【今回の記事】

【記事の概要】
よくある風景だけど...解決策はどこにあるの?         
   わが家には自閉症スペクトラム症候群(ASD)と診断されている9歳の娘7歳の息子がいます。現在は2人とも小学校には通っていません。不登校が続くうちに、「お家で楽しく学べばいいじゃない!」とホームスクールという概念に切り替えたわが家では、自宅で自ら勉強をし毎日を過ごしています。
   発達障害の娘と息子、そして同じような特性を抱える私が同じ屋根の下で24時間一緒に過ごしていると、いろいろな問題が生じます。先日、こんな会話がありました。
息子「今日は録画しているお気に入りのドラマを全部見ようと思うんだ!ねぇ、いいでしょ?」
私「うんうん、ママも一緒に見たいな〜!じゃあ、やるべきことをさっさと終らせて、お昼すぎから見始めたら、寝るまでに全部見れるんじゃないかな
そう言った途端、涙目の息子が私を睨みつけてこう言い放ったのです。「ママはどうしていつも僕に意地悪を言うの!」「『やりたいことはやっていい』って言ったくせに!」「嘘つき!僕の邪魔ばっかりしてひどい!」思わぬ息子の感情の高ぶりに驚く私の隣で、娘も息子の意見に賛同します。
娘「そうだよ。私だっていっぱいやりたいことがあるのに、あれこれやらされて時間が全然ないよ」
なるほど、そんな風に思っていたのね。ADHDでもある2人は集中力が途切れがちで、例えばパジャマから洋服に着替えるだけでも放っておくと30分かかってしまうこともあります。あらゆる場面で声をかけなければ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまうのです。子どもたちは、きっとその声かけを「ダメ出しをされる」というふうに捉えているのでしょう。また、「検定に合格したい」「もっと上手にピアノを弾けるようになりたい」などという、子どもたちが自分で決めた目標でも、「○○をする時間だよ」と私に声をかけられることで、いつしか「やらされている」という意識に変わっていったのだと思います。子どもの時には同じように感じていたので、よく理解はできるのですが、この親子の摩擦の解決策はいったいどこにあるのでしょうか?
楽しいことは応援しなくてもできるから...
   私はまずあなたたちにはママが意地悪を言っているように見えてたんだね、といったん子どもたちの意見を受け止めた後、意地悪な気持ちで声かけをしたことは一度もないことを伝えました。「じゃあ、どうしていつも楽しい時間を取り上げるようなことを言うの?」納得できない子ども達は、ほっぺを膨らませて抗議します。「あのね、ママだって洗濯物干さなきゃとか、お風呂を掃除しなきゃとか、頭ではわかってるけど面倒くさくなって『サボりたい〜!』って思うことよくあるのよ」「ええ〜!ママも私たちと同じじゃない〜!」今度は顔を見合わせてくすくす笑いながら聞いています。「あなたたちにもいろんな目標があるよね?ピアノを上手く弾けるようになりたいとか、検定に合格したいとか。目標を立てるだけで何もしないでいると、目標は達成できるのかな?(中略)やっぱり努力が必要だよね。でも面倒くさいからつい後回しにして、やったりやらなかったりになっちゃう。だからママが声かけをして、『面倒だけどなりたい自分になるためにがんばれ〜!』って応援してるんだよ。でも、あなたたちが『やらされてる』『邪魔されてる』って感じちゃったら意味がないから、ママもこれから伝え方を工夫してみるね」と話して聞かせました。
「なりたい自分になるために努力する」時間を決める
   そんなわけで、翌日からわが家では午前中を「なりたい自分になる努力をするための時間」と位置づけて過ごすようになりました。
   たくさんのご家庭で「もう宿題はやったの?」「今やろうと思ってたところなのにやる気をなくした!」という戦いが繰り広げられていることだと思いますが、私達が子供だった時、やはり“大人の正論”を疎ましく感じてしまうことは多かったと思うのです。「お前のためだ」と上から目線で会話されてしまうと、お説教の時間が早く過ぎることだけを考えて適当に返事をしてみたり、親が望んでいるであろう答えを口にしてみたり。
   もし、いろんなことを話し合う機会ができましたら、どうか親の演説を聞かせるだけではなく、お子さんと同じ目の高さに立って会話をしてみてください。

【感想】
「これは、自閉症スペクトラム障害(ASD)の子供の場合だから…」と思うのは大きな間違いです。ASDの子供は、先天的な特性上、状況の空気を読まず発言してくれますが、健常域にある子供は我慢してしまうため、大人が子供の不満に気がつかないままでいる場合が多く、その間に親に対する不満が溜まっていきます。つまり、健常域の子供も「どうして…?!」と同じように不満を感じているのです。

   さて、ASDとADHDを合併している兄弟と、更に同じような特性を抱えるというご自身とで24時間一緒に生活しているという現在の環境。感覚過敏な子供達と常に一緒にいると、精神的に疲れてしまい、つい乱暴な言葉遣いになってしまいそうですが、そんな中で、子供達に丁寧諭しながら導こうとしているこのお母さんの姿勢に感心します。例えば、子供達が持っている目標の話に置き換えて、子供達に分かり易いようにと、丁寧に説明しています(「中略」でだいぶ省略しています)。
   また、子供達から「意地悪」等と言われた時に、先ずは「あなた達にはママが意地悪を言っているように見えてたんだね」と、いったん子どもたちの意見を受け止めた対応も素晴らしいと思います。
   更に、「ママだって洗濯物干さなきゃとか、お風呂を掃除しなきゃとか、頭ではわかってるけど面倒くさくなってサボりたい〜!って思うことよくある」と自分の弱さを子供達に開示している点も同様です。その証拠に、その直後子供達の“抗議”気持ちは和らぎ、“くすくす笑いながら”聞いています。
   しかしそれでもこのお母さんは、「でも、あなたたちが『やらされてる』『邪魔されてる』って感じちゃったら意味がないから、ママもこれから伝え方工夫してみるね」と更なる工夫を試みようとしています。本当に志が高いお母さんですね。

   では、このお母さんの言う「この親子の摩擦の解決策」や更なる工夫」として、どんな事が考えられるでしょうか?
   このお母さんは、「ADHDでもある2人は集中力が途切れがちで、あらゆる場面で声をかけなければ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう」という意識を持ち、声がけをしないとこの子達はできない」という思いがあるようです。
   しかしASDでもある子供達ならば、「決められたことに対しては、きちんと実行しなければならない」と言うこだわりがあるので、その通りに行動しようとするはずです。行動できないことの背景には、もしかしたら、「いつ」「何を」「どれくらい」すればいいかが不明確だったり、やり方が日によって違っていたり、約束事が視覚化されていなかったりする面があるのかもしれません。そういった“環境面の工夫(環境の構造化)”をもう一度見直してみる余地はありそうです。
   また、ASDの傾向が弱い子供でも、他の人から何か行動を強要されると、頭の中で「嫌だ」というスイッチが押され、別の行動を取ろうとする「心理的リアクタンス」が働いてしまうものです。“環境面の工夫”は、どんな子供にとっても自分から取り組めるようになるために必要な配慮だと思います。
   更に、このお母さんは、「子ども達が自分で決めた目標でも、『○○をする時間だよ』と私に声をかけられる」と話しています。しかし、“自分で決めた目標”であれば尚更、子供達が自分から取り組み始めたという“成功体験”をさせ、その事を褒めるようにしたいものです。そのためには、約束の開始時間が多少過ぎても子供が自分から行動するのを出来るだけ待ってみたり、あるいはさりげなく「つぶやき作戦」を使ったりして、子供達に気づかせる工夫をすると良いのではないかと思います。

   また、子供達は「『やりたいことはやっていい』って言ったくせに!」と猛抗議しています。なぜなら、「やりたいことはやっていい」と言っていたはずのお母さんが急に「やるべきことを終らせてから」という条件をつけたからです。お母さんからすると、「やりたいことはやっていい」と言った裏には、「学校と違って、ここには自由がある」という“含み”があったのではないかと思うのですが、子供達の“抗議”の様子をみると、子供達にとってはそのようには伝わっていなかったと思われます。子供は、障害の有無に関わらず、幼い時期ほど言葉の裏に隠れている意味を推理することは難しいものです。そこで、子供達に対しては、出来るだけ“含み”の無い具体的な表現で話す事が必要だと思います。上記記事の事例で言えば、例えば、
「①勉強する②好きなことをする」
というふうに“やる内容”と“順序”をハッキリさせた簡潔な表現ではどうでしょうか?更に、ルールを紙に書いて壁に貼っておくと“視覚的な情報”となるため、より定着しやすいと思います。これらの工夫も、“環境の構造化”の一例です。

   環境が整っていないために、余計な親子喧嘩が生まれないようにしたいものですね。

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