受刑者達の考えを変えさせた質問
   あるNHKの番組で、刑務所内の様子を紹介する特集をしていました。
その中で、もうすぐ刑期を終えて刑務所を出る予定の受刑者が集められ、出所後の生活を円滑に過ごすための勉強の機会として、外部講師による講義が行われました。
 
 講師は、受刑者達に、ある生活場面を想定した次のような質問をしました。
「あなたは、朝仕事に向かうため、駅のホームで電車を待つ列に並んでいます。すると、あなたの目の前に、赤ん坊を乗せたベビーカーを引く若いお母さんが並んでいます。その時、あなたはどんな気持ちになりますか?」
すると、受刑者達からは、およそこんな反応が返ってきました。
「邪魔だ。」
「何か面倒を起こすのではないか。」
「こっちは急いでいるのに、面倒くさい乗客に出会ってしまった。」
 
間もなく刑期を終えると言っても、自己中心的な考え方をしがちな受刑者達です。講師にしてみれば、この反応は想定内だったようで、次にこう聞き直しました。
「では、その母親は、なぜこの時間にベビーカーを押していたのだと思いますか?
 
受刑者達はしばらく無言でしたが、その中の一人がこう発言しました。
「仕事に行くため、赤ん坊を保育所に預けに行こうとしている」
 
その発言を受けて、講師は更にこう問います。
「ではもう一度聞きます。あなたは、その母親に対してどんな気持ちになりますか?」
 
それに対する受刑者達の反応はこうでした。
「朝の忙しい時間に、ベビーカーで赤ん坊を送っていくのは大変そう」
「自分も仕事に行くのに、赤ん坊の面倒まで見ないとならないのはかわいそう」
 
驚くほどの変わりようです。

ところで、その受刑者達の反応が180度変わったのはなぜでしょう?
それは、彼らが相手の立場を理解できたからではないでしょうか?
 
相手の気持ちを汲むことが苦手な人達
 私達は、他者の行動を目にした時、瞬間的に相手の立場や気持ちについて推察し、その後、それに基づいたリアクションを示します。
 実は、それが苦手な人達がいます。
まず、自閉症スペクトラム障害(ASD)のように自閉症の傾向が強い人達です。彼らは、「心の理論」と言われる、他者の気持ちを推測する機能が十分ではありません。“感覚過敏”の特徴から余計な外部刺激で不安に襲われるのを防ごうとするために、他者の言動に関する情報さえ感じ取ろうとしないのではないかと考えます。
 
 また、愛着不全の人達も同様です。特に、他者に対する関心が薄い「回避型」愛着タイプの人は、他者と距離を置いた人間関係を好むことから、他人の感情を把握した共感や同調ができません。乳児期に、母親から十分に世話をされなかったために、自らが生きていくために、母親を頼る気持ちを捨て去ってしまい、「母親でさえ当てにしてはいけない」という認識から、他者全般に対する関心が極端に薄くなるのです。
   私は、今回の受刑者達はこのタイプの人間が多いのではないかと考えています。幼い頃から、劣悪な養育環境の下、愛情を注がれなかったために「第二の遺伝子」とされる愛着に傷がつき、成人後も人格が歪んでしまい、様々な反社会的行動をとり、結果的に罪を犯してしまう。刑務所には、そんな過去を背負って生きてきた人間たちが多く入所しているのではないでしょうか?
 
我が子を“思いやりのある人間”に育てる
 我が子をそんな大人にしないためには、乳児期から子どもの反応に応じて「安心7支援」のような愛情行為で接することはもちろんですが、仮に十分愛情を注いで育てられてきたとしても、発達段階上、まだ未成熟な実態にある“子ども”に対しても、他者を思いやる気持ちを育んでやることが必要です。
 
 そのために、必要となるのが、今回の講師が受刑者に対して行ったような配慮です。
 そもそも子ども達は、突発的に思いついた判断によって行動しがちです。そのため、先の受刑者に想定させた場面のように、自分の目の前に、トラブルを起こしそうな相手がいると、「じゃま」等のような心無い言葉を投げかけて、相手を傷つけてしまうことがあります。


しかし、その時、親は子どもにどんな言葉をかけるか?それが大きな分かれ目になります。その言葉とは、先の講師が投げかけた、
「その母親は、なぜこの時間にベビーカーを押していたのだと思いますか?」
と同じ、
「(友達の)○○ちゃんは、あの時どうして……していたんだと思う?
です。

「相手の行動のわけを考える」ことが、「相手の気持ちを考える」第一歩だと思います。