前回の続きです
前回の疑問の次に多いのは
言葉で注意しても聞かないときにはどうすればいいのか?
です。

今回はその点についてお話します。
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   結論から先にお話しさせていただきます。それは、
“あること”に気をつければ、言葉だけで言うことを聞かせることができる
ということです。「あること」とはどんなことでしょうか?以下に詳しくお話しします。

親が「ON」にする子どもの反発スイッチ
   中京大で退官された鯨岡峻先生は、子どもの「反発スイッチ」をONにしてしまう、親の「させようオーラ」の存在を主張しています。この「させようオーラ」とは、親の「ちゃんとしつけよう」「ちゃんとさせよう」という思いが強すぎるときに親から発せられるオーラのことです。目は厳しく、言葉は語気が強く、時には力づくでも子どもの腕を引っ張って言うことを聞かせようとするかもしれません。そういう時の親から発するえも言われぬ雰囲気を子どもは敏感に感じ取り、親に近づきにくくなり、更には親への反発心さえ生まれ、親の言うことを聞かなくなると言うのです。

子どもに必要な2つの配慮
   特に、子どもが問題を起こした時に親御さんが“始めから”厳しく叱っていると、失敗がつきものの子どもはその厳しい叱責を回避することができないため、毎日“反発スイッチ”が「ON」の状態になってしまい、親の言うことを聞かなくなります。それでも人間には「危険を回避したい」という防衛本能があるので、更に何らかの失敗をした時には、「失敗をしていない」と嘘をついたり、失敗を隠したりするようになります。そのことが親に見つかると一層厳しい叱責を受けるという負のスパイラルに陥るのです。
   そこで、まず必要になるのは、問題を起こした子どもへの“執行猶予”ならぬ“叱責猶予”です。始めから厳しく叱責するのではなく、始めは穏やかに諭して伝えてやる必要があるのです。

   また、親御さんがその時々の自分の気分で注意していると、子どもはいつ怒られるかが予測不可能になります。怒られるかも知れないと思ったとこに、予想外に怒られなかった場合はいいのですが、まだ怒られないだろうと思っていたところに、厳しい叱責が飛んでくる場合も出てきます。子どもに限らず、大人でも想定外の辛い出来事が起きると、極度の精神不安定状態に陥り、“反発スイッチ”が無意識のうちにいつもよりも強く入ってしまいます。
   そこで次に必要になるのが、“いつも決まった注意”の仕方です。

◯“必要な配慮”を盛り込んだ“注意のルーティン”
   子どもに対して配慮が必要な「叱責猶予」と「いつも決まった注意の仕方」。いつもこれらを子どもに配慮してやれるようにするためには、それらを盛り込んだ“注意のルーティン(決まったやり方)”が必要です。そのルールは、私は以下のようなものが望ましいと考えています(「子どもへの注意の仕方 〜まとめ 〜」参照)。

《注意A》(特別な“親の願い”がこもった注意)
準備:どんな時に叱るかの基準をはっきりさせ、子どもに予告しておく。
(「人に迷惑をかけた時」や「嘘をついた時」等、“親の願い”がこもる内容となるが、子どもにとって無理のある基準は避ける。)
①一度目の注意は…
子どもが基準を破った時には必ず叱る(体罰は使わず言葉で叱る。しかも、親子の絆を崩すような激しい叱り方ではなく、「人に迷惑をかけてはいけないよ」等と緊張感を持って真剣な表情で叱る)。
②一度目の注意でも直らない時は…
敢えて“怖い顔”をして言葉厳しく叱る

《注意B》(日常的な注意)
①一度目の注意は…
言葉は…しようね「お箸はきちんと持って食べようね」「宿題は前の日にしようね」等)」、 言い方は「優しく教える」で。
「させようオーラ」を出さないため
②一度目で直らない時は…
真剣な表情に変えて『もう一度言うよ。お箸の持ち方直そうね。』等と緊張感を持って伝える ※《注意A》の①と同じ仕方
③二度目の注意でも直らない時は…
敢えて“怖い顔”をして「何回言われたら直すの?!」と言葉厳しく叱る。 ※《注意A》の②と同じ仕方

   お気づきのように、《注意A》の方が《注意B》より一段階分ずれて厳しさが強くなっています。更に《注意A》は二度目の注意の時には厳しく叱ります。

これは《注意A》には「これだけは守ってほしい」という特別な“親としての願い”が詰まっているためです。

“言葉”だけで子どもが言うことを聞くようになるカラクリ
   さて、このルーティンを子どもに予告して、親がいつもこの通りに注意すると、子どもは「二度目に直せば怒られない」と先が読むことができるようになります。また、子どもにとっては、体罰はもちろんのこと、言葉で厳しく叱られることも嫌なのです。大人からすると、子どもは厳しく叱られることに慣れているように見えるかもしれませんが、例えば、風邪を引いた人が、発熱という症状を発症させることによって「身体の異常」を訴えているのと同じように、子どもは“反発スイッチがONになる”と言う症状を発症させることによって「言葉での叱責も嫌だ」と言う気持ちを懸命に訴えているのです。つまり、言葉での叱責と言う“嫌な刺激”を回避する方法が読めるようになった子どもは、先にお話しした「危険を回避したい」という防衛本能のために、例外なく“言葉での叱責”を避けようとします。これが、“言葉”で子どもが言うことを聞くようになるカラクリです。体罰等は一切いりません。
   逆に、いきなり二度目で厳しく叱ったり、三度目でも叱らなかったりと、親の気分で叱り方が変わってしまうと、自分で気を付けていても親の注意を回避できなくなるため、行動を直そうという意欲が湧かなくなるのです。すると、親に注意される機会も増えていくことになり、結果的に親に対する“反発スイッチ”がONになり続ける、親の言うことを聞かない、という事態に陥るのです。

叱り続ける先に待っている“悲劇”
   更に、この延長線上に、最も避けなければならないある“悲劇”が待っています。それは、親からの厳しい叱責を受け続けることによって、子どもの一生の人格形成に影響を与える親子間の「愛着(愛の絆)」に傷がつき「愛着」不全に陥ることです。これによって、子どもの人間関係能力、知能、自立性、異性関係、結婚生活、各種依存性に至るまで一生に渡って悪影響が及び、結果的に、いじめ、不登校、ひきこもり、非行、家庭内暴力、恋愛・結婚回避、薬物依存、家族内殺人等の様々な社会問題に繋がる危険をはらんでいるのです。因みに、50歳くらいになっても引きこもりを続け、80歳ほどの高齢の親に養ってもらわなければならない「8050問題」は、この「愛着」不全が要因になって起きていると考えられます。
   しかし、この「愛着」は親による養育環境によって形作られる(最も影響を与えるのが出産後から1歳半まで)ものなので、現在親子関係が好ましくない状態にあっても、子どもに対して「愛着」を形成する接し方をすることによって、改善を図ることが可能とされています。

同じ失敗が繰り返された時
   未熟な子どものことです。昨日問題を起こしたばかりなのに、翌日も同じ問題を起こしたというような場合が起きるかもしれません。もちろん、その時には、“より厳しく叱る”ことは子供のために必要です。そのために厳しく叱られたとなれば、子どもは「同じ失敗を繰り返した自分が悪い」と認識します。この場合は子どもが納得するので“しつけ”とみなすことができます。「同じ失敗を繰り返した時は、前よりも厳しく叱るからね」と予告しておけば、なおさら子どもは納得します。

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   さて前回から、東京都は保護者による子どもへの体罰や暴言を禁じる条例案に関わる疑問について私なりの考えをお話しさせていただきました。
   お分かりのように、体罰や暴言を禁じるのは、自治体の条例で禁止されるからではなく、あくまでも、それらを受ける子どもの成長が妨げられるためです。そのことを正しく認識して、我が子が将来気持ちよく生活できるように配慮してあげたいものです。