【今回の記事】
【記事の概要】
神奈川県座間市の自宅から9人の遺体が発見され、警視庁高尾署捜査本部に死体遺棄容疑で逮捕された白石隆浩容疑者(27)が父親に「生きていても意味がない」などと話していたことが1日、捜査関係者への取材で分かった。これまで、自殺願望を持つ女性らに短文投稿サイト「ツイッター」を使って連絡を取っていたことが判明しており、捜査本部は詳しい動機を調べている。
捜査関係者によると、白石容疑者は今年6月ごろ、自身の父親に「生きていても意味がない」「何のために生きているのか分からない」などと打ち明けていたという。
白石容疑者は今年1~2月、売春行為を行っていた風俗店に女性を紹介していたなどとして、茨城県警に職業安定法違反容疑で逮捕され、5月29日に水戸地裁土浦支部で懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡され、6月13日に確定している。父親に打ち明けたのはこのころとみられる。
白石容疑者は今年1~2月、売春行為を行っていた風俗店に女性を紹介していたなどとして、茨城県警に職業安定法違反容疑で逮捕され、5月29日に水戸地裁土浦支部で懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡され、6月13日に確定している。父親に打ち明けたのはこのころとみられる。
【感想】
「何のために生きているのか分からない」
白石容疑者が慕っていた父親に漏らした言葉です。白石容疑者は、職業安定法違反容疑で逮捕された事も手伝って、言わば“人生の目的”を見失い、自暴自棄に陥ったのかも知れません。
しかし「何のために生きているのか?」「生きていくエネルギーはどうすれば得る事ができるのか?」ということは、白石容疑者に限らず、誰にとっても大きな課題です。
そもそも、私達は何を求めて生きているのでしょう?その疑問を解く鍵は、アメリカの心理学者A.マズローが提唱した「マズローの五段階欲求説」にあると私は考えます。
マズローは、人間には誰でも満たされなければならない“欲求”があり、満たされなければ、精神面や健康面で異常症状が現れると指摘しました。更にその欲求は以下のような5段階構造をなしているとしています。また、その5種類の欲求には満たされる“優先順位”があり、その優先度の高い順に各欲求の種類を挙げています。ちなみに、以下の5種類の欲求の中で最も優先順位が高い欲求が「①生理的な欲求」です。
①生理的な欲求(寝たい、食べたい、排泄したい等)
②安全性の欲求(戦争、DV、いじめなどが無い安全な環境の中で生活したい)
③所属・愛情の欲求(誰かから愛されたい、誰かと“愛の絆”で繋がっていたい)=“愛着形成”欲求
④承認・尊重の欲求(他者から認められたい、他者から大切に思われたい)
⑤自己実現の欲求(自分らしく生きたい)
他国に比べて高い文化レベルにある日本においては、この中の「①生理的な欲求」や「②安全性の欲求」はどの家庭でも一定程度は満たされていると考えます。ただし昨今は、一部において、“虐待”や“DV”、さらには“いじめ”によってこれらの欲求が脅かされる時代になりつつあります。
家庭によって明らかな差が見られるのは、「所属・愛情の欲求」と「承認・尊重の欲求」です。
まず、「誰かから愛されたい、誰かと“愛の絆”で繋がっていたい」という「所属・愛情の欲求」については、昨今の“家族内の愛着の崩壊”によって、その欲求が満たされない子供が急増しています。白石容疑者ももともとは4人家族だったそうですが、本人が小学校の時に両親が離婚し、その時に母親と妹が家を出て行ったとのことです。家族内の人間関係が不安定だったことが伺われます。更に、精神科医の岡田氏が危惧する、“親による支配的・否定的な養育”のために、親子の「愛着(愛の絆)」が崩壊している家庭が急増しています。
次に、「他者から認められたい、他者から大切に思われたい」という「承認・尊重の欲求」については、周囲から「ありがとう」「ごめんなさい」という承認したり尊重したりする言葉をかけられにくい人が急増しています。家族内では、先の「愛着(愛の絆)」の崩壊によってそれらの言葉はもはや“死語”になりつつあり、社会では職につけない若者や高齢者が、社会の他の構成員との繋がりを失い、客から「おいしかったです。ありがとう。」「お宅の製品はとても丈夫で助かっています。」等と言われる機会を持てません。今回の白石容疑者も職業不詳という事になっていて、定職には就いていなかったようです。たとえ、売春行為を行っていた風俗店に女性を紹介していたとしても、周囲から「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉をかけられるような生活環境ではなかったと推測します。だからこそ、生活基盤となる家族内では、それらの言葉をかけ合う環境が必要なのですが…。
因みに、精神科医の片田氏は、今回の事件について、「遺体切断は強烈な『自尊欲求』を満たす行為」と分析しています。他者からの「尊重の欲求」を満たせなかった容疑者が、自分で強引に「自尊欲求」を満たすしかなかった結果が今回の事件だったのかも知れません。
はっきりしていることは、「誰かと愛の絆で繋がっていたい」という「所属・愛情の欲求」や、「他者から認められたい、他者から大切に思われたい」という「承認・尊重の欲求」が満たされている人間は、“生きる希望”を失うことはないということです。今回、白石容疑者が「何のために生きているのか分からない」と父親に悩みを伝えていたのは、本来、人として満たされるべきこれらの欲求が満たされていなかったことが背景にあるように私は感じます。
ちなみに皆さんのご家庭では、親子間の「愛着(愛の絆)」は形成されているでしょうか?また、家族の間で「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉が交わされているでしょうか?
「愛着」の形成の仕方については、これまで何度もこのブログで扱ってきましたが、家族の中での「ありがとう」「ごめんなさい」を言い合う簡単な家庭内ルールも本ブログの中で紹介しています。意識次第で誰でも出来ますし、定着すれば「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉は毎日家庭の中に飛びかうようになるでしょう。
私達大人には、子供たちに“生きる喜び”を与えてやる責任があるのです。