1996年当時中学校一年生だった長男の家庭内暴力に悩んだ父親が、長男を金属バットで殴り殺した「東京湯島金属バット殺人事件」。加害者と被害者の関係は、元農水省次官が自身の長男を殺した事件とよく似ています。

   私は以前この事件について、「雑感ツイート83」の中(「ツイート①」)で次のように紹介していました。
「この事例は思春期に起きた事件でした。つまり、親による子供に対する否定的・支配的な養育(例えば「何やってるの!」「早くしなさい!」「いい加減にしろ!」等)による怒りが思春期に爆発したのです。」

 その後、ひょんなことをきっかけにして、この事件を紹介したドキュメント本の存在を知りました。その本は
「検証 金属バット殺人事件~うちのお父さんは優しい~」(明窓出版)

   私はその「うちのお父さんは優しい」というタイトルを見て、「あれ?『否定的・支配的な養育』をした親ではないの?」と思いました。そこで、直ぐにその本を取り寄せて読んでみたところ、その行動の背景には、ある意外な要因が隠されており、それは、現在でも同様に起こり得る問題だと感じました。

   では、その本の内容をかいつまんで見ていきましょう。
 
長男M男の実態
0歳から保育園に入っていたが、よく泣く子だった。保育園の先生も「数年に一人の過敏な子」と言った。
・デパートヘ行った時風船を配っていたが、「風船が飛んでいったら怖いから」と風船をもらおうとしなかった。
・夏祭りで金魚すくいをやった時、「死ぬのが嫌だから」と金魚をもらわないで帰る子だった。
・保育園で、明日雑巾を縫うからタオルを持って来てと言われた時も「僕、縫えるかな、縫えるかな」とずっと心配そうにしていた。
・運動会の練習の時、「風がこわい」「ピストルの音が怖い」といって先生にしがみついて泣いていた。
・新しい保育園や中学校に入る時には、慣れない建物に入る際に極度に怖がった。
Mが小学校の4年か5年の頃、彼は自分の父について、他の友達の父親と比較して「うちのお父さんは優しい」と語っていた。Mの父親は週末や休日には、父子や家族で遊んだり出かけたりしており、「多忙、不在、子育てに参加せず、家庭での存在感が希薄な父親ではなかった」(弁護人)。
 
家庭内暴力に繋がったと思われる背景
≪小学校時代≫
 小学6年生の時、給食時間、自由に席を移動して給食を食べる日に、Mが机を(友達のところに)寄せたところ机をどかされ、「引っ越しをしたい」と親に訴えた。
≪中学校時代≫
 一年生の5月から6月にかけて、全員が部活動に入らなくてはいけなかったが、Mはそれが選べなかった。
 613日、Mは、音楽の授業中に騒いでいたために、担当の先生から注意を受けた。これに対してMが反抗的な態度に出たため教師はMを廊下に立たせた。その二日後、1年担当の4名の教師は、Mを呼び出し、それまでのMの生活態度等に関して注意し、「今までの学校生活の中で、反省するところ、これから直していかなければならないところ」を紙に書いて持ってくるように言った。
 この日、学校から帰ってMは母親に「先生にいっぱい叱られて死にたくなる。この辺に高いビルは無いかな?高いビルから飛び降りたら死ねるかな」と話している。母親はその話を聞いて学校に確認に行った。そこで、Mの授業中の態度が悪かったことや部活動を選ぶことができなかったこと等を注意したという話を聞いた。その時、母親は「Mは新しい課題が出ると不安になる子どもだ」という説明を学校にした。
 その後、家に帰ってきた母親は、Mに「親より子どもが先に死んでしまうと親は悲しいもの」「授業中に、お友達の勉強の邪魔をしてはダメ」と話した。Mは反省文を書いたが、一人では謝りに行けず母親が付き添って学校に行った。
 
 Mの家庭内暴力はこの後の112日に始まるが、M6月に学校で注意された後のことについて法廷で語られることはなく、この時の経験がMにとって極度のストレスになっていたと判断された。
 
Mが家庭内暴力に走ったのはなぜか?
 さて、まだ発達障害の概念が存在しなかったこの頃、彼の様子について医者の診断が下されることはありませんでしたが、行動特徴としては、「風船が飛んでいったら怖いから」と風船をもらおうとしなかった、「死ぬのが嫌だから」と金魚すくいの金魚をもらわないで帰った、保育園で雑巾を縫うからタオルを持って来てと言われた時「僕、縫えるかな、縫えるかな」と過度に心配した、というような過度な心配性、更に、運動会の練習で「風がこわい」「ピストルの音が怖い」といって先生にしがみついて泣いたような敏感性が挙げられていました。
 私自身、現職の頃に全く同じような子供達を何人もこの目で見てきました。その子供達は皆“感覚過敏”の特性を持つ自閉症スペクトラム障害ASD)の診断を受けた子供達でした。
 
   さて、平成10417日に下された判決では、裁判長から次のような判断が述べられています。
「本件家庭内暴力の原因についてみると、その可能性の一つとして、被害者(M)が幼少時から感受性の強い子どもで、学科の勉強を含め、新しい課題や状況に思い通りに対処することができず、中学校に進学して徐々に将来への不安感が高まる等氏、そうしたことなどから情緒不安定となっていたことを指摘するにとどまる」「(被告人らの養育態度については)外部から指摘できるような、あるいは被告人が自覚してしかるべきであるというような明確な落ち度が被告人にあったとは認めがたい」
 
   ここまでのことから、「親による否定的・支配的養育が要因になった家庭内暴力」ではないことは明らかです。
   では、なぜMは家庭内暴力に至ったのでしょうか?
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 長くなってしまったので、この続きは明日お話しします。
   その中では、感覚過敏の傾向が障害域ほどではないけれども、“強め”の子ども達が同じような問題を抱えないようにするための方法についても紹介します。