【今回の記事】

【記事の概要】
質問中学2年生の娘の持つ母親です。不登校の理由は今も話してくれませんが、友人関係などいろいろあったのだと思います。その娘が最近、「学校に行きたい」と言ってくるようになりました。「来年は高校受験もあるし、それならば」と私も励ましたりするのですが、結局は今日も行けない」ということになり、私もガックリきてしまいます。「学校に行きたい、でも行けない」という矛盾する気持ちをぶつけてくる娘を、親としてどう受けとめたらいいのか、ずっと悩んでいます。

回答
(岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター・児童精神科部長、精神科医高岡健氏による回答)「学校に行きたい」という気持ちは、周囲に対する、子どもの頭(脳)の反応です。それに対し、「でも行けない」というのは、身体(内臓)の反応です。頭に身体を無理やり従わせようとすると、身体が反乱を起こします。これが病気もしくは病気の前段階です(「登校拒否は病気ではない」という言説は、まったくそのとおりなのですが、頭が学校を「拒否」できないままの状態が長く続くと、身体を巻き込んで本当の病気に陥ってしまいます)。病気を治すためには休養が必要ですが、休養とは“頭を身体に従わせる”ことにほかなりません
   では、なぜ子どもは、「学校に行きたい」などと、わざわざ自分を病気に追い込むような考えを、とってしまうのでしょうか。長年にわたり、親を含む周囲の大人たちの考え方をとりこんでいるからです。もっといえば、親を喜ばせたいという、けなげな姿が、そういう考えを引き寄せるのです。
   ただし、そればかりではありません。「ひょっとしたら、親は『無理しないほうがいいよ』と言ってくれるかもしれない」という淡い期待も、少しは混じっています。だから、(やや意地の悪い言い方になりますが)親を試す意味で、「学校に行きたい」と口にしてみるのです。そこが分からず、うっかり親が励ますような応答をしてしまうと、「やっぱり親はわかってくれない」ということで、「ガックリ」きてしまいます。(あなたが「ガックリ」くるよりも前に、子どもが「ガックリ」きているのです)。
   親の反応に「ガックリ」きた子どもの一部は、失望を封印して、「学校に行けない自分が悪いんだ」と、自らを責めてしまいます。他方で、親に対して矛盾する気持ちをぶつけ、攻撃的になる子もいます。このように考えてくるなら、あなたの娘さんが「学校に行きたい」と言ったときに、どう答えるのがよいかは明らかでしょう。当然、「無理しないほうがいいよ」「家でのんびりしてよ」と答えるのがいいのです。
   もっとも、あなたの場合のように、つい励ましてしまい、後悔することもあるでしょう。でも、手遅れというわけではありません。「あの答えはまちがっていた」と、率直に訂正すればいいのです。親もまちがうことがあるという、あたり前の事実を知るだけでも、子どもにとっては大きな収穫です。なにしろ、親はまちがえないと信じこんでいることが少なくないのですから。

【感想】
   記事中で注目すべきは、精神科医である高岡氏の次の指摘です。
頭に身体を無理やり従わせようとすると、身体が反乱を起こします。これが病気もしくは病気の前段階です
   つまり、本来なら学校になど行けない身体なのですが、それを「行かなければ」という思いが強すぎると、身体が悲鳴をあげ、本当の病気になってしまうというのです。これまで私自身、「登校拒否の子どもに余計な登校刺激を与えてはいけない」という事は以前から様々な場面で指摘されてはきましたが、今回の精神科医高岡氏の指摘によって“確信”に変わりました。
   更には、本当は身体を休ませたいのは自分自身が一番よく分かっているし、体も行ける状態ではないけれど、親のために「学校に行ける」と言う言葉を無理をして言っているというのです。子供を苦しめているのは、実は「本当は学校に行って欲しい」と言う“親の期待”だったのです。

   私は現職の頃、校内で生徒指導主事を務めていた時期がありましたが、その経験上、登校拒否の子どもの問題にも関わってきました。その中で感じたことは、その家族の表情は、その多くが曇っていると言うことです。登校を拒んでいる子どもをうっとうしく思っているのです。
   この事は、決してこの家族に限ったことではないと思います。今日の記事を読むと、登校拒否や引きこもりが長期化する傾向にあると言うケースは、こういう家族から受ける登校刺激によって、身体への負担が増えて病気にかかってしまうケースの表れではないかとさえ思えてきます。

さて、
「『無理しないほうがいいよ』『家でのんびりしてよと答えるのがいいのです」
そう答えるのが良いと高岡氏は指摘しています。
   しかしここで、読者の方々にはある疑問が湧くのではないでしょうか?
登校刺激を与えるような答え方をすると本当に病気になってしまう事は分かった。でも、子どもにそう答えると、その後はどうなるの?

   私は以前投稿した記事で「登校拒否に陥った子供が復帰しようとする際に大きな壁になるのが“人間関係”と“生活リズム」との旨をお話ししました。例えば、復帰しようとする子ども達は、口を揃えて「学級のみんなが怖くて教室に入れない」と言います。こういうことにならないためには、登校しないでいる期間に人間関係能力”の基本を養うことが重要になりますし、登校時刻に間に合うように起床するためには、正しい生活リズムで過ごしていることが重要になります。

   特に重要になるのが、“人間関係能力”の基本を養うことです。「“人間関係能力”の基本」とは何でしょうか?それは日常生活の中で以下の言葉を言えるようにすることだと私は考えています。
◯「ありがとうございます」「お願いします(相手の「承認欲求」を満たす)
◯「すみません(ごめんなさい)……してもいい?」(相手の「尊重欲求」を満たす)
   この相手の「承認・尊重の欲求」を満たすことが、その相手との人間関係を円滑なものにするのです。特に友達との間でトラブルを抱えている子どもにとっては重要なスキルになります。
   例えば、親とスーパー等に買い物に行った時に
レジに商品の入ったカゴを出す時に「お願いします」、会計処理が終わった時「ありがとうございました」と言うことができます。これらをまず親が手本を見せ、子どもが理解したら、次からは子どもに言わせます(その時は、子どもに買い物カゴを持たせて、親は子どもの後ろに立ちます。もしも、子どもが言葉に詰まったら、後ろから小声で言い方を教えてあげましょう)。なお、家の中に閉じこもっていないで、親とスーパー等に買い物に外出することも学校復帰への大切なステップになります。
   また、例えば、家族でテレビを見ていて、子どもが別のチャンネルを見たいと思った時、「チャンネル変えるよ!」と一方的に変えるのではなく、「チャンネル変えていい?」と他の家族に聞くのです。聞かれた者は、変えてもよければ「いいよ」と答える。聞いた子どもは「いい」と言ってもらったので「ありがとう」と答えます。

   因みに私は子ども達に、
・人から何かをしてもらった時は「ありがとう」
・人に迷惑をかけた時は「すみません(ごめんなさい)」
・これからお世話になる時は「お願いします」
と教えてきました。

   いずれの場合も、親が意識して子どもに手本を視覚的に示すことが子どもの「人間関係能力」の育成にとって有効です。

   ところで、これらのサポートを支えている考えは、中京大学で退官された鯨岡峻先生が提言している「子どもの『ある』を受け止めれば、子どもは『なる』」と言う言葉です。意味は「子供の『ありのままの姿』を受け止めれば、子供は自分から進んで『あるべき姿になろう』とする」という意味です。因みに、今回の事例で言えば、この「あるべき姿」とは、子どもが自らの意思で「学校に行ってみよう」と思うようになることを意味しています。なぜ、このような魔法のようなことが起きるのか?その詳細については子どものやる気スイッチを入れる魔法」という記事を参照ください。
   この「子供の『ありのままの姿』を受け止める」ということの具体的な方法が「安心7支援」のような、「そう、今のあなたでいいのよ」という子どものありのままの姿を肯定的に受け止め、子どもに自信を与える愛情行為なのです。その行為を意識している親の表情や言葉には、「なぜあなたは学校に行けないの?」というような子どもを責める要素は一切ありません。更にその中に「⑥小さなことから褒める」という行為があり、「礼儀正しくなったね」「『ありがとう』が言えたね」という褒め言葉を投げかけることになります。そういう言葉こそが子どもに「自分はできる!」という自信を与えるのです。