【今回の記事】

【記事の概要】
    中堂(井浦新)の恋人・夕希子(橋本真実)をはじめ、複数の女性を殺害した疑いのある高瀬(尾上寛之)が警察に出頭。しかし、遺体損壊は認めたものの肝心の殺害については否定する。殺人を立証できる証拠もなく、ミコト(石原さとみ)たちは歯がゆさを感じながらも、高瀬を殺人罪で裁くため検証を続ける。そんな中、六郎(窪田正孝)がUDIの情報を週刊誌に売っていたことがメンバーに知られ、UDIに崩壊の危機が訪れる…!

【感想】
   法医学(遺体を解剖して調べることによって、死因を特定する学問)をテーマにしたこのドラマ「アンナチュラル」は、昨年放映され既に終了していますが、最近再放送されて、ちょうど先週末に最終話(第10話)が放送されたばかりでした。

   展開はこの後、被告である高瀬が裁判にかけられ、法廷の場で自身の無実を主張します。そして検察側の証人として証言台に立った法医学者のミコトは、高瀬の殺人の証拠を主張します。

    私がこのドラマの全話を通して一番衝撃を受けたのは、この直後、犯人が殺人に使ったボール(以下画像)による犯行手口(ボールを相手の口の中に押し込んで苦痛を与える行為)が、犯人自身が幼少期に母親から受けた虐待によって行われた行為と同じだったことが、ミコトによって明らかにされた瞬間でした。彼女が示した幼少期の被告が母親と共に写っている写真の中で、母親の手に握られた問題のボールを見た時、「そうか、虐待の“負の連鎖”だったか!」と犯行の根の深さに衝撃を受けたのです。

つまり、この被告は、自身の幼少期に母親から受けた虐待を受け、大人になった後までその心の傷を引きずり、同様の行為で他者を殺害することによって、当時の母親への恨みを晴らそうとしていたのです。
    ドラマではありながら、現実の虐待事例の実態に即した内容でした。正にこのことこそが、今回このドラマを題材として取り上げた理由です。奇しくも、今現実のニュース報道によって、親による児童に対する虐待問題が連日取り沙汰されているのです。

    さて、今回のような虐待を受けた成人の問題を論じる上で避けては通れないのが、「恐れ・回避型愛着スタイル」です。これは、成人後の3つの“不安定”型人格のタイプ(「回避型愛着スタイル」「不安型愛着スタイル」「恐れ・回避型愛着スタイル」)のうちの一つです。この「恐れ・回避型愛着スタイル」については、拙ブログ内「愛着の話」シリーズ(精神科医の岡田氏の主張を中心に、専門家の考えを一般読者にも分かりやすい文章表現に書き直したもので、様々な「愛着」に関わる私の主張のベースになってるもの)の中で次のように述べています。
「『恐れ・回避型』の人は、『人を信じたいが信じられない』というジレンマに陥り、疑い深く被害妄想的傾向に陥りやすい面があります。いわゆる『境界性パーソナリティー障害』は、愛着という観点で言えば、この『恐れ・回避型』に逆戻りした状態だと言えます。この状態に飲み込まれると、情緒的に不安定になるだけでなく、一過性の精神錯乱状態に陥ることもありますこのタイプの傷つきさや不安定さは、養育者との関係において深く傷ついた体験に由来していることが多く、大人になってからも『愛着』の傷を引きずり続けている未解決型の人も多いです。そのため、些細なきっかけで不安定な状態がぶり返し、『恐れ・回避型』の状態にスリップバックを起こしやすいと言えます。虐待された子どもに典型的にみられるもので、『愛着』対象との関係が非常に不安定で、予測がつかない状況におかれたことで、一定の対処法を身に着けることができないでいるものです。」
    なお、この場合の「愛着対象」とは、成人後の自分の心を癒せる人物のことですが、乳幼児期以降に親から虐待に遭っていた人は、大人になってからもこの「愛着対象」はほとんど存在しないか、極端に不安定な存在になっています。そのため、このタイプの人間は、大人になってからも、ちょっとしたきっかけによって、被害妄想的傾向や一過性の精神錯乱状態等の状態に陥ることがあるのです。

   また、上記の「境界性パーソナリティー障害」とは、次のような特徴を持っている症状を指します。
・見捨てられるのが不安で、必死にしがみつき相手を困らせる
・自殺企図や自傷行為を繰り返す
・めまぐるしく気分が変動する
・対人関係が両極端で不安定

この状態が正に「恐れ・回避型」の状態であるというわけです。

    しかも、上記ドラマでの犯人のように、「大人になってからも『愛着』の傷を引きずり続けている未解決型の人」も多くいます。「愛着」は「第二の遺伝子」とも呼ばれていて、人間の人格形成に一生に渡って影響を及ぼすことは、どのタイプの愛着スタイルに於いても同じなのですが、この「恐れ・不安型」の症状は、他の愛着スタイルとは比べものにならない程重篤であり、今回のドラマのように、他者に危害を加える場合さえあるのです。そういう意味では、このドラマは、現実に「愛着」不全が要因となって起きた凶悪事件である「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988年)」「神戸連続児童殺傷事件(1997年)」と見事に重なります。
    現在虐待を働く親が全て幼少期から虐待に遭ってきた人達とは思いませんが、この「恐れ・不安型」のために虐待事件を働いている親がいることは間違いないだろうと思います。

    現在もなお増加傾向をたどる虐待事件。“「愛着」崩壊”に確実に拍車がかかっている現在の社会全体の実情を考えれば、今虐待を受けている子ども達が成人後に、現在虐待を働いている親の数以上に多く虐待を働くようになることは容易に想像がつくでしょう。その一方で、虐待者に対する厳罰だけが厳しくなっていくとどうなるでしょうか?加害者のストレスは今よりも激しく爆発し、虐待死は減るどころか更に増加していくかも知れません。
    つまり、今後 虐待加害者を減らすためには、私達が互いに「愛着7」のような他者との間に「愛着(愛の絆)」を築くような接し方を心がけ、「恐れ・不安型」のような極度の不安定な精神状態の人間をつくらないように努めることは正に急務と言えるのです。