【今回の記事】

【記事の概要】
鬱病の症状が悪化して生活保護に
  
西田朋美さん(仮名、33)は、鬱病が悪化して生活保護になった。この2年間は、月8万円弱の生活扶助で日々の生活をするが、どうしてもお金のやりくりが苦手だった。必要のない洋服や小物などを買ってしまって、お金を使いすぎてしまう。いつもギリギリだったが、先月、月の半分もいかないうちにお金がなくなった。電車賃すらなくなって、食べるものをなにも買えなくなった。そのとき、絶望感に襲われて強く死にたいと思ったという。死にたくなる希死念慮は鬱病の症状だ。自殺行為をしてしまって、本当に死んでしまう人も多い。
  
そんな西田さんは、就労支援センターにSOSをだした。そして、職員の適切な行動によって助かっている。彼女の命をつないだのは、“人とのつながり”だったといえる。
  
貧困は「経済的貧困」だけではない。人間関係を失う状態に陥る「関係性の貧困」がある。関係性の貧困は、虐待、不登校、引きこもりなどで、家庭や学校、社会に居場所がない人々が陥りがちだ。「経済的な貧困」と「関係性の貧困」が合併すると、深刻な貧困状態に陥って命を失うこともある。それが現代の貧困である。

両親の離婚後、小児不安神経症に
  
西田さんは「子どもの頃から人生が苦しかった」という。10歳の時に両親は離婚。シングル家庭になって、母親は離婚をきっかけに福祉の仕事をはじめた。現在はケアマネジャーを統括しているという。
離婚後、小児不安神経症になってしまったんです。母親から離れることができなくなって、仕事を休ませたりしていました。ある日、母親が怒った。ちょっと来いって大きな声で呼ばれて、アイロンを持って私の腰を焼こうとしたことがあった。泣いて家を飛びだして、お友達のお母さんの家に逃げました。母親がちょっとでも離れると、もうそれだけで不安でパニックになるっていう。母親は、本当に迷惑だったと思います」(西田さん)
  
小児不安神経症とは「子どもが親と離れ離れになることを極度におそれる」疾患で、家のなかでは母親に四六時中ついて歩き、トイレまでついて行ったという。朝、仕事にでようとすると泣いて暴れた。小学校にも行けなくなり、不登校になった。
「学校に問題はなかったけど、大人がいる場所にいたかった。大人が近くにいないと不安になる。学校に行くのもこわくて、不安になってしまう。だから保健室に行って、保健の先生に甘えてたというか。小学校5年、6年は不登校。よく覚えているのは、駐車場で母親だけ買い物に行って、不安になってしまって窓開けて『お母さん!』って大きな声で何度も何度も呼んだ。それは記憶に残っています。結局、児童養護施設に行くことになりました」

働くようになってから金銭感覚が崩れた
  
児童養護施設には職員がたくさんいる。不安になる症状はおさまった。高校時代に自宅に戻って、学校にも普通に通学した。無事に卒業した。医療系の専門学校に進学、学費はすべて奨学金を借りた。借りたお金は元金だけで600万円を超えた。
  
児童養護施設以降は平穏な日常を送っていたが、再び問題が起こったのは専門学校に進学し、スナックでアルバイトをはじめてから。時給1800円で週5日働き、月10万円ほどを稼ぐようになった。
「自分で働くようになってから金銭感覚が崩れました。必要なお金は払ってたけど、お洋服を買うようになったんです。服をすごく買うようになった。貯めたりとかすることなく、全部使う。1万円前後の服をバンバン買って、お金のことはまだ苦しんでいます」
  
働いたお金を全部使ってしまうのは誰でもある一般的なことだが、本当に苦しんでいるようだ。専門学校を卒業していくつかの仕事を転々として、アパレルメーカーで働くようになって再び買い物に拍車がかかった。
「店員は服をいくらか買わなきゃいけなくて、また洋服を買う日々がはじまりました。本格的におかしくなったのはそこから、1年間くらいで100万円以上の借金をつくって、夜スナックとかでバイトしていても追いつかなくなった。母親にバレて、その時は母親が借金を全部払ってくれました」
  
借金を肩代わりした母親に徹底的に怒られたが、それでも買い物癖は治らなかった。
「またクレジットカードで200万円くらいの借金を作ってしまって自己破産です。アパレルの後にチェーン系の飲食店で働いたんですけど、連日の長時間労働で重い鬱病になってしまって、カラダが動かなくなった。収入がなくなって、もうどうにもならなくなって2年前に自己破産して生活保護です」

最も問題視されたのは「お金使い」
  
先日、就労支援センターのセンター長、病院に同行した相談員、生活支援センターのソーシャルワーカー、それに西田さんが集まってカンファレンスが行われた。
「月のお金の用途をすべて書きだして、一つ一つを検証するみたいなことをしました。携帯を格安に変えようとか、コンビニ弁当ではなく自炊とか。モバイルWi-Fiは解約するとか。それと2000円以上の物を買う時は、必ず誰かに報告して許可をもらうとか。いろいろ心配してくれて、助言してもらって、私はまだ生きていていいんだって前向きな気持ちになれました。自己肯定感がでた、というか」

人との繋がりが生きる意味に
  
彼女は貧困で苦しむ女性に、諦めないで誰かに頼れば救われることもある、ということを伝えたがっていた。
就労支援センターの方々に支援をされたことで、お金があろうと無かろうと、生きていればそれでいいのかな。そう思えるようになりました 
  
洋服の物欲はなくなった。あとは細かい無駄使いをなくすだけ。就職も決まって、もう少しで生活保護から抜けて普通の生活ができる。生きていいと気持ちがポジティブになってから、日々が充実しているようだった。


(またもや長くなったので、続きの「感想」は明日お伝えします。「彼女が陥った状況の背景に何があるか?」を中心に、これまでお伝えしてこなかった、あるとても重要なキーワードも紹介します。それを知ると、この女性の事例が決して“対岸の火事”ではないことが分かって頂けると思います。)