さて、午前中の発表を終え、場面は午後の全体講演会へ。
 講師は公益財団法人スコーレ家庭教育振興協会会長の永池榮吉氏でした。演題は「日本の未来をひらく家庭像」。家庭教育の“これから”について論じようというテーマです。
   スライド資料からいくつか紹介します。
○スライド「日本は家庭の在り方に関するコンセンサス(考えの一致)がない」
・家庭における父母の役割は同じか、べつか
・男女の平等と父母の役割の違いを現代の日本社会に適合する方向で明らかにすることが課題
○スライド「家庭像のコンセンサスを見出すための3つの視点」
・第1の視点~人間の尊厳性重視
・第2の視点~人間は本来ヒト科の動物
・第3の視点~日本の文化的な歴史
○スライド「父親の役割、母親の役割①」
・社会通念上の男女平等と家庭における父母の役割を整理
・家庭の役割は、ヒト科の動物として生まれた存在を、尊厳な人格を備えた社会的な存在に成長させること
・父親と母親の役割
 母親⇒子に人生を生き抜くためのエネルギーを与える
 父親⇒子に世の中のルールを教える
○スライド「父親の役割、母親の役割②」
・基本的感情「愛」と「敬」
・日本の家庭の問題点「孤立した父母の存在」
 
 更に、永池氏は講義の中で「江戸時代の日本は犯罪が極めて少なかった」「現代のほとんどの先進国では家庭が崩壊している」とも指摘。これらのことから、永池先生の考えは、「家庭教育の“これから”を論じるうえで必要不可欠な事は『変わってはいけない昔ながらの父親と母親の姿』であるが、現在は社会の中でその事が共通理解されていない」と私は捉えました。
    また、スライドにある通り、永池氏が求める本来の父親と母親の姿とは、他者を敬う「敬」の働きとしての父親であり、子どもに生きるエネルギーを与える「愛」の働きとしての母親です。
   因みに、永池氏が指摘する、父親の働きとしての「他者を敬うことを教える」とは、家族以外の他者を敬う、それは即ち、社会で他者と協調して生きていくうえでのマナーや礼儀を教えるという、いわば子どもが社会の中で生きていくことができるようにすることと捉えることができます。また母親の働きとしての「生きるエネルギーとしての愛」とは、外界を探索する子どもの意欲の元となる安心感を与える愛情行為であると私は考えます。これらは、正に午前中に私が発表で皆さんにお話しした「子どもの社会への自立を願う父性」、「子どもに安心感を与える愛着を形成する母性」とそれぞれ共通するものだと思います。
   更に、永池氏の「江戸時代には犯罪は極めて少なかった」はずの日本において、現在は「家庭の在り方に関するコンセンサス(考えの一致)がない」と言う指摘は、私の発表における「この世に存在する動植物は一つの例外もなく、オスとメスとが互いに力を合わせて子供を生み育て、長年にわたって子孫を残してきた」はずが、現在では「本来の両性の姿とは異なる歪んだ働き方で子育てをしてしまっている実態が見受けられる」という、いわば、“親による家庭教育の在り方の変化”とも一致するものだと思います。

   さて、「いつの時代にも変わってはいけないことがある」と訴える永池先生のお話を聞いていて、私は、ある人の存在を思い出していました。それは、7年前に他界した私の父親です。父は、私が最も尊敬する教育者であり、その父もいい意味で昔ながらの保守的な考え方を支持し続ける人間でした。それだけではなく、父と同じく80歳とご高齢の永池先生は、その身長や体形まで生前の父とよく似ていたのです。決定的だったのは、永池先生の次の言葉でした。
子どもに日常の生活をきちんとさせることが一番大切
 
   私の父は、岩手県の特別支援教育(当時は「特殊教育」)の大元を作った人間でしたが、その父の教育観でいつも口癖のように話していたのが「特殊教育で一番大切なことは、子どもにきちんとした生活をさせること」だったのです。私は、先の永池氏の言葉を聞いて、その恐ろしいまでの一致に驚き、まるでそこに立っているのが私の父であるかのような錯覚に陥りました。

   その永池氏は講演の最後にこうお話しされました。
「人生にはおよそ30年毎に節目がある。第一期は、誕生して結婚して家庭を持つまでのおよそ30年間。第二期は、我が子が巣立ちし、夫婦が熟年期を迎える還暦を迎えるまでの次の30年間。第三期は、孫世代を含む三世代が重なり合うそれ以後の30年間」
そして、こう結ばれました。
「その最後の30年間に、大器晩成から大器晩晴を目指して生きることが大切」
 
   私は、「今の社会に今一度本来の母親像、父親像を取り戻す、そのために残りの30年間を『晩晴』せよ」と、今は亡き父親が私に語りかけているのではないかとさえ感じました。
 
(次回は、東京泊の旅を終えて帰路に着きます。その途中で、偶然にも家庭教育の“暗”と“明”の双方を映し出す出来事に出会うのでした)