(前回の続きです)

【感想】
 さて、上記記事を読んで、私の立場から気になった記述がいくつかありました。それを挙げてみましょう。
①「必要のない洋服や小物などを買ってしまって、お金を使いすぎてしまう」
②「絶望感に襲われて強く死にたいと思った」
③「彼女の命をつないだのは、“人とのつながり”だった」「貧困は「経済的貧困」だけではない。人間関係を失う状態に陥る『関係性の貧困』がある」
④「小児不安神経症になり、母親がちょっとでも離れると、もうそれだけで不安でパニックになる」
⑤「大人がいる場所にいたかった。大人が近くにいないと不安になる。」
⑥「いろいろ心配してくれて、助言してもらって、私はまだ生きていていいんだって前向きな気持ちになれました。自己肯定感が生まれた」「就労支援センターの方々に支援をされたことで、お金があろうとなかろうと、生きていればそれでいいのかな。そう思えるようになりました」
 
 これらを整理すると、以下のようになるでしょうか。
A.    過度な買い物癖(①)
B.    強い絶望感(②)
C.    母親に対する過度な執着(④)
D.   他者との繋がりの欠如(③、⑤、⑥)※⑥はこれが改善した姿
 
「養育者の内在化」ということについて
 私は、これらの記述から、今回のテーマは「養育者の内在化」ではないかと考えました。
   この「養育者の内在化」については、現在、浜松医科大学客員教授、日本小児精神神経学会常務理事を務める精神科医の杉山登志郎氏が、著書「子育てで一番大切な事~愛着形成と発達障害~」(講談社現代新書)の中で、概ね次のように説明しています。
「乳幼児は、母親と外の世界を行ったり来たりしているうちに、親が目の前にいなくても、親のイメージを子どもが自分の意識の中に呼び起こすことができるようになる。これを、『養育者のイメージが子どもの意識の中に内在化する』という。そのため、徐々に母親と離れる距離が長くなっていき、やがて玄関に、更に幼稚園に出かけていけるようになる。それはつまり、子どもの意識の中にある養育者のまなざしがいつも子どもを守るということ。私達が苦しい経験に打ちのめされた時、それでも人生を頑張ろうと思えるのは、しっかりと愛着を結んだ自分の親や配偶者、子どもが心に思い浮かび、その存在が助けてくれるから。そのため、その基盤となる幼少時の愛着が不十分だと大変になる。そのまま大人になった場合には、何か満たされることが無い人になりやすい。愛着の代わりに、無駄なものを大量に買い込んだり、飼えないほどのペットを集めたりといったことが起きてしまい、一生にわたる問題になることもある。」
 
西田さんが問題を抱えた背景
 つまり、今回の記事に登場する西田さんが小児不安神経症をはじめとした「(C)母親に対する過度な執着」に陥ってしまったのは、目の前に母親がいなくても、そのイメージを呼び起こし、安心して母親の外の世界で活動するという「養育者の内在化」の弱さによるものだったのではないかと考えたのです。この記事は、乳幼児期の愛着形成について述べる目的で書かれたものではないために、その時期の親の養育の様子については紹介されていません。しかし、西田さんの症状を見ると、杉山氏の指摘がぴったり当てはまるのです。
また、就労支援センターの方々に支援を受けたことで、「お金があろうと無かろうと、生きていればそれでいい」と自己肯定感を抱き始め立ち直ったといういきさつも、そのことが、全ての基盤となる母親との愛着の不安定さが要因になり、そのために「(D)他者との繋がりの欠如」、いわゆる愛着(愛の絆)の弱体化に陥ったことを物語っているような気がします。いわゆる「関係性の貧困」は、その他者との愛着(愛の絆)の弱さが発端となっているのでしょう。ちなみに、就労支援センターの方々との絆が築かれたことで、不安定だった愛着が改善されたことは、その背景に、愛着(愛の絆)がその時々の環境によって形作られる、後天性の性質があることを物語っています。
また、彼女の「(A)過度の買い物癖」も、母親から安心感の元となる安定した愛着を得られなかったために、その代わりとなるものを求め、その対象が“買い物”だったということではないかと思います。これは、いわゆる岡田尊司氏が指摘する「愛着不全による依存症」にあたるものと考えられます。
 更に、「(B)強い絶望感」も、「親さえも自分の心の支えとならなかった。ましてや、他人など当てにできるはずもない」という愛着不全者特有の人生を悲観する考え方を表していると考えられます。
 
我が子を保育園に送り出す
 さて、この西田さんのように小児不安神経症と診断を受けていなくても、保育園や幼稚園に行く時間になると、大泣きして母親に抱きついて離れようとしない子ども達も、その背景には、この「養育者の内在化」のぜい弱さが潜んでいるのではないでしょうか。
 母親が自分に対して投げかけてくれる優しいまなざしのイメージが自分自身の意識の中に内在化するためには、そのイメージが定着するだけの繰り返しの経験が必要になります。その一方で、本来ならその経験をするべき時期に、助けを求めても自分の元に来てくれなかったり、いつも怒ってばかりいたりする母親(「回避型」愛着不全の子どもを生む親)や、その時の気分次第で自分に関心を向けてくれたりそうでなかったりする母親(「不安型」愛着不全の子どもを生む親)の姿を繰り返し目の当たりにした子どもが、どうして、母親の優しいまなざしのイメージを自分の中に定着させることができるでしょうか。
 
 以上のように考えると、我が子を保育園などの母親と距離を置く環境に送り出そうと思うならば、それまでに、母親のイメージが子どもの意識の中に定着するだけの経験をさせておく必要があるということになるでしょう。