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「はじめに」でも紹介しましたが、1988年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(下記【解説】参照)を起こしたあの宮崎勤は、裕福な家庭に生まれながらも、両親の仕事が忙しかったために、住み込みで雇われた当時三十歳くらいだった知的障害をもつ男性に世話を受けたそうです。両親もきっと「赤ん坊の世話くらいならこの男でもできるだろう」と考えられたのでしょう。
   宮崎勤は、生まれつき、両手の掌(てのひら)を上に向けて、「ちょうだい」のしぐさができないという先天性の障害があったそうです。当時の事件に関わった検察、弁護側双方ともこの先天性の障害を重視し、彼の性格形成への影響や犯行動機の遠因として捉えていました。特に、検察側は、宮崎被告が女性への性的興味を抱きながら、掌の障害という劣等感があって、成人女性には声もかけられず、その代わりに無抵抗の幼女を相手に性的欲望を遂げようとした、と考え、この掌の障害へのコンプレックス性的欲望を満たす目的と並んで、重要なポイントとして挙げていたそうです。
   しかし、世の中には身体に先天性の障害を持っている人はたくさんいます。しかし彼だけは、そういう自分の境遇を受け止め自分の気持ちをコントロールすることができなかった、そういう彼の精神的な不安定さが、あの事件を引き起こしたと考えざるを得ません。
   その精神的な不安定さの要因は、どうやら彼の家庭環境にあったようです。彼の祖父は村会議員、祖父は町会議員を務め、父親もPTA会長や地元消防団副団長の仕事に着くなど、宮崎家は地元の名士であり、経済的にもかなり裕福だったそうです。その意味では宮崎被告は、まさしく文句のつけようのない環境の中で生まれ育ったと言えるでしょう。しかし、彼は極めて厳格な父親ヒステリックな母親両方から別々に怒鳴られたり叩かれたりしていたそうです。そのため、彼は父親を強く憎んでおり、仕事でも私用でも一切話をしなかったそうですし、口を開けば必ず怒鳴り合いになったそうです。母親の言うことは普段は割合素直に聞いていたようですが、母親が急にヒステリーを起こすと非常に怯えて家から逃げ出していました。その後、親に反抗して暴れるようになってすぐ、あの事件が起きたのだそうです。彼の内向性や異常性は、単に掌の障害に対する劣等感だけではなく、そうした幼児期に体験した叱られることへの怯え、特に暴力に対する恐怖心からきているとも考えられたようです。

【解説
1988年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。
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※世代の関係でこの事件をご存知ない方は、知っていそうな方に聞いてみてください。そして、この記事を読んでいただいてください。きっとごく普通の家庭に育った事に驚かれると共に、決して他人事ではない事に気付かれるのではないでしょうか?