【今回の記事】

【記事の概要】
大相撲の横綱日馬富士引退を決意したことが28日、分かった。
   平幕貴ノ岩への暴行が発覚してから約2週間。鳥取県警日本相撲協会の危機管理委員会による調査は継続中だが、本人は暴行したことは認めている。その責任をとる形で、事態が解明されるより先に身を引く覚悟を固めた。

②大相撲の横綱・日馬富士関の前頭・貴ノ岩関への暴行問題で、来日中のモンゴル出身の元小結・旭鷲山が23日、自身のフェイスブックで、同日夜に貴ノ岩関と電話で話したとする内容を公表した。

   フェイスブックによると、23日午後6時ごろ、貴ノ岩関と電話で話した。貴ノ岩関は「(日馬富士関から)灰皿やカラオケのリモコンのようなもので40~50発殴られた私は両手で頭を保護した」と語ったという。


【感想】

   日馬富士は自身の暴行を認め、責任を取り引退を決意しました。

   しかし私には今でも払拭できない疑問があります。それは、日馬富士以外の2横綱をはじめとしたモンゴル力士達の言動です。

   記事②では、「40~50発殴られた」とありますが、私が腑に落ちないのはそこです。もしも私達が飲み会の席で、1人の人間が鈍器のような物で同僚に殴りかかったら、どのような行動をとるでしょうか?おそらく、最初の一発を目にした時点で、直ぐに止めに入るでしょう。たとえ加害者が社長であろうとも。

   しかし、当日の事件現場では、周囲には、2人の横綱を始めとして複数の力士たちが居たわけですから、日馬富士1人の行動を皆で静止しようと思えばできたはずです。それにも関わらず「40~50発」もの間、貴ノ岩が殴られ続けたのは何故だったのでしょうか?


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   ある相撲関係者の方が言います。「モンゴルの男たちは男同士の争いに口を挟むものでは無い」という考え方がモンゴルにはあるそうです。ましてや、貴ノ岩に対する先輩の指導であればなおさらだったのかも知れません。それゆえの“傍観”だったのでしょうか?

   更に、日馬富士の引退会見での本人の弁によると、日馬富士による暴行があった次の日の朝、自分から謝りに来た高野岩に対して日馬富士は、自分が相手に怪我をさせたにも関わらず「このように注意してくれる先輩がいることを感謝しろよ」と言ったそうです。つまりは、「40~50発」の時間は、「男同士の争い事だから」「目上の人間からのこれ位の指導は止む無し」という彼らの間での認識の表れだったのでしょうか?

   これらの事から私は、生まれ育った故郷で身に付けたモンゴル人ならではの国民性文化が関係しているような印象を受けます。


   私は精神科医の岡田氏の考え方に触れる中で、乳幼児期の養育の仕方次第で、どんな大人に育つかが変わってくることを知りました。

   昔は日本でも「抱き癖をつけては自立した子供に育たない」と言う誤った考え方があったほどです。となれば、国が変われば、養育の仕方についての考え方に違いがあったとしても何ら不思議ではありません。特に男の子であれば、「獅子は我が子をがけへ突き落とす」という考え方で養育している国もあるのではないでしょうか?

   仮に、そのような“放任主義”が主流の養育を基本としている国であれば、大人になった時に「回避型」の人間に育つ確率が高くなりますから、自ずと、自分の思い通りにならないと怒りを感じて攻撃的になる人が多くなります。一方今の日本で多く見られるのは、岡田氏によれば、子供に期待をかけすぎて、できない時に厳しく叱る“過干渉な養育とされています。つまり日本は、「放任主義国」と正反対に位置する「過干渉国」なのです。すると、大人になった時に、親や他人の顔色を伺いながら自信を持てずに生活する不安型」の大人に育つことが多くなります。人に対して暴力を振るうなどという行動をとることは相手の反応が怖くてできないでしょう。

   先の「モンゴルの男たちは男同士の争いに口を挟むものでは無い」という、ある意味“争い事は当たり前”と考えるモンゴルの文化は、どちらかといえば前者の「放任主義国」と言えるのではないでしょうか?


   今回の日馬富士の暴行事件も、普段は礼節を重んじている彼らが、VIPルームで殆どモンゴルの仲間だけ(7人中6人)になった時に、思わずモンゴルの「男同士の争いに口を挟むものでは無い」と言う考え方に戻ってしまったために「40~50発の時間」が生まれてしまったのでしょうか?


   日馬富士は引退会見で「なぜこんなことになってしまったのか分からない」「酒のために起きた事件ではない」「貴ノ岩のためにやった事」「(今後の貴ノ岩に対して)礼儀と礼節を忘れずにちゃんとした生き方をして頑張って行って欲しい」等と話し、どこか納得がいっていない様子でした。もしかしたら、モンゴルでの乳幼児期の養育で育まれ身につけた“彼本来の人格”との葛藤があったのかもしれません。「乳幼児期に受けた養育で身につけた「愛着」は“第二の遺伝子”」と言う岡田氏の指摘が大きな意味を持っているような気がします。


   私は、小兵ながらスピード感溢れる鋭い日馬富士の相撲が大好きでした。もう彼の取り組みを見れなくなると思うと寂しい限りです。