろん共感はできず、その時・その場で・そのつど、短く分かりやすい言葉を使って、何がいけないのか、どうしてほしいかを伝えるだけ。更に「Q1」によれば、その前の1歳ごろは、叱るのではなく危険な行為を止めさせるだけ。

 一方で、4歳半〜6歳以降では、「叱る時は、ダメというだけでなく、「してほしいこと」「してはいけないこと」の理由を、具体的に説明する」との助言。「そんな食べ方しちゃダメ」と言われても、子供は「じゃあどんな食べ方をすれば良いの?」と不安になりますが、「お茶碗を持って食べようね」等と言えば「そうすれば叱られない」ことがわかって安心するでしょう。

 幼児期での叱る目安になりそうです。


Q3. 困った行動のやめさせ方

《子どもの困った行動への対処は、その行動を「やめなさい」と叱るだけではなく、他の行動をさせるほうがいいという考えもあります。例えば、下の子をみているときに上の子が困った行動をしたら、「さみしかったね。今度は〇〇を手伝ってね」と言ってあげるほうがいい》との助言。

 困った行動をする子供は安心感が不足した「充電場面」にいます。つまり、まずは共感などの母性による働きを加えることが必要だということが分かります。

 次に考えるべき事はその問題が深刻な問題かそうでないかと言うことです。なぜなら、それによって、次に父性による指導を加えるか加えないかが決まるからです。

 まず、記事中で紹介されている事例の場合、それまで自分に対して向けられていた母親の愛情が、一転して自分より下の弟や妹に向けられるようになる状況は、母親と言う「安全基地」を奪われてしまうことであり、その子にとって深刻な問題であると考えられます。ですから、「さみしかったね」等の母性による共感だけで充分ではないかと私は思います。お母さんの愛情が戻り不安感が解消されれば、子供に「自力回復力」が生まれ、今の問題行動は自然と解消されると思います。

 一方で、この事例ほど深刻でない場合は、母性による共感の後であれば、父性による指導を加えてもいいと思います。しかし助言では、「他の行動をさせる」という提案がされています。これは、自分が良くない行動をしたという気不味い環境から抜け出させ、気持ちを引きずらないようにする、いわば「クールダウン」のような意味があるのではないかと思います。この支援方法は特に感覚の敏感な子供に対して有効に働きます。感じやすさは大なり小なりどの子供も持っているので、この指導は他の子供にも受け入れられるものだと思います。


Q4. 厳しく叱られていないと、打たれ弱くなる?

《私達は叱らなくてもいい子になってほしいのではないでしょうか。その意味では、叱られ強くなるようにと考えるのは本末転倒》との助言。

 同感です。「厳しく叱られていないと、打たれ弱くなるのでは?」という考えは、厳しいしつけをしてしまう自分を正当化するための大義名分のようにも聞こえます。

 何よりも、愛着を育む上でその修復のタイムリミットとされる幼児期にあっては、子供に安心感を与える子育てをすることが大切です。その時期に「将来打たれ強くなるように」と、不必要に厳しい指導をして不安感を与えれば、子供の将来の人格形成を左右し「第二の遺伝子」とも呼ばれる愛着を不安定なものにしてしまうことになるわけですから、正に本末転倒です。他者から打たれる前に、まともな社会人になることさえ難しくなっているかも知れません。


Q5. 叱っているのに子どもが真剣に聞いてくれない!

《このケースでは「ごめんなさい」を求めるより「たたくなら一緒に遊べない」と伝えるほうがよいでしょう》との助言。

 叩いた顔を「よしよし」と言って冗談のようにさする行為を、子供の謝意の表れと捉えられるかどうかがポイントだと思います。

 助言にあるように、子供が親の顔をさするという謝意を示したのなら、その後で「叩くなら一緒に遊べない」と親の不快感情を伝えれば、子供は「謝ったのに許してくれなかった」と認識してしまうでしょう。それよりも、「『よしよし』と言ってさすってくれたのは、『お母さんを叩いてしまって悪かったなぁ』と思ったからだよね」と子供に共感することによって母性の働きを施し、その後で「悪かったなと思ったらごめんなさいと言うのが良いんだよ」と父性による社会的自立を促す指導を加える方が良いのではないでしょうか。

「『ごめんなさい』という言葉は、そこで話を終わらせる呪文ではない」と助言にありましたが、それは、あくまでも一方的に父性による指導だけを加えた場合のことで、その時に子供に言わせる「ごめんなさい」は本当の意味の謝罪の気持ちは込められてはいません。一方で、始めに母性によって自分の気持ちに共感してもらった子供の心は雪のように溶け始め、心からの「ごめんなさい」の言葉を相手に伝えることができると思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 総じて、幼児期の子供は、「イヤイヤ期」をはじめとして、児童期よりも自分の気持ちを親に分かってほしいと思う気持ちが強いです。となれば、叱る際には、その子なりの「ドキドキする」「ワクワクする」等の気持ちを向け止めてあげる必要があります。


 下記の「子育ての基本原則」に照らし合わせた場合、子供を叱るのは、子供に問題はあるがそれほど深刻ではない場合、つまり下記②の左側がそれに当たると思われます。

 その際に忘れてはならないのは、「先ずは子供に共感する母性の働きから」と言うことでした。正に、その子なりの「ドキドキする」「ワクワクする」等の気持ちを向け止めるという支援です。つまり、上記「子育ての基本原則」は、幼児期にこそ配慮されるべき内容と言えるでしょう。