【今回の記事】

【記事の概要】
   子どもが失敗したとき、例えばジュースや牛乳をこぼしたとき、叱るだけで終わらせますか?わざとでないにしろ、こぼした本人に後始末をさせますか?実は親の対応で今後の子どもの態度が大きく違ってきます。

『一人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者の立石美津子がお話します。
 
叱るだけで終わらせていませんか?
   口喧しく一日中叱っているのに、子どもの行動がちっとも改善していないことってありませんか?「いえいえ、私はしっかり子どもに注意しています」と言っているママの行動、でも、口先だけで終わらせてしまい、親が後始末をしてしまっていることって案外多いのではないでしょうか?例えば「早く玩具片づけなさい!幼稚園に遅れちゃうでしょ!」と言いながら、「もう幼稚園バスが来ちゃう!」と焦って親が片づけてしまう等ですね。
   更に具体的にお話します。
 
牛乳やジュースをこぼした時
   子どもが誤って牛乳を床に零しました。忙しく夕飯の支度をしている最中にこんなことをされると、イラッとします。そしてついこんな言葉が自動的に出てきてしまいます。
「なんでこぼすの?ちゃんと見ていないからよ」
「また、ママの仕事を増やしていい加減にしなさい!」
理由を聞かれたって子どもは答えようがありません。もし、こんな風に言われたら「もう、牛乳を飲むのは止めよう」とか「自分でテーブルに運ぶのは止めよう。これからはママにやってもらおう」となってしまうかもしれませんね。
解決策
   こんなときは子ども自身にやってしまった結果を背負わせればよいのです。つまり後片づけを自分でさせるのです。「まあ!牛乳こぼしたのね。雑巾で綺麗に拭いてね」とだけ言えばよいのです。
   せっかちなイラチなママは子どもに後始末をさせると、かえって手間がかかると思ってしまいます。仮に、汚い雑巾で拭いたとしても、そこはグッと我慢、我慢。次回、牛乳を零したとき綺麗な雑巾を渡して「これで拭いてね」と教えればいいのですから。
   自分で雑巾で拭く、この面倒くさい体験を通して、子どもは「これからはこぼさないように気を付けよう」となります
 
忘れ物をした時
   幼児期は忘れ物をしたとき親が幼稚園に届けることは必要ですが、小学生になっても筆箱を忘れたからと届けるママがいます。また、明日の勉強道具のランドセルのセットまで過保護にもやっているケースも
   でも、これでは子どもは親にいつまでも依存してしまいます。「忘れてもママが届けてくれる」と思うようになり、忘れ物に気を付けるようにはなりません。また、ピンチになったとき「先生、筆箱を忘れてしまったので今日一日貸してもらえますか」と(自分から進んで)SOSを出すこと(ソーシャルスキル)も学べなくなります。仮に、担任が「筆箱を忘れたから掃除当番をやりなさい」とか「罰として漢字を100回書きなさい」としたとしても、掃除嫌いや漢字嫌いな子を作ってしまうだけです。
解決策
   忘れ物をしたための失敗体験をさせましょう。また、親がヘリコプターペアレンツのように届けてはいけません。ノートが取れない。使い慣れていない他人の筆記用具を使わなくてはならない等を本人に体験させるのです。きっと、「明日からは筆箱を忘れないようにしよう!」と思うようになります。
 
幼児がグズグズして準備に時間がかかる時
   いつまでも玩具を片付けないでグズグスしている子どもに対して「早く片付けなさい!お片付けしないと公園に連れて行かないよ」と脅しながら、最終的には「時間がない」と親が片付けてしまっていては、子どもには片付けの習慣がつきません。
   また、罰として片付けない子どもを叩いたり、「片付けないんだったら捨てるよ」と脅迫するのはよくありません。
解決策
「ああ、残念、もう公園にいく時間がなくなっちゃったね。今日はスーパーで夕飯の買い物に行くだけにしましょう」とするのです。これは罰ではなく自分でとった行動の責任を負わせているだけです。すると子どもは明日からはさっさと片付けるようになります。
 
【感想】
   失敗した子どもの後始末を親が神経をとがらせて代わりにやってしまわずに、子どもにやらせる。正に、『一人でできる子が育つ テキトー母さんのすすめ』の著者の立石美津子さんらしい指摘です。改めて私がコメントを添える必要もないのですが、敢えて私なりの立場からいくつか気がついたことを以下にお話しさせていただきます。
 
子どもに不利益を与える
   今回の「子ども自身にやってしまった結果を背負わせる」という立石さんの指摘、応用行動分析学では次のように指摘されています。
人間は自分に“不利益”が降りかからないと、自分の行動を直そうとは思わない
 
つまり、いくら親から注意されても効き目があるのは始めだけであり、それに慣れてくると、子どもは“馬耳東風”状態、右から左へと聞き流しているだけになります。そうなると、もはや親の小言は子どもにとっては「不利益」でも何でもなくなります。ですから、親がいくら怒っても子どもの行動は改められないのです。「不利益」とは、例えば上記記事で言えば、
「自分で雑巾で拭く、この面倒くさい体験を通して、子どもは『これからはこぼさないように気を付けよう』となります」
この「この面倒くさい体験」こそが、正に「不利益」に当たります。
 
“罰”は子どもが納得する不利益にはならない
   また、立石さんは、
「担任が『筆箱を忘れたから掃除当番をやりなさい』とか『罰として漢字を100回書きなさい』としてしまうと、掃除嫌い漢字嫌いな子を作ってしまうだけ」
とも指摘しています。
   一見すると、この「掃除当番」や「漢字100回練習」も、子どもにとっては「不利益」に当たるような気がします。それなのに、なぜ子どもは「これからは筆箱を忘れないようにしよう」と素直に反省せずに、「掃除嫌い」や「漢字嫌い」になるという歪んだ認識に至ってしまうのでしょうか?
   実は子どもは、「筆箱を忘れてきたのに、どうして掃除当番をしなきゃダメなの?(漢字を100回書かなきゃダメなの?)関係ないでしょ?」と、罰を課せられる“理不尽さ”に気がついています。一方で、筆箱を忘れたことで、「ノートが取れない」「使い慣れていない他人の筆記用具を使わなくてはならない」等の状況になることは、必然的な状況であり、子どもは納得するのです。つまり、いくら親が「罰」を与えたところで、子どもは「それは単に親が意図的に設定した理不尽な経験だ」としか認識しません。子どもに納得してその不利益を受け入れようと思わせるためには、世の中の自然な流れに委ねるしかないのです。
   例えば、記事中にあるように、幼児がグズグズして準備に時間がかかったために公園にいく時間がなくなってしまうことは、罰ではなく、子どもが準備に時間をかけてしまったために必然的に起きる状況です。だから子どもは「明日からはさっさと片付けよう」と思い、行動を改めるのです。
   ただし、この時、親が不自然に「あらら~、公園に行けなくなっちゃったね。ざんね~ん!」等と嫌味を込めて言うと、子どもは必然性よりも、親の“意図”を敏感に感じ取り、理不尽な印象を受けることになるでしょう。事実を淡々と伝えることが大切です。
 
失敗を恐れない子どもに育てる
「(子どもは親から必要以上に失敗を責められると)『もう、牛乳を飲むのは止めよう』とか『自分でテーブルに運ぶのは止めよう。これからはママにやってもらおう』となってしまうかもしれません」との立石さんの指摘があるように、子どもは親からの叱責を受け続けるうちに、次第に、失敗を恐れて受け身意識を持つようになり、自分の意思で判断しようとはしない“指示待ち人間”になってしまう恐れがあります。これは、「キャリア教育」で重視されている4つの能力のうちの一つである「意思決定能力」の芽をつぶし、自立した社会人になることを大きく妨げてしまうものです。
   それだけで済めばいいのですが、子どもは不本意ながら次第に親に対する不安感や不信感を募らせ、親への愛着(愛の絆)に傷を受けています。成人後に、他者との人間関係から自分を遠ざけがちになったり、人の行動に対して怒りをぶつけがちになったりする「回避型」の愛着タイプの人間になってしまう可能性も少なくありません。
 
 しかし、「自分の失敗は自分で責任を取って乗り越える」、そういうスキルを身に付けた子どもは、親の怒りを買う心配もなく、自分自身の責任の下、堂々と目の前の課題に取り組むことができますし、同時に、親子間の愛着も傷を受けることなく、安定した人格を身に付けた大人にも成長することでしょう。