【ツイート】

【記事の概要】
「35人が死亡した京都アニメーションの放火事件で、同社の代理人弁護士は30日、青葉真司容疑者(41)と同姓同名で、住所も一致する小説の応募があった事実を確認した、と明らかにした。代理人によると、容疑者と同姓同名の人物からの応募作品は、形式面に関する一次審査を通過していなかった」との記事。


   青葉真司容疑者の両親についての記述は以下の通り。

・父親は農家の生まれだが働くのが嫌い

・母親の両親は既婚者と駆け落ちしたことが許せなくて、母親は実家に帰省することもできなかった。「あんなことがなければ自分の子ども(青葉真司容疑者)をちゃんと育てられていたはずなのに。駆け落ちで運命が大きく変わってしまった」

・青葉容疑者を含めて3人の子宝に恵まれながら両親は離婚してしまう。後に父は自殺。

・旦那さんと離婚した彼女は自宅を追い出され、子どもたちとも離ればなれになり、子どもたちに会えなくて十数年間は泣いて暮らした


【感想】

   青葉真司容疑者と同姓同名で、住所も一致する小説の応募があったことから、彼が京アニに応募していたこと自体は事実だったのだと思います。また、あれだけの行動に出たのですから、きっと京アニと自分の作品との間に似ているところを見つけて「パクられた」と思った面があったのでしょう。しかしそれを受け止めることができず、凶悪犯罪に走ってしまったところがこの容疑者の決定的な未熟さと言えると思います。問題は、その不安定な人格がなぜ形成されたのか?ということです。

   そこで鍵を握るのが、彼が幼かった頃の養育環境です(精神科医の岡田尊司氏の「愛着」の「第二の遺伝子」説についての考え方を知らないとたどり着けない点です)。


   記事中では、いわゆる“駆け落ち婚”が子ども達の養育に 悪影響を与えたと指摘されていますが、大切な事はあくまでも子ども達が生まれてからの養育環境です。

   私は養育環境を振り返る上で重要になるのは父親の「働くのが嫌い」等の不安定な人格だと考えました。この父親が後に自殺までしているのは、その不安定さの表れではないかと思います。子ども達が生まれてからは、特に家族内の人間関係や経済面の安定が求められますが、「働くのが嫌い」な父親では、それもままならなかったのではないでしょうか。母親は、忙しい子育てと父親とに挟まれ、かなり苦しい生活を強いられていたのではないかと思います。更にその状況は、生まれたばかりの子ども達を養育する上で母親の精神状態を不安定なものにしていたのではないかと推測されます。

   さて、精神科医の岡田尊司は「母親が精神的に不安定な状態で養育に当たった場合、子どもを『不安型愛着スタイルにしてしまうリスクが高くなる」と指摘しています。理由は、不安定な精神状態にいる母親は、子どもを褒める時と叱る時とが両極端になりがちで、子どもは叱られないように母親の顔色を伺いながら、不安感の中で過度に愛情を求めるようになるからです。そのため、「不安型」に育った人は、他者から「愛されたい」「受け入れられたい」「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強くなることから拒絶されたり、見捨てられたりすることに対して極めて敏感になるです。その特徴は、自分の小説が受け入れられなかったことに対して強い不満を抱き放火という犯罪行為に至った青葉真司容疑者の行動と見事に重なるのです。


   ここまで、青葉容疑者の問題行動と母親の養育態度との関係について述べてきました。ところで、原因の発端は父親にあるにも関わらず、結局は母親に帰着するのはなぜでしょうか?

   人の一生の人格形成に影響を与えるとされる愛着、それを形成するうえで最も重要とされる時期は生後1歳半までとされています。その期間に子どもの養育にあたり、子どもにとって「特定の存在」となり得るのは、ほとんどの場合、父親ではなく母親です(父親が活躍するのは、母親との愛着が形成された後の「母子分離」の際に、子どもを上手に母親から離し外界へと導く時です)。子どもはその母親を「安全基地」として認識し、そこから安心感を得て、「外界を探索しよう」という前向きな意欲を持つことができるようになるのです。つまり、家族以外の誰かとも積極的に交流したり、辛い仕事に対しても諦めずに挑戦し続けたりすることができるようになるのは、全ては母親という「安全基地」があるおかげなのです。登山に例えるなら「安全基地」は「ベースキャンプ」。ベースキャンプがあれば、天気の急変など何か危険が迫った時でも戻って来ればいいという見込みが立ちます。だからこそ険しい環境下でも登山に挑み続けることができるのです。母親は全ての活動意欲を支える“安心の源”なのですね。


 因みに、青葉容疑者が大阪から京都の病院へ転院する際に、治療に携わったスタッフに述べた感謝の言葉があります。それは

「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」

でした。彼がいかに“安心感”の欠落した不遇な家族環境に身を置いていたかが如実に分かる言葉です。更に、青葉容疑者はこの感謝の言葉の後に、「人の道を外れることをした」等と、初めて反省とも受け取れる言葉を口にしたと言います。硬く閉ざしていた彼の心は、医療スタッフから受けた“愛”によって開かれたのでした。

 仮に、この時のスタッフのような親に育てられていれば、きっとこのような犯行には走らなかったのではないでしょうか?

 


   青葉容疑者の場合は、その母親の養育が不安定な人格を持つ父親によって妨げられたのではないか?それが今回得られた情報を元にした私の推測です。